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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第22課 「天国の場所と冠(2)」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2010-06-04


読むみことば: ローマ7:21-25
覚えるみことば: 第一コリント9:25
参考にするみことば: ローマ8:26


教育目標

信仰の段階のうち、自分との戦いが最も激しい信仰の二段階の人々が入る場所と冠について調べる。

天国は神が愛と公義で治められる所なので、信仰によって激しく攻める者でこそ入れるし、信仰の行ないによってよりすばらしい天国に入れます。つまり、信仰の一段階に当たる人が入る天国と、信仰の二段階、三段階、四段階、五段階に当たる人が入る天国はそれぞれ違い、信仰が大きいほどさらに美しくて光栄ある場所に入れます。今回は、信仰の二段階に当たる人に与えられる天国の場所と冠について調べます。


1.みことばを聞いて学び、行なおうと努力しなければならない

イエス・キリストを受け入れて、賜物として聖霊を受ければ、世に向かっていた足が教会へ向かい、みことばを聞くことを喜びます。礼拝に参加してみことばを聞き、神の子どもは完全に主日を守り、十分の一献金をことごとくすべきであることを学びます。また、「愛しなさい、祈りなさい、仕えなさい、平和を保ちなさい、憎んではならない、さばいてはならない、姦淫してはならない、相手の利益を求めなさい」などのみことばを学びます。
このようにみことばを知るようになると、主の心に似せられようと決心します。この時、心の中におられる聖なる御霊がみことばを思い起こさせてくださって、真理のうちを歩めるように助けてくださいます(ローマ8:26)。神の子どもたちがみことばどおり生きないで、不法を行なう時には、御霊がうめかれるので、悩み苦しむようになります。一方、みことばに聞き従って真理のうちを歩めば、御霊が喜ばれるので、平安と幸せが臨んで、御霊に満たされます。
信仰の一段階では、教会に通って神を信じるとは言っても、以前の生活が続きます。酒、タバコがやめられないこともあり、憤って自分の利益のために偽りを言うなど、世の人とほとんど変わりありません。まだ真理が何か、真理に逆らうものが何か知らないので、罪を犯しながらも罪だとわからないのです。まるで赤ちゃんが裸でも恥ずかしく感じられないようなものです。この時は御霊のうめかれる声も聞けません。
そうするうちに、みことばを聞いたとおり行なっていこうとする心が生じ、行なうために努力すれば、信仰の二段階に入ります。信仰の二段階では、みことばを知りながらも相変わらず罪を犯せば、御霊がうめかれるのを感じます。「こうしていてはいけないのに。真理はこれではないのに」と思いながら、悩み苦しむようになり、満たされなくなります。神に喜ばれないことを心で悟るからです。
それで、信仰の二段階にいる人は信仰生活が難しく感じられることもあります。知識ではみことばを知っていて、みことばどおり行なわなければならないことも知っています。しかし、まだ完全に行なうことはできません。行おうと努力しますが、勝利する時もあり、そうでない時もあります。みことばどおり行なおうと一生懸命努めますが、いざというと思いどおりにならないから、信仰生活が最もつらい段階です。
ある人は、この段階になると「教会に何のために来たのだろうか」と疑うこともあります。主日を守ろうと努力しますが、時には何かの集まりや約束、あるいは別の理由のゆえに完全に守れません。また、十分の一献金をことごとくささげなければならないというみことばを知っていても、時には聞き従えないし、憎まないように努めますが、相変わらず憎しみがあることを発見します。姦淫しようと思う心があるので、気に入った異性を見れば、心が動いたりもします。試練にあえば感謝できなくて、恨んで不平を言います。
しかし、このような時も気を落としたりあきらめたりしないで、信じて努力していかなければなりません。たとえ、みことばどおり完全に行なえないとしても、このように努力する姿をご覧になって、神が救われる信仰があると認められるのです。また、祈りながら神の力を求め、みことばどおり行なおうと努力すれば、変えられるのが感じられます。前は1か月に10回憤っていた人が、5回、3回に減って、結局罪を犯さない人になるのです。このように変えられるほど、信仰の二段階から三段階に近づくようになります。


2. 祈りながら御霊の願うことに従えば祝福

使徒パウロは<ローマ7:21-23>で「そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。」と言いました。
このように善をしたいと願う心と悪を行なおうとする心が一緒にあって戦うので、苦しく思う人がいます。二段階の中盤ぐらいでは、真理と真理に逆らうものの勢力が対等なので、葛藤が激しくなります。使徒パウロはこれについて「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ7:24)と嘆きました。
しかし、ずっと苦しいだけではありません。祈りながら御霊の願うことに従っていくほど、真理に逆らうものに従おうとする心はますます勢力を失います。そうすれば、真理どおり行なうことがたやすくなって、信仰生活がますます幸せに感じられます。そうしてパウロは苦しい段階で勝利して「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。」(ローマ7:25)と告白したのです。
このようにして行なえる信仰になれば、信仰の三段階に入ります。乳やおかゆを食べる段階から抜け出して、堅い食物を食べる段階の信仰になるのです。信仰の一、二段階にいる乳飲み子の信者は、みことばどおり生きながら、堅い食物を食べる信者になるために努力しなければなりません。
神は、信仰の一、二段階にいる人が熱心に信仰生活をしようと努めれば、試練や患難から守ってくださいます。しかし、このような段階に長くとどまっていてはいけません。みことばと祈りでこまめに信仰を成長させなければなりません。そうする時、神が時によって信仰の三段階に導くために訓練を受けることを許され、勝利すれば祝福を与えられ、より大きい信仰に導かれます。


3. 一天層の家と朽ちない冠

 信仰の二段階の人が入る天国の場所は一天層です。信仰の一段階の人が入るパラダイスとは違って、個人の家と冠と報いがあります。信仰の競走を立派に終えて勝利し、天国に入った聖徒たちは冠を受けます。一天層の冠は朽ちない冠です。
<第一コリント9:25>に「また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。」とあります。たとえ真理に逆らうものがたくさん残っていても、みことばを守り行なおうとしたことを、朽ちない永遠のものを望んで信仰の競走に参加したことと認めて、朽ちない冠を下さるのです。
ところが、一天層の家は宮殿のように大きくて華麗な建物ではありません。この地上の多世帯住宅やアパートに比べられるような家です。神の恵みによって天国に行って来た人の中で「天国にもアパートがあった」と証しすることがありますが、これは一天層を見たのです。
天国の家は純金と宝石のような天国の材料で建てられてあり、上の階と下の階の間に美しいエレベーターが設置されています。行きたい階を手で押さなくても、乗りさえすれば、行きたい所で自然に止まります。家の中に入れば、生活するのに必要なすべてのものがちゃんと揃っています。音楽を楽しむ人なら演奏できる楽器が備えられていて、本が好きな人の家には本があり、それぞれの好みによってゆっくり休む空間があります。主人の好みによって美しく飾られているので、たとえ一天層にいるとしても、大きい喜びと満足が持てます。
しかし、一天層には自分の家以外に個人が持てる施設がありません。代わりに共同で使える庭園やゴルフ場、プール、運動施設などがあります。また、個人的に仕える御使いはいないけれど、必要な場所はどこにでも御使いがいて施設を管理し、神の子どもが使おうとするとき、困らないように助けてくれます。
ある人は「天国に行けば、永遠の歳月、何をして過ごそうか。数えきれない歳月が過ぎれば退屈にならないだろうか」と考えます。天国には、この地上と比べられないほど多様で楽しいことがたくさんあります。華やかな宴会を楽しむだけでなく、スポーツやゲーム、娯楽施設と映画館、公演会場など、数えきれないほど備えてあり、不思議で新しい霊の世界を絶えず探求して学びます。しかも、天国には朽ちて変わる肉というものがないので、変わることも退屈することもないし、いつも新しい喜びと幸せで満ちています。
聖徒の皆さん、私たちは一天層で満足してはいけません。神は賜物として聖霊を下さり、主の心に似せられて、最もすばらしい新しいエルサレムまで激しく攻めて入るように待っておられるということを覚えて、努力してより大きい信仰に成長していくべきです。


* まとめと適用

1. ( )の中に正しい言葉を書いてください。
また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは(    )冠を受けるためにそうするのですが、私たちは(     )冠を受けるためにそうするのです。(第一コリント9:25)。

2. 一天層に関する説明のうち、間違っているものは?
①自分の家の他には個人が持てる施設がない。
②朽ちない冠と報いが与えられる。
③仕える個人の御使いはいないけれど、御使いがいて施設を管理する。
④一階建ての住宅が与えられる。


* 今週の課題
『信仰の量り』第十章の三に目を通してきましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう!
「朽ちない冠」とは?
この地上の冠とは違って、その価値が永遠であることを表していて、その輝きが決して失われない。金、銀、赤、青など、宝石の光を帯びたいくつかの種類があり、その形は冠として基本的で単純に作られている。

 
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