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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第50課 「信仰を守ったので」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2009-12-11


読むみことば: 第二テモテ4:7-8
覚えるみことば: 第二テモテ4:7
参考にするみことば: ヘブル11:6


教育目標

信仰によって自分を守るためにはどうすればよいのか、信仰を守った昔の人々を通して信仰の重要性を悟る。

約束をよく守る人は、周りから信頼できる人だと認められます。そうでない人は信頼されなくなり、人生で成功しにくいのです。ほかの人との約束はよく守っていても、自分との約束を守れない人もいます。まことに真実な人は自分との約束も必ず守って、実行します。信仰にあっても、神との約束はもちろん、信仰によって自分を守れば、神に大いに愛されることができます。


1. まことに神を恐れる人は、信仰によって自分を守る

ペテロはイエス様に「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」と告白しました。しかし、いざイエス様が捕えられると、恐れに捕われてイエス様を三度も知らないと言ってしまいます。しかし、それはペテロが聖霊を受ける前のことです。聖霊を受けた後は、十字架に逆さにつけられて殉教するまで、信仰を捨てない真実な働き人になりました。
神の聖なる子どもは自分の言葉を守らなければなりません。まことに神を恐れる人は、どんな困難があっても約束を守ります。神との約束はもちろん、信仰の兄弟や不信者との約束、自分自身との約束までも必ず守ることが見られます。
士師記に出てくるエフタは、アモン人と戦争の前に、神にイスラエルの勝利を求めて誓願の祈りをします。「エフタは主に誓願を立てて言った。『もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を主のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます。』」(士師記11:30-31)。この祈りをお聞きになった神は、イスラエルが大きい勝利をするようにされ、エフタは無事に家へ帰ります。ところが、エフタを一番早く迎えに来た人は、他の誰でもない彼のひとり娘でした。エフタは天が崩れるほど苦しみましたが、娘の命より神との約束のほうが大切だったので、誓願をそのまま守ります。エフタの娘も、父の言葉に従って、喜んで自分の身をささげます。神はエフタがどんな状況でも誓願を守れる心であることをご覧になって、答えられたのです。
多くの人が「神様は全知全能です。心配しないで信じて頼ればいいのです。神様はどんな病気でもすべていやされます」と言っていますが、いざ難しい問題が迫ってくると、自分の言葉と違って、信仰を守ることができません。私たちが信仰を守るということは、まことに重要です。信仰があってこそ救われて天国に行けるのだし、答えられて、祝福された生き方になり、希望をもって献身することができます。


2. 命を脅かされる迫害の中でも信仰を堅く守った昔の人々

使徒パウロは、律法に詳しいパリサイ人として、律法による義についてならば、非難されるところのない者であり(ピリピ3:5-6)、世界最高のローマ帝国の市民権を持つ者で、有名な学者ガマリエルのもとで教育を受けました。彼は真実なユダヤ教徒として、クリスチャンを迫害するのに先立っていて、ステパノを石で打ち殺す現場にもいました。彼は主に出会ってから、人生が全く変わりました(ローマ8:35-39)。3次にかけて伝道旅行をして、異国のあちこちに多くの教会を建てたし、世界宣教の基盤を固めました。福音を伝えていて牢に入れられたことも多く、またむち打たれたことは数えきれず、 死に直面したこともしばしばでしたが、決して信仰は揺らぎませんでした。天国の望みがあったので、死に至るまで忠実であったし、福音を伝えることにおいては、命を少しも惜しく思わなかったのです。最後まで信仰を守って、「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。」と大胆に告白しました。
それでは、ダニエルはどうだったでしょうか? メディヤ国の大臣になったとき、彼をねたむ者たちの策略によって、獅子の穴に投げ込まれました。ダニエルが日に三度、ひざまずき、エルサレムに向かって祈っているのを知って、悪者たちは、王に、三十日間、王の以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれるという禁令を制定するようにしたのです。これを知りながらも、彼はいつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈って、結局、獅子の穴に投げ込まれました。しかし、神が御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は彼に何の害も加えず、生ける神を全世界に現しました。ダニエルは命が危険な状況でも祈りをやめないほど神を愛して、信仰で自分を守りました。ですから、神が知恵と悟りを下さって、将来の事を知らせて、高めてくださったのです。
このように義人はただ信仰によって生きるので、本当に神を愛するなら、どうすべきでしょうか? 自分に難しい問題がやって来てこそ、自分がどれほど信仰を守る人なのかわかります。口で告白したとおり行ないで表して、信仰を守ったという証拠がなければなりません。世と妥協しないで、真理に逆らうものに同調せず、神のみこころでなければ果敢に断ち切って、立ち返らなければなりません。まことに神を恐れる人は決して信仰を捨てないし、命をかけても正しい道を守るようになります。


3. 信仰によって自分を守るためには

<ヘブル11:6>に「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」とあります。このような信仰があってこそ、義人になるために勇敢に戦って勝つことができ、神に愛されて喜ばれることができます。
それでは、どうしたら信仰によって自分を守ることができるでしょうか?

まずは、真理を守るために勇敢に戦わなければなりません。
「勇敢に戦う」とは、聖書に記された神のことばどおり生きる義人になるために戦うこと、すなわち、御霊の人になるために戦うことです。神は罪と戦って血を流すまで抵抗して(ヘブル12:4)、悪はどんな悪でも避けなさい(第一テサロニケ5:22)と言われました。主を受け入れて聖霊を受けたからといって、世の以前の生活からすぐ離れるのではないからです。罪とは不法なので(第一ヨハネ3:4)、神の律法に逆らう肉的なことと肉の行ないを捨て去らなければなりません。
「肉的なこと」とは、まだうわべに現れてはいないけれど、行ないとして現れる可能性のある真理に逆らう属性を一つ一つ分けたものです。たとえば憎しみ、偽り、情欲、高ぶりなど、心の中に潜在しているあらゆる汚れたことがみな「肉的なこと」です。そして、「肉の行ない」とは、肉的なことが具体的な行ないとして明白に現れたものです。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです(ガラテヤ5:19-21)。
すべての行ないは心から出るので、心にある肉的なことを捨てれば、肉の行ないは自然に避けるようになります。したがって、肉の行ないを避けることはもちろん、肉的なことも捨てなければなりません。私たちが肉的なことを捨てるためには、罪を悟って火のように祈るだけでなく、聖霊に助けられて神の恵みと力をいただかなければなりません。

次に、御霊の願うことに従って、自分の心を守らなければなりません。
私たちがイエス・キリストを受け入れて、聖霊を受ければ、私たちの中で真理の心と真理に逆らう心が戦うようになります。この時、どちらが勝つかによって、霊的な成長の速度が変わってきます。聖霊は神のことばどおり生きるように真理の心に働きかける一方で、敵である悪魔は肉の願うことに従うように真理に逆らう心に働きかけます。それで、使徒パウロは「私にとって、毎日が死の連続です。」(第一コリント15:31)と告白して、真理を守るために自分を無にして、自尊心、高ぶり、欲など真理に逆らう悪い心を徹底的に捨てたのです。
私たちも、真理を守るために勇敢に戦い、御霊の願いに従ってこそ、肉の願いが少なくなり、罪を捨てて信仰が毎日成長するようになります。イエス・キリストの心に似せられていき、信仰によって自分を守ることができます。使徒パウロのように「私にとって、毎日が死の連続です。」と告白して、自分を守らなければなりません。自分にいくら困難なことがあっても、変わってしまってはいけません。また、いくら欲しいものがあっても、不義な方法で手に入れることがあってはなりません。祈りと断食によって自分の心を守って、信仰の行ないによって神に喜ばれる幸いな聖徒になりますように。



* まとめと適用

1. <第二テモテ4:7>をみんなで覚えてみましょう。

2. 使徒パウロの人生は苦しみの連続でしたが、神への信頼と熱い愛で十分に勝ち抜きました。パウロの手紙の中から、そのような箇所を探してみましょう。

3. 皆さんは迫害や試練がやって来たとき、使徒パウロのように主への愛の力によって勝利したことがありますか? 証しをして神に栄光をお帰ししましょう。


* 今週の課題
十二年の間長血をわずらった女がいやされた話は聖書のどこに出てくるでしょうか? 次回までに読んできましょう。


* 聖書の人物を知って力にしましょう!
「預言者ダニエル」
B.C.605年、バビロンに捕虜として連れて行かれたユダヤ人の貴族。彼は約60年間、バビロン王の助言者で第三の権力者、そしてメディヤ王国とペルシャ帝国の大臣として仕えた(ダニエル5:29、6:1-2、6:28)。ダニエルがメディアの王ダリヨスの大臣だったとき、彼をねたんでいた他の大臣や太守たちの策略によって、獅子の穴に投げ込まれた。しかし、神に守られて救い出され、かえって彼を訴えた者たちが獅子の穴に投げ込まれて殺された。

 
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