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講解メッセージ メッセージ > 講解メッセージ
講解メッセージ
Title
   黙示録講解(38)  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   黙 5:5:9-14
Date
   2007-09-14


[黙示録5:9-14]

彼らは、新しい歌を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」また私は見た。私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍であった。彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」また、四つの生き物はアーメンと言い、長老たちはひれ伏して拝んだ。」


[イザヤ43:21]に「わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。」とあります。神様がイスラエル民族を選ばれた理由について語っておられます。つまり、神様のために造られて、神様の栄誉を宣べ伝えるため、と言われます。そして、このみことばは、救われて神の子どもとされたすべての人々に当てはまるのです。
それで、神様は子どもたちが神様の前にささげる賛美をとても喜んでお受けになります。ですが、すべての賛美を喜んでお受けになるのではありません。香となってささげられる賛美だけをお受けになります。
神様の前にささげられる賛美は、人によってそれぞれ香りが違います。賛美をささげる人がどれほどきよくて純粋な心から、またどれほど心と思いを尽くしてささげるのかによって、その香が変わるのです。濃さも、ささげられる太さも違います。このすべてが正確に測られて、御使いと御使いのかしらによって、神様の御座の前に伝えられるのです。
祈りも同じです。皆さんがささげる祈りもやはり香になり、神様の御座の前に届きます。皆さんが信仰をもって心を尽くしてささげた祈りが金の鉢に入れられて、神様の前にささげられ、公義にふさわしい量になったとき、答えられるのです。
しかし、すべての祈りが香となって神様の前にささげられるのではありません。罪の壁がある状態でささげる祈りや、雑念と眠気の中で同じことばをただ繰り返してささげる祈り、また神様のみこころにふさわしくなくささげる祈りなどは、神様の前に届きません。そして、どれほど聖められた心で、信仰と愛をもって祈るかによって、祈りの香がみな違います。
このように香となって神様の前にささげられる皆さんの賛美と祈りは正確に測られ、そのすべてが最後の審判の日に一つ一つ明らかにされます。それで、神の国のために、どれほど多くの祈りを香としてささげたのかが、皆さんの報いとして返されるのです。
ところで、必ずしも祈りと賛美だけをこのように測って、報いてくださるのではありません。[マタイ12:36]に「わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。」とあります。いくらささいなひと言でも、そのすべてが正確に記されて、それに対する賞や罰を受けるようになります。
したがって、皆さんの祈りひと言、賛美一節、言葉ひと言がどれほど重要なのか知るべきです。人々がする測定や記録はミスもありえますが、御使いによる測定と記録は一寸の誤差もありえないのです。最後の審判の日に、水晶のようなガラスの海に、皆さんがこの地上で生きていた間のすべてが正確に現れるので、誰も言い訳することができません。このようなことを必ず心に刻み、皆さんの祈りと賛美と言葉、そして思いまでも、いつも真理にあって美しくなりますように。
次に、[9-10節]に四つの生き物と二十四人の長老が主の前にささげる賛美の内容が出てきます。「彼らは、新しい歌を歌って言った。『あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。』」とあります。ここで「新しい歌」とは、この地上で歌っていた歌でなく、天国で新しく歌う歌のことを言っています。
この地上での歌は、もちろん神様を崇めて高める賛美もありますが、私たちが御霊に満たされて感じるために歌う賛美もあります。しかし、天国に行けば、私たちが満されるためや感動のために賛美をする必要はありません。もちろん天国に行っても、賛美をするとさらに御霊に満たされて感じるようになりますが、この地上のように肉を着ていないので、あえてそのために賛美をする必要がないのです。それで、賛美の目的も、ただ神様を崇めて栄光と感謝をささげるためなのです。
今、四つの生き物と二十四人の長老も、この地上で歌っていた賛美とは違う、新しい歌を歌っています。それは、イエス・キリストだけが封印を解くのにふさわしい方だという告白と、救い主としての働きの内容です。
イエス様はイスラエル民族だけの救い主でなく、すべての人類の救い主になってくださるために、血を注ぎ出して死なれました。「その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い」とあるように、イエス様が注ぎ出された血によって、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、救われる人々を得られたのです。イエス・キリストの御名によって救いの道を開かれ、神の子どもとされる祝福を下さいました。
「あなたは、ほふられて」とは、33歳の若さで死なれたことを言います。また「私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」とあるように、イエス・キリストによって救われた私たちが神様の前で王国と祭司であり、この地上を治めることを言います。
旧約時代には、祭司だけが聖所に入れる資格がありました。それで、民が罪を犯せば、祭司が代わりに動物をほふり、その血を聖所に持って行って、祭壇に注ぎかけることで、罪を贖いました。
ところが、イエス様が神様と私たちの間のなだめの供え物になって、十字架の上で死なれたとき、神殿の幕が裂けました。[マタイ27:51]に「すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。」とあります。そして、[ヘブル10:19-20]に「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。」とあります。
それで今は、救われた神の子どもたちが聖所に入って礼拝して、神様と直接交わるようになりました。まさに祭司のような資格を得たのです。
また、救われた人々は神の子どもとされた特権を受けて、王の王である主の花嫁として、空中の七年婚宴にあずかります。そして将来、千年王国の間には、この地上を治めるのです。それで、[第一ペテロ2:9前半節]に「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」とあるのです。
今、四つの生き物と二十四人の長老がこのような内容の新しい歌を主の前にささげているのは、このすべてがイエス・キリスト、私たちの主によってなされて行なわれる、ということを告白しているのです。
続く[11-12節]に「また私は見た。私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍であった。彼らは大声で言った。『ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。』」とあります。
使徒ヨハネは今、神様の御座と四つの生き物と二十四人の長老を囲んでいる、数えきれないほど多くの御使いを見ています。神様の御座の回りだけでも、このように多くの御使いがいるのに、まして天国全体には、どれほど多くの御使いがいるでしょうか。
ところで、この御使いの世界にも、正確な秩序と序列があります。また、御使いもそれぞれ名があって、力と権威もやはり各々違います。御使いとはちょっと違う天の軍勢もいて、御使いのかしらもいます。ですから、聖書を見ると、ガブリエル、ミカエルのような御使いのかしらの名が出てきて、「力強い御使い」「強い御使い」などの表現も出てきます。
ところで、このような御使いはみな神様に仕える霊として、神様の命令に従って、神様の働きを助けます。神様は御使いに命じて、天気を動かしたり、災いの権限を与えて行なわせたりされます。
[第二サムエル24:16]に「御使いが、エルサレムに手を伸べて、これを滅ぼそうとしたとき、主はわざわいを下すことを思い直し、民を滅ぼしている御使いに仰せられた。『もう十分だ。あなたの手を引け。』主の使いは、エブス人アラウナの打ち場のかたわらにいた。」とあります。また、ヨハネの黙示録の所々に、神様から災いの権威を授かった御使いがこの地上にいろいろな災いを下すことも見られます。
そして、神様は御使いを送って、神の子どもたちを助けるようにされます。[ダニエル6:22]に「私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」とあります。まさに神様が御使いを送り、獅子の穴に投げ込まれたダニエルを守ってくださったのです。
[使徒の働き12:7]には「すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、『急いで立ち上がりなさい。』と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。」とあります。神様が送られた「主の御使い」が来て、牢に閉じこめられたペテロを救い出したのです。
この他にも、[ヘブル1:14]に「御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。」とあるように、御使いは神様から遣わされて、救いの相続者となる神の子どもたちに仕えます。
そして、神の子どもたちがこの地上での命を終えると、この時も御使いによってその霊とたましいが導かれるようになります。このように御使いにもそれぞれの使命があって、自分に与えられた役割を忠実に果たしているのです。
このような御使いが神様の御座の回りにも数えきれないほど多くいますが、彼らが主に向かい、大声で告白しています。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」と言ったのです。
永遠に死ぬしかなかった私たちを永遠のいのちの道へと導かれた主の力は、まことに大いなるものでしょう。また、主にはこの地上の朽ちる富でなく、天国の富があります。天地万物がすべて主のものです。主は知恵の初めである神様と一つであられます。そして、主の知恵は聖潔の知恵であり、善の知恵であります。
皆さんも、このような聖潔から来る善の知恵をいただくと、すべての事が栄えるようになります。悪賢いサタンの知恵も十分に把握でき、どんな策略でも十分に打ち砕くことができます。
主には勢いがあります。この勢いは肉的な勢いを言うのではありません。まさに罪が全くないことから来る、霊的な力のことです。罪がない聖められた心からは無限の力が出て来ます。どんな闇でも支配して、征服して、退けられるのです。
皆さんも心が聖められて、神様の前にふさわしい資格を備えると、このような霊的な光の権威と力が授けられます。
次に、主は天地万物を創造され、すべてをつかさどる主人であられます。最も尊い方であり、すべての被造物から誉れを受けるのにふさわしい方です。また、すべての栄光と賛美を受けるのにふさわしい方です。
続く[13-14節]に「また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。『御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。』また、四つの生き物はアーメンと言い、長老たちはひれ伏して拝んだ。」とあります。
今、続いて、御座に座られた神様と小羊である主を賛美しています。神様の御名がどれほど大きくて栄えあるものかを、すべての摂理を成し遂げられた神様を賛美しています。天の軍勢、御使いたち、救われた人々、また、地上のすべての人類と生き物、そして、地の下のよみにいる人々と海のすべての生き物までも、創造主の神様と主を賛美しているのです。これに四つの生き物がアーメンと言い、二十四人の長老たちもひれ伏して拝んでいます。
このように人間耕作が締めくくられる時になると、霊の世界にいる存在だけでなく、耕作を受けて救われた人々も、イエス・キリストの御名によって成し遂げられるすべての神様のみこころと摂理を悟るようになります。すべての被造物も神様の前にひれ伏して拝むようになります。これからは滅びの束縛から解放されるからです。
これについて、[ローマ8:19-22]に「被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。」とあります。
私たちみながこのように栄光の自由の中に入るその日を慕い求めて、熱心に花嫁の備えをしていかなければならないでしょう。そうしないと、[黙示録6章]から展開されるこの地上での七年患難に落ちて、考えたくもない苦しみの中に入ります。
[6章]の具体的な内容は次の時間から調べてみましょう。きょうは[6章]から起きる事件の背景になる、世界史の流れについて説明します。[6章]から出てくる状況がなぜ起きるのか、その背景をお話しいたします。
聖徒の皆さん、最近までの世界史の流れを見ると、アメリカという国が強大国としてリードする雰囲気でした。自分たちが優れていると思い、世界が願う流れを無視したまま、自分たちの願うとおりに導こうとした時も多かったのです。世界の舞台で自分たちの声を大きくして、自国の利益を追う決定を貫徹していきました。
そのうち、願わなかった敵をたくさん作り、歳月が過ぎると、過去に行なった多くの過ちも明らかにされるようになりました。それとともに、だんだんこのようなアメリカに反発して、彼らを牽制して競争しようとする勢力が生じ始めました。以前はアメリカだけが独走していると思えたのですが、今はアメリカを牽制して、アメリカも勝手にできない勢力が生じています。
このような現象はこれからさらに深刻になり、アメリカはだんだん力を失って、世界史に対する主導権を失っていきます。かといって、一瞬にしてこれまで積んできた主導権を失うという意味ではありませんが、今すでにアメリカの力がどれほど弱くなったかを、全世界が実感する状況になりました。それと同時に登場する勢力があります。中国とヨーロッパ連合(EU)です。もちろんロシアも大きい勢力になります。
このような状況で、今より石油の重要性がもっと強調されて、結局「石油の武器化」という単語のように、石油が戦略的にとても重要な役割をするようになります。結局、この石油をめぐって力比べが起きます。
その中心にまさに中東とイスラエルが置かれるようになります。今もイスラエルと中東国家との間には、ピンと張りつめた緊張が続いていますが、ここに石油という利権をめぐって、世界の勢力が中東で力の対決を繰り広げます。アメリカ、中国とロシア、そして、今後その力が急速に大きくなるヨーロッパ連合などがこの力の対決に加わります。
そうしながら、自然に勢力の陣営が分かれるようになります。表面的にはイスラエルと中東間の力の対決に見えますが、その裏には強大な力が背景としてあります。イスラエルに以前から友好的なアメリカがイスラエルを後ろから支え、このようなアメリカを牽制する勢力、ヨーロッパ連合が中東の国々を後ろで支えるようになります。
このような状況で、中国とロシアがどちらの味方になるのかがかなり重要です。結局、中国とロシアはヨーロッパ連合のほうになります。そうすると、表から見るとアメリカが劣勢になりますが、実際、アメリカの力がかなり弱くなるといっても、相変わらず強大な力を持っています。その上、世界にはアメリカの味方になる国々もあります。
ですから、イスラエルと中東地域は、全世界がまるで二つの大きい勢力に分かれて対立しているような状況になります。もちろんこのような状況に巻きこまれないようにする国もあるでしょうが、全世界はこうして戦争という大きな渦に巻き込まれるようになります。中東地域は一触即発の状況になり、小さい火種一つが結局は世界大戦にまで拡大しうる、あまりにも不安な情勢が繰り広げられます。このように終わりの時には、世界史の流れが中東を中心に緊迫して回り、ついには中東で第三次世界大戦が始まるのです。
もちろん、七年患難の始まりと同時に世界大戦が起きるという話ではありません。今お話した世界史の流れが、七年患難の時にさらに急速に進められて、結局、時になって勃発するのです。
次の時間から[6章]の内容を本格的に調べてみましょう。

愛する聖徒の皆さん、私はすでに開拓の時から今後の世界史の流れについて預言してきました。今もいつも神様と交わっていて、今はあまりにも詳しいことまでも神様が教えてくださいます。そのすべてを皆さんに申し上げることはできませんが、私がしてきた預言一つ一つが、今まで正確に成就されたことについて、皆さんがまさに証人だと思います。私がこれから黙示録の講解で説明する、今後の世界史の流れも同じです。必ずそのまま成就するのです。
ところで、前も申し上げましたが、皆さんにこのように今後起こることについてお話ししても、皆さんがそれを体験しては決してなりません。皆が主の空中再臨とともに、七年婚宴に入らなければなりません。決して誰ひとりもこの地上に落ちて、七年患難に置かれるということは、私としては考えたくもないことです。
したがって、皆さんは今まで見てきたあの数えきれない神の力あるわざと預言の成就を通して、皆が救われるまことの信仰を持ちますように。それで、御座に座られた神様と主イエス様、そして聖霊様、三位一体の神様の前に、賛美と誉れと栄光と力をとこしえに帰して生きられる皆さんになりますよう、主の御名によって祝福して祈ります。

 
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