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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第40課 「アブラハムの善(1)」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2010-10-08


読むみことば: 創世記13:8-9
覚えるみことば: 創世記13:9
参考にするみことば: 創世記14:22-23

教育目標

神に愛されて祝福されたアブラハムの善とは何かを悟り、すべてのことに知恵をもって行ない、この上ない善を感じて所有するようにする。

アブラハムは神に喜ばれる信仰を所有して、「信仰の父、その名は祝福、神の友」と呼ばれた昔の信仰の人です。このようにアブラハムが神に愛されて認められ、祝福された生き方ができた根本的な理由は何でしょうか? 今回も善の観点から調べてみます。アブラハムのこの上ない善を知って、完全に所有しますように。


1. 寛容と温順の心を持っていたアブラハムの善

人が悪を捨てて心が真理に変えられるほど、豊かで余裕のある心になって、寛容と温順の心が臨むのが見られます。まず「寛容」とは、「真理が心に豊かに臨みながら、同時に真理による自由があるので、自分の持っているすべてを渡せる心」のことです。次に「温順」とは、霊的に「善で美しい心」のことを言い、「真理にあってああでもいい、こうでもいいが、そのうちでも神が喜ばれるほうを選べる心」です。このように温順の心を持っている人は、甘い水だけを出すくちびるの果実と、善で美しい行ないの実を結ぶようになります。
アブラハムは寛容と温順の心を持っていました。これは、アブラハムがおいのロトに先に良い地を選ぶように選択権を譲る行ないを通してわかります。神のみこころに従ってアブラハムの生まれ故郷、父の家を出て来るとき、おいのロトもいっしょにいました。神が祝福してくださるとき、いっしょにいたロトも祝福されました。ところが、ふたりとも持ち物が増えて、水と牧草地が足りなくなると、これ以上いっしょにいることができなくなりました。
この時、アブラハムはロトに「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」(創世記13:8-9)と言いました。このように、いくらでも自分が選べる優先権を主張しないで、ロトが先に選べるようにしたのです。
すると、ロトはどこもよく潤っていて、より肥えた地を選んで離れました。人の道と恵みを知っているなら、おじに良い地を譲るべきでしたが、ロトは一度も遠慮しないで、自分が見て良い地を選んで離れたので、その心の出来がどうなのかよく現れています。このようにロトがしても、アブラハムは決して「今までよくしてやったのに」と思ったり、気まずくもならなかったし、彼の豊かな心には何も引っかかるものがありませんでした。アブラハムには相手に与えてまた与えられる寛容の心と、これでもあれでもいいが、神が喜ばれるほうを選べる温順の心があったからです。心から相手に仕えて、小さい者にも自分が主張できる権利を渡せたし、むしろもっとほしいと言っても喜んで与えられました。このように自分のすべてを喜んで渡せるアブラハムの心が、まさに神が認められる善です。


2. 私心がなく正直で、誠実に行なったアブラハムの善

 アブラハムはもともと心が美しくてきれいで、多くの人をいだける大きい器でした。神はこのように美しくて大きい器が金の器に完全に変えられるようにご自身で訓練され、試練にあうようになさいました。アブラハムは訓練の時間を信仰と希望をもって過ごし、神の御前で正直に行なって祝福されたのです。
大きくて良い器であり、正直で誠実に行なうことを慕うアブラハムだったので、すべてのことを徹底して正確に処理して、神の御前に完璧にやり遂げようとしました。神の御前で自分は何者でもないと心から認める低い心でしたが、神の御名によっては何でもできるという全き信仰があったのです。それで、何かの困難がやって来た時も全く揺れ動かなかったし、そのような心に加えて、正直で誠実に行なっていくと、彼の道は祝福の道になりました。
<創世記14章>には、アブラハムのおいのロトが戦争で捕虜になったとき、アブラハムが先立っておいを救い出した出来事が記されています。このような活躍によって、ロトが住んでいたソドムの王のほうが勝利しました。ソドムの王は謝礼として戦争で得た財産を取るように勧めました。ところが、アブラハムは「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが、『アブラムを富ませたのは私だ。』と言わないためだ。」(創世記14:22-23)と言います。
戦争を勝利に導いた主役であり、ソドムの王に大きい恵みを施した恩人として、戦利品を取るとしても誰も文句を言う人はいません。それでも、彼は私物としての利益を手に入れようとする、真理に逆らう心が全くなかったのです。また、人のほうで自分の利益を追い求めて富を積むのではなく、たましいに幸いを得ているほど神が下さる祝福だけで富むことを願いました。
皆さんも本当に神様から祝福されたいと思うなら、このようなアブラハムの善が心に臨み、神様が覧になって正直に行なわなければなりません。ところが、人は自分の欲望に従って、まず目に見える利益を求めて行なうので、祝福されないのです。<箴言28:10>に「正直な人を悪い道に迷わす者は、自分の掘った穴に陥る。しかし潔白な人たちはしあわせを継ぐ。」とあります。実際に皆さんを悪い道に迷わす人がいないとしても、皆さんの心に欲があれば、惑わされて穴に陷ることがあります。
それで、アブラハムは自分が取ったとしても過ちにならないのに、取りませんでした。それだけでなく、功としてただで得られるものにも、必ず代価を払ったのです。それは妻のサラの墓地を求めた時のことです。<創世記23章>で、葬るほら穴をただで差し上げますとヘテ人たちが提案したとき、アブラハムはあえてそれに相当する代価を払って、墓地としてマクペラのほら穴を手に入れました。これも、少しも私心がなくて正しくないことは受け入れない、正直で誠実な心がいっぱいに満ちていることを示しています。
ところで、アブラハムが代価を払って確かに自分の所有にしたことは、善の知恵があったからできたことです。肉の人の心はいつでも変わることがあるので、今はただで差し上げますと言っても、後になると心が変わって、また土地を返してほしいと言うこともあります。このように、後の日のことまで見通す知恵があったので、問題が起きる余地を根本的に残さなかったのです。
ソドムの王が勧める戦利品を取らなかったことも、善の知恵の一つです。後日、アブラハムがもっと富んだとき、ソドムの王は、あの時、自分がすべての戦利品をアブラハムにあげたから彼が富んだと言えるので、ソドムの王の提案を断固として断って、少しも神の栄光を遮らないように知恵をもって行なったのです。
<創世記21章>には、アビメレクのしもべどもがアブラハムの井戸を奪い取った出来事があります。この時、アブラハムはアビメレクに抗議しながら、これに対して補償を要求したのではなく、かえって七頭の雌の子羊を与えて、井戸に対する自分の所有権を確かにしました。相手の過ちが明らかだとしても、自分からまず平和を追い求め、そうしながらも今後は二度と井戸による争いが起きないように、明確な線を引いたのです。
もしアブラハムが相手の過ちだけ咎めてしまったなら、アビメレクは心から悔いるよりは、しかたなく退くということなので、まことの平和がつくれません。再び窮地に追い込まれたり、機会があれば井戸を奪い取られることもあるので、被害を補償すべきアビメレクに、かえって井戸の代価を払ったのです。ですから、アビメレクが心からアブラハムに屈服するようになり、その後は井戸をねらうこともなかったのです。
このように、アブラハムは神が備えられた祝福の道に導かれる過程で、いつも善の知恵をもって、その結果がすっきりと完璧になるように処理しました。ですから、争うこともなくなって平和を保つようになれたし、一歩進んでどんな問題もないように結末をつけました。このように善の知恵を所有すれば、神の国を広げる時にも妨げられないで、すみやかに神の摂理を実現できるし、ひょっとして自分に過ちを犯した相手であっても、善の知恵をもって行なえば、自分を助ける人に変えることができます。
ところで、このような善の知恵は、まず自分のものを渡せる豊かな心になって、何の私心もなく正直に行なう時に臨むのです。<ヤコブ3:17-18>に「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」とあります。さらに善を慕って、アブラハムの善の次元に至れますように、主の御名によって祈ります。


まとめと適用

1. 預言者アブラハムの寛容と温順の心が込められている聖句を選んでください。

①創世記13:9 ②出エジプト記32:32 ③創世記12:1 ④創世記22:12

2. 私心がなくて正直で誠実に行なったアブラハムの善でないものは?

①ソドムの王が勧める戦利品も、私物として取らなかった。
②自分が取っても咎められない物は取った。
③ただで差し上げますというサラの墓地マクペラのほら穴も、正当に代価を払った。
④アビメレクのしもべどもが井戸を奪い取った時も、補償を要求したのではなく、かえって七頭の雌の子羊を与えて、紛争の余地を残さなかった。


今週の課題

次回は「アブラハムの善(2)」を学びます。ヘブル人への手紙11章のアブラハムについての箇所を読んできましょう。


「用語」を知って力にしましょう!

「マクペラのほら穴」とは?
アブラハムは自分と家族の墓地とするために、ヘテ人のエフロンが持っていた土地を銀四百シェケルを払って購入した。マクペラのほら穴とは、その土地にあったほら穴の名前である。

 
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