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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第34課 「ナアマンの善」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2010-08-27


読むみことば: ルカ4:27
覚えるみことば: 第二歴代20:20
参考にするみことば: 第二列王5章
教育目標: ツァラアトがいやされたナアマン将軍のように、神に認められる善の行ないによって信仰を全うし、心の願いに答えられるようにする。

聖書を見れば、いくら大きい神の力を行なう預言者やイエス様とともにいるとしても、すべての人が神に祝福されたのではありません。心が善であって真理を追い求める人でこそ、ナアマン将軍のように神に祝福されました。[ルカ4:27]に「また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、ツァラアトに冒された人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」(新改訳第三版)とあります。ナアマンの行ないが神に答えられる秘訣だからです。
それでは、神に答えられたナアマン将軍の善とは、はたして何でしょうか?


1. 幸いで良い知らせを耳に留められる善

ナアマンはイスラエルと接した国、すなわち、アラムの将軍でしたが、ツァラアトに冒されていました(第二列王5:1)。この病気は不治の病なので、いくら良い薬と有名な医師の力ではもちろん、自分が仕える神に頼ってみても、いやされませんでした。この時、イスラエルの地から捕えられて来たひとりの若い娘が「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのツァラアトを直してくださるでしょうに。」と言いました。結局、この話はナアマンの耳にも聞こえるようになり、彼は女のしもべの話を軽く思いませんでした。王に寵愛される身分でしたが、とるに足らないしもべの言葉も聞き流さないほど、へりくだっていたのです。
このように、幸いで良い知らせを聞くとき、伝える人が誰であろうが、それを耳に留められるへりくだった心を、神は「善だ」と認められます。もしナアマンの心がかたくなだったら、「お前が何を知っていると言うんだ。余計なお世話だ!」と無視してしまったでしょう。
今日も「神様は生きておられます。神様の前に信じて出てくれば、神様は何でも答えてくださいます」と伝道すれば、聞こうともしない人々が多いです。さらに、地位が高くて財産が多い人であるほど、何としてでも世に頼ってみようとするので、伝道する人の話に耳を傾けないのが見られます。


2. 信仰の確信を行ないとして完全に表す善

 ナアマンは女のしもべが知らせてくれたイスラエルの預言者に会うために、しもべたちに「迎えに行ってきなさい」と命じたり、手紙で自分のために祈ってくださいと頼んだりしませんでした。自分が直接、預言者を探しに出かけました。また、[第二列王記5:5]に「ナアマンは銀十タラントと、金六千シェケルと、晴れ着十着とを持って出かけた。」とあります。神の預言者の前に進むのにあたって、蒔かないで刈り取ろうとしたり、蒔いたもの以上に刈り取る幸運を望んだりしませんでした。ただ「答えられる」という切なる心で、まことを尽くして贈り物を用意したのです。
このように、ナアマンは病気のからだを引きずって、直接エリシャを訪ねました。ところが、預言者エリシャは顔も見せないまま、使いをやって「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」と伝えます。ひどく怒ったナアマンは「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、【主】の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このツァラアトに冒された者を直してくれると思っていたのに。」と言います。ただヨルダン川へ行って七たび身を洗ったらきよくなると言うので、人間の思いでは信じられなかったのです。かえって自分を見くびっているようだと思って、自分の国へ帰ってしまおうとします。
この時、ナアマンのしもべたちが「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」とエリシャの言葉に聞き従うことを勧めます(第二列王5:13)。
ここでしもべたちがナアマンを「父」と呼んで勧められたということから、普段彼がどれほど善でへりくだった人だったのかがわかります。ナアマンはしもべたちの言葉を無視しないで聞くことができて、それが正しくて良いことなら受け入れる、広くて大きい心を持っていました。それで、このような状況でも、しもべたちがナアマンに勧めることができたのです。
ナアマンはしもべたちの勧めを聞いてすぐ思い直し、預言者エリシャの言葉どおりヨルダン川で七たび身を洗いました。霊的に「七」とは「完全さ」を意味する完全数です。ヨルダン川の「水」とは「神のことば」を意味するので、「七たび身を洗う」とは「神のことばに完全に聞き従う」という意味です。ナアマンは三たび、四たび洗ってもきよくならないので、途中であきらめてしまったのではなく、エリシャの言葉に完全に聞き従って、七たび洗いました。その結果、彼のからだはきよくなり、神のみわざを見るようになったのです。
ナアマン将軍は神のみこころに従い、自分の思いに合わないとしても、預言者が伝えてくれた神のことばを信じて、完全に行ないました。ですから、神が喜んでお受けになり、ただちにいやしてくださったのです(第二列王5:14)。神は、ナアマンのように神の人を信じて信頼することを、生ける神を信じて信頼することとみなされて、善だと認められるのです(第二歴代20:20)。


3. 受けた恵みに背かないで報いられる善

[ルカ17:17]には、イエス様が十人のツァラアトに冒された人をいやしてくださったのに、たったひとりだけが来てイエス様に感謝すると、「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。」と言われる場面が出てきます。
今日も、人々が神にある病気をいやされることを願ったり、心の願いに答えられようとしたりする時は「いやされたら、命を尽くして忠実に仕えます。答えられたら、今後こうします」と約束します。ところが、いやされて答えられたら、多くの人が自分が口にした言葉を守らないのが見られます。心が変わって、神の恵みを忘れてしまいます。
しかし、ナアマンは受けた恵みに背きませんでした。[第二列王記5:15]に「そこで、彼はその一行の者を全部連れて神の人のところに引き返し、彼の前に来て、立って言った。『私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。それで、どうか今、あなたのしもべからの贈り物を受け取ってください。』」とあります。いやされた後にただ帰ったのではなく、自分とともに来たすべての人を連れてエリシャのところに引き返して、感謝の心を表したのです。また、ただちに神を認めて、神だけを拝むと誓います。
今日、どれほど多くの人が神にいやされたのに、再び世に出て行って、世と友になって、お金を、名誉を、権威を愛して、神のことばに聞き従わないでしょうか。その中には神から全く離れてしまった人もたくさんいます。ナアマン将軍が当然人間としてすべきことをしただけなのに、今日はそうでないために、このような心だけ持っても、神は善だと言われるのです。
[第二列王記5:17-18]で、ナアマンが自分をしもべに格下げして、エリシャにへりくだって言います。「しもべはこれからはもう、ほかの神々に全焼のいけにえや、その他のいけにえをささげず、ただ【主】にのみささげますから。【主】が次のことをしもべにお許しくださいますように。私の主君がリモンの神殿に入って、そこで拝む場合、私の腕に寄りかかります。それで私もリモンの神殿で身をかがめます。私がリモンの神殿で身をかがめるとき、どうか、【主】がこのことをしもべにお許しくださいますように。」
リモンの神殿、すなわち、外国の神の前で身をかがめることも、ナアマン将軍は大変神の御前に申し訳ないと思っているのです。自分が外国の神に仕えたり拝んだりするのでもなく、王が自分の腕に寄りかかるので、心ならず身をかがめるしかありませんが、これまでも赦してくださいと切に願っているのです。ですから、ナアマンの心がどうなのかわかるでしょう。
ナアマンは神が施してくださった恵みに感謝できて、一度見つけた神を裏切らない、善なる心を持っていました。それで、神はイスラエルに数多くのツァラアトに冒された人がいるのに、外国人であるナアマンを選んで栄光を受けられたのです。
神は人のうわべを見るのではなく、心を見られます。世の数えきれないほどの人の中でも、誰が一度受けた恵みを忘れない、移り変わらない心を持っているかをご存じです。それで、ナアマンのような人々を選んで、大いなる恵みと祝福を下さり、彼らを通して神のみこころが実現されるようになさるのです。神は、自分の利益のために状況によって移り変わる心がない人に、必ず祝福を与えてくださいます。
一度受けた恵みは決して忘れないで、仮に自分が害を受けても移り変わらない心なら、神の祝福がすみやかに臨みます。ですから、皆さんもナアマンのように善で移り変わらない正しい心に変えられて、神が備えられたすべての祝福を思いきり受けて味いますように。


*まとめと適用

1. ( )の中に正しい言葉を入れてください。
「あなたがたの神、【主】を信じ、( )を示しなさい。その( )を信じ、( )を得なさい。」 (第二歴代20:20)

2. ナアマン将軍に関する内容です。正しければ○をつけてください。
①幸いで良い知らせに耳を留められる人だった( )
②幸いな知らせを聞いて、信仰の確信を行ないとして完全に表した( )
③受けた恵みに背かないで報いられる、移り変わらない心だった( )
④いやされた後、アラムに帰ってリモンの神を拝んだ( )

3. 皆さんは自分の思いと合わないとしても、牧者が言われたことを完全に信じて信頼しますか? それとも疑っていたけれど、何かの結果が出てきてはじめて信じますか?


*今週の課題

次回は使徒パウロの善について学びます。第二コリント11章を読んできましょう。


*「用語」を知って力にしましょう!

「リモン」とは?
「荒っぽく叫ぶ」「ほえ叫ぶ」という意味の名を持ったアラムの国の神である。

 
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