new commer 初めてお越しの方の登録 | ホームページ管理人に
hide
ManminCentralChurch

黙示録講解 | 信仰を測ると | 創世記講解

 
banner
on air
Sermon
Official Service
メッセージ(date)
主日礼拝
主日夕方礼拝
金曜徹夜礼拝
Lecture
ヨハネの手紙第一
黙示録講解
創世記講解
Theme Sermons
十字架のことば
信仰の量り
十戒
愛の章
天国
地獄
Columns
cell bible
 
隠れたマナ
2019年
六日間のマナ・上
六日間のマナ・下
神の良きみこころ

信仰の量り
愛の章
御霊の実
神の七つの御霊
祝福の秘訣
クリスチャンの基本
わたしはそれをしましょう
義人は信仰によって生きる
八つの幸い
2010年
2009年
2008年
隠れたマナ
2019年
六日間のマナ・上
六日間のマナ・下
神の良きみこころ
信仰の量り
愛の章
御霊の実
神の七つの御霊
祝福の秘訣
クリスチャンの基本
わたしはそれをしましょう
義人は信仰によって生きる
八つの幸い
2010年
2009年
2008年
column
counselor
mis_cross_jp
MIS_Spirit
MIS_HolySpirit
MIS_HolySpirit
 
聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第28課 「善の段階(2)」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2010-07-16


読むみことば: ローマ12:2
覚えるみことば: マタイ5:39
参考にするみことば: マタイ5:39-42
教育目標: 善の三段階と四段階について知って、さらに高い次元の善の心に変えられ、神の愛と祝福を思いきり味わう。

前回は完全な善に至る過程を四段階に分けて、一、二段階について調べました。悪をもって悪に報いるのではないが、気まずくなったり気に入らなくなったりするのを抑えて我慢する一段階の善、心にどんな悪い感情もいだかない二段階の善を超えて、三、四段階の善の心になるためには、どうすればよいでしょうか?


1. 相手を感動させる三段階の善

善の三段階は、悪を行なう相手にも善を行なって、むしろ感動を与えることができる善の次元です。心に悪がないので、単に悪をもって対抗しない善の二段階が消極的な善の段階とすれば、悪をもって対抗しないところにとどまるのではなく、むしろ善をもって悪に報いる善の三段階は、積極的な善の段階と言えます。
このような善の段階に入ってきた人は「全く聖なるものとされた」と言えます。神のことばに「してはならない、避けなさい」とあるように、肉の性質を完全に捨てて、悪はどんな悪でも避けただけでなく、「しなさい、守りなさい」というみことばも完全に臨んだ状態です。
たとえば、<マタイ5:39-42>に「しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。」とあります。このようなみことばを心の底から自然に行なえる人なら、善の三段階に入ってきたのです。
自分の損益を先に計算しないし、善を行なうためには自分の犠牲も気にしません。また、自分に敵のように対する人がいても、「どうすればその人の心を溶かして平和を保とうか」だけを考えるのです。善の深い段階に入るほど、現実では自分を犠牲にすることもありますが、心が善に満ちている人は善を行なうこと自体がうれしくて楽しいので、つらく思いません。
重要なことは、霊的には罪がないことが力であるので、悪を捨てて善の心に変えられたほど、霊的な光も強く現れることです。善の二段階にだけ入っても、霊的な光のため敵である悪魔・サタンが働けないので、試練や患難や迫害が退いて、試練がやって来ても善をもって通り抜けて、かえって祝福されるようになります。
まして善の三段階に入るなら、悪い者が触れることができないだけでなく、敵である悪魔・サタンの策略を打ち砕けます。たとえば、悪を行なう相手の心が善なる言葉と行ないに感動して、悪を悔い改めて立ち返るみわざが起こります。これは、善を行なう人の霊的な光があまりにも強くて、相手に働く敵である悪魔・サタンが退いて、その相手の心に残っている小さい善にまでその光が届いたから起こることです。したがって、善とは、単に心が良いから負けてあげて、すべてを渡す弱いものではなく、敵である悪魔・サタンを退けて、その策略も打ち砕いてしまう大きい威力を持っているのです。
ダニエルの場合、不当にも陰謀にはまって獅子の穴に投げ込まれましたが、陰謀を企てた人々に対して少しも悔しい気持ちもなく、恨みもしませんでした。王が自分の命を助けてくれなかったからといって、むなしく思わなかったし、神が働かれて獅子の穴から生きて帰った時も、ただこの上ない仕えの言葉で王に告白します。「王さま。永遠に生きられますように。私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」と言ったのです(ダニエル6:21-22)。
このように善なる言葉を聞くと、どれほど王の心の琴線に触れたでしょうか。王はダニエルに害を及ぼそうとした人々に直ちに罰を与え、ダニエルを輝かせただけでなく、全国にダニエルの神を尊重するように命令しました。ダニエルのように相手を感動させる三段階の善に至れば、神がいつもともに歩まれ、何でも心にいだいたとおり答えてくださいます。
ところで、これよりさらに高い次元の善があります。ダニエルも三段階の善にとどまったのではなく、最も高い次元の善の心になって、新しいエルサレムでも尊い座に至りました。もし「私はまだ悪も完全に捨てていないのに、いつ善の二段階を過ぎて、三段階に至るだろうか」と思う方がいるでしょうか? 神は「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」(ガラテヤ6:9)と言われたので、まだ悪を完全に捨てていなかったとしても、熱心に善を行なおうと努力するなら、すみやかに捨てることができます。もちろん心自体が善に変えられて善なる言葉と行ないが出てくるのとは違いますが、神を愛するので最善を尽くして善を積んでいくなら、善の行ないが出てくるようになります。私たちが善をもって思い、善をもって話し、善を行なおうと努力すれば、その分、悪を捨てられます。
このように悪を捨てて善を行ない、悪を完全に捨て去ったら、その時がついに善の二段階です。ですから、善の二段階でも、時によって相手に感動を与える善の言葉や行ないが出てくることもあります。時には相手に真っ向から対抗しない程度で終わる場合もあり、ある場合は悪を行なう相手の心を安らかにする善の言葉を口に出たりもします。一歩進んで、相手の心に感動が与えられる善なる仕えの行ないが出てくることもあります。
ところが、善の三段階ではこのような善なる言葉と行ないがいつも出てくるのです。ですから、「私は相手が悪を行なっても全然気を悪くしないで、むしろ善の言葉を口にしたので、善の三段階だろう」と言えるのではありません。どんな状況でも、どんな相手にも、いつも気を悪くしないで相手に善を行なったのかを顧みなければならないのです。


2. いのちをも惜しまず与える四段階の善

最も次元の高い四段階の善は、悪を行なう相手のためにいのちをも惜しまずに与えられる善の次元です。それは、罪人のためにひとり子イエス様をなだめの供え物として渡してくださった神の善の次元であり、正しい人や情け深い人だけのためではなく、罪人のためにご自身のいのちを与えてくださった私たちの主イエス様の善の次元です。
イエス様は罪人が受けるべき死という呪いを贖うために、木にかけられただけでなく、傷のない尊い血を注ぎ出されたことによって、罪人のすべての罪をただ一度で贖ってくださいました。まことに神の愛と恵みを悟り、神が望まれるまことの子ども、すなわち、キリスト・イエスの心構えでいて、神をこの上なく愛し、神に喜ばれる完全な御霊の子どもになることを願われたからです。
聖書には、悪を行なう相手のために、イエス様のようにいのちも惜しまずに与えられる四段階の善に至った方々がいます。
<出エジプト32:32>には、神のことばに逆らって不従順を繰り返すイスラエルの民のために、預言者モーセが神に切に祈る内容があります。「今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら──。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」エジプトから連れ出すために神がお立てになった指導者モーセは、イスラエルの民に、葦の海を乾いた地のように歩いて渡るなど、多くの驚くべき神の力を体験させました。それでも民はいつもつぶやいて、モーセを恨み、はなはだしくは石で打とうとまでしました。このような民なのに、自分のいのちと引き換えに、彼らの罪を赦してくださいと神に祈ったのです。
<ローマ9:3>を見れば、新約時代の使徒パウロも、モーセのような心で祈りました。「もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。」とあります。ここで「私の同胞、肉による同国人」とは、ユダヤ人とパリサイ人のことで、彼らは当時、ひどく使徒パウロを迫害して妨げた人々です。はなはだしきは、ユダヤ人の中にパウロを殺す前には飲み食いしないと誓いを立てた人たちもいました。このように自分を迫害して妨げる人であっても、使徒パウロは自分が救われないとしても、彼らは救われることを願う心で神に求めたのです。
アブラハムとエリヤ、エノクのような方も最高の善の次元に至りました。このような次元に至れば、敵である悪魔・サタンが妨げないだけでなく、上から神の力も授けられて、神に大いに栄光を帰すことができます。そして、将来、天国の最も美しい場所である新しいエルサレムにとどまることはもちろん、神の御座のさらに近くにとどまり、とこしえに大きい栄華を味わうようになります。信仰によって美しい善を慕い、ただ神のことばに聞き従えば、すみやかに完全な善の段階に入れます。


* まとめと適用

1. ( )の中に正しい言葉を入れてください。
善の一段階:( )をもって対抗しないで、( )を抑えて我慢する段階である。
善の二段階:悪をもって( )に報いないで、心にどんな悪い( )もない。
善の三段階:悪を行なう相手に( )を行ない、むしろ( )を与える。
善の四段階:悪を行なう相手のために( )も惜しまずに与えられる。

2. 次の中で最高の善の心になった方を選んでください。
1. 使徒パウロ 2. ダニエル 3. モーセ 4. エリシャ

 3. 次のうち、善に関する聖句でないものを選んでください。
1. マタイ5:38-42 2. ローマ9:3 3. マタイ5:28 4. 出エジプト32:32


* 今週の課題

「善の四段階」で、二段階と三段階、三段階と四段階の違いは何でしょうか?

 
ManminCentralChurch
73, Yeouidaebang-ro 22-gil, Dongjak-gu, Seoul, Korea
- tel 82-2-818-7000 - fax 82-2-851-3846
COPYRIGHT MANMIN CENTRAL CHURCH, ALL RIGHTS RESERVED