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主日夕方礼拝 メッセージ > 主日夕方礼拝
主日夕方礼拝
Title
   御霊の人 - 任職礼拝  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   第二コリント1:19
Date
   2016-10-02


[本文]

[第二コリント1:19]
「私たち、すなわち、私とシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「しかり」と同時に「否」であるような方ではありません。この方には「しかり」だけがあるのです。」



[序論]

愛する聖徒の皆さん、GCN放送の視聴者の皆さん、2016年任職礼拝をささげられるように祝福してくださった父なる神様にすべての感謝と栄光をお帰しします。今年は1人の副牧師、3人の長老、36人の勧士、1人の名誉勧士、5人の協同勧士、計46人が任職します。神の国の尊い務めを受ける者として任職する皆さん、おめでとうございます。このように幸いな日、お祝いのためにご出席された家族や親戚、来賓の皆様にも感謝いたします。
愛する任職者の皆さん、すべての聖徒の皆さん、本教団の憲章には「牧師は按手の礼を施して立てた聖職であり、その地位は旧約時代の祭司と同じである。」「これは今日、教会の中で最も神聖で尊い務めである」とあります。聖書を教えて、みことばを宣べ伝えること、礼拝を導いて聖餐式の司式を行うこと、教会を治めることなどが牧師の職務です。また、任職する時にすべての聖徒のためにいのちを尽くして忠実に仕えることと、聖徒たちと苦楽をともにし、すべてのことにおいてイエス・キリスト中心の生き方をすることを誓います。
次に「長老の職務は、牧師を助けて教会を治め、訪問、勧め、伝道などをすべきであり、場合によっては主のしもべの代わりに礼拝を導く」とあります。「長老は神が下さった務めで、神聖で聖なる務めである」ことを心に留めて、すべての聖徒のかしらで代表として恥ずかしくない信仰と人柄を備えているべきです。
次に勧士の務めは、教職者を助けて聖徒を訪問して苦しんでいる人、気を落としている人を慰め、お母さんのように聖徒を顧みて仕えることです。勧士になるためには信仰はもちろん、教養と人格を備えているべきで、しっかりしていて徳のある姿でなければなりません。
このような務めをいただく皆さんのためにきょうお伝えするメッセージのタイトルは「御霊の人」です。[ヨハネ3:6]に「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」とあります。主を受け入れ、御霊によって新しく生まれた人は日々御霊によって生きていかなければなりません。心の罪の性質まで脱ぎ捨てて、御霊の人、さらには全く聖なるものとされて、主が来られる時まで責められるところのないように完全に守られていなければなりません。
この時間お伝えする御霊の人とは、肉に属するものではなく「御霊に属する人」という意味で、結局のところ全く聖なるものとされた人まで含めています。聖潔の福音を聞いている聖徒の皆さんは子どもからおとなまで、御霊の人になることを目指して信仰生活をしています。まして務めをいただいた者で、かしらの働き人なら、当然人より先立って御霊に属する心に変えられて、聖徒の模範となるべきです。肉にとどまっている時は、父のお心を知ることや主のわざを進めていくことに限界があります。完全におとなの信仰となって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達する時こそ、任されたあらゆる分野で父のお心にぴったりかなう実を結ぶことができるのです。
この時間、任職する皆さんはもちろん、すでに務めを受けた人とすべての聖徒の皆さんも、メッセージを聞いて自分をチェックしてみますように。また、御霊の歩みに入った人であっても、さらにへりくだった心でメッセージを糧として、すみやかに全く聖なるものとされますように。それで父なる神の御前にふさわしくて、認められるような皆さんになりますよう、主の御名によって祈ります。





[本論]

愛する任職者の皆さん、聖徒の皆さん、御霊の人は第一に、すべてのことにおいて善を考えます。
何が神の御前で善なのかを見分けて、そのとおりに行うということです。ところで、大切なことは、神がご覧になっての善を追い求めて行わなければならないということです。度々、神の善と人の善が全く違う時があります。
たとえば、マリヤがイエス様に高価な香油を塗ったとき、神様はその行いと心をとても尊くて良いものと思われました。しかし、肉に属する人が思うには正しくないように見えることもあります。施しやもっと有益なことに使うこともできるのに、無駄使いをしているように見えるかもしれません。
イエス様が聖殿を汚した人たちに対して御怒りを発せられたり、安息日に病人をいやされたりしたことも、神の御前ではまことに良い行いでした。しかし、悪い人たちはそれを罪に定めました。律法に精通しているという祭司やパリサイ人であっても、自分の心に悪があるだけに善と悪をわきまえられなかったのです。
それとは反対に、人が見て良いことが霊的には死の道である時もあります。「だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。」「保証人となってはならない。」というみことばが明らかにみこころだと知りながら、守らない場合があります。自分の利益に従って、人が見て良さそうなことを追い求めて、聖徒の間で金銭的な取引をすることによって大きな罪の隔ての壁を作るようになるのです。ですから、善と悪をわきまえる時には、必ず真理を基準としなければなりません。さらには、悪ではなく善を選んでも、その中でさらに深い父の善を知って行える知恵が加えられるべきです。

愛する任職者の皆さん、聖徒の皆さん、御霊の人は第二に、完全に聞き従います。
本文[第二コリント1:19]に「私たち、すなわち、私とシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、『しかり』と同時に『否』であるような方ではありません。この方には『しかり』だけがあるのです。」とあります。
全能なる神の御子がいと低き人となって、この地上に来られたことも従順でした。この地上で生きていく一瞬一瞬も、ただ父のみこころのとおりに生きられました。ついに十字架につけられて死なれたことも、よみがえって天に上られたことも、ただ従順でした。このようなイエス様の従順があったので、神様は世界の始まる前からご計画された救いの摂理を完成することがおできになりました。
また、昔の信仰の人々も聞き従うことによって神の摂理を実現しました。アブラハムがイサクをささげられなかったなら、エリヤが死を恐れて偶像礼拝者たちに立ち向かえなかったなら、使徒パウロとペテロが迫害を免れようと福音を伝えなかったなら、尊い神の道具として用いられることはなかったでしょう。
今の私たちに対しても、神様は完全に聞き従うことを望んでおられます。自分の考えに合う時、自分の利益になる時、自分ができる分だけするのは従順ではありません。従えないことまで従うことがまことの従順です。
私は父が「行きなさい」と言われたら行き、「止まりなさい」と言われたら止まり、主が「しなさい」と言われたらそうします。私が主のしもべになることからして、思いを働かせるなら不可能なことでした。その後、ひたすら「しかり」と「アーメン」で聞き従ったとき、神様は今の万民中央教会と1万1千余の支教会と協力教会でなる教団へと成長させてこられました。御霊に感じて解き明かしていただいたみことばと霊の世界を宣べ伝えたら迫害されることも知っていましたが、人の顔色を伺いませんでした。それが主のみこころであると信じていたので、天国と地獄を伝えたし、信仰の量りについて宣べ伝えました。そうしたので今日、聖徒たちは霊の世界と父の根本を深く理解できるようになったし、罪と悪がはびこっている世で聖別された生き方ができるように強くされました。
海外聖会に行った時も、楽なところにだけ「行きなさい」と言われたのではありませんでした。誰も知り合いがいないところ、テロの脅威があるところ、聖会の直前に伝道を禁止する法律が制定されたところもありました。
しかし、ただ聞き従ったとき、その従順の結果として神様は責任を負ってくださったし、栄光を受けられました。福音を伝えることに敵対的なイスラム国家でも、ヒンズー教国家でも、イスラエル全地域でも主の御名によって福音を伝えるようにされたし、驚くべき神の力を現わしてくださいました。
従順とはこのようなものです。自分の考えで理解できなくても、自分の利益に合わなくても、自分の計画と違っても、神のみこころなら「アーメン」と言うことなのです。きょう任職する皆さんは、また聖徒の皆さんはいつも真理に従い、神のみこころに「しかり」と「アーメン」とだけ言うようお願いします。

愛する任職者の皆さん、聖徒の皆さん、御霊の人は第三に、全家を通じて忠実です。
[民数記12:7]に「しかしわたしのしもべモーセとはそうではない。彼はわたしの全家を通じて忠実な者である。」とあります。モーセは神様がゆだねられたあらゆる分野で忠実を尽くしたので、神様も他の預言者より彼を特別に尊く思われたのです。
任職する皆さんも今まで全家を通じて忠実であるために努力してきたでしょう。家庭や周りにも光と塩となり、主のからだなる教会で熱く忠実に仕えてきたので、このような務めをいただくようになりました。
しかし、これからはさらに心と知力と思いを尽くして神の国と魂のために献身してくださいますように。自分の財産、名誉、家族、健康、このような自分のものを先に考えるのではなくて、神の栄光を現わすために、魂を救うために生きていく皆さんになりますように。





[結論]

愛する任職者の皆さん、聖徒の皆さん、コロサイ人への手紙は使徒パウロが福音を伝えていて、ローマで監禁された時に書いた手紙です。[コロサイ1:24]に「ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。」とあります。
私たちが歩んでいる道、信仰の道は明らかに栄光の道です。たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、健康である祝福の道です。光の中を歩む時に必ず主が守ってくださるし、聖霊に助けられて栄光を帰すようにされます。
しかし、時には福音のために、聖徒のために従う道は、言葉にできない労苦と悲しみの道でもあります。本教会の今日があるまで、私が流した涙は主だけがご存じでしょう。それにもかかわらず喜びをもってここまで来られたのは、主の十字架を覚えていたからであり、また、誰も引き離せない父の愛がいつもともにあったからです。
そして、今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものでもあります。任職する皆さんも、また、すべての聖徒の皆さんも、この主の十字架を一緒に負って、主の栄光にともにあずかるその日まで、完全な御霊の人に変えられ、豊かな実を結ぶことができますように、主の御名によって祝福して祈ります。

 
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