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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   信仰の量り(2) 「霊の信仰を持つには」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2013-03-02


読むみことば: ヘブル11: 6
覚えるみことば: 第二コリント10:5
参考にするみことば: ローマ10:17
教育目標: 神に喜ばれる霊の信仰とは何であり、どうすれば霊の信仰を持つことができるのかについて調べてみる。

多くの人がイエス・キリストを受け入れて、全知全能の神を信じていると言いますが、祈っても答えられません。試練や患難の中でつらそうに信仰生活をしている人々さえいます。その理由は何でしょうか? 前回学んだとおり、自分の知識と思いに一致することだけ信じる信仰、行いのない信仰、すなわち、肉の信仰だからです。
今回は、神に喜ばれて、祈ることはすべて答えられる霊の信仰について具体的に調べてみます。


1. 神に喜ばれる霊の信仰とは?

霊の信仰とは、私たちの目に見えなくて、人の思いや知識に合わなくても信じるものであって、無から有の創造を信じる信仰です。霊の信仰を持てば、神がことばによって天地万物を創造されたし、土地のちりで人を形造られたということが疑いなく信じられます。
霊の信仰は自分が願うからといって与えられるのではなく、霊である神が与えてくださる信仰です。ですから、聖書に記された数多くの出来事が信じられて、神が下さった命令を守り行うようになるのです。何でも信じて祈り求めるとおり答えられたと信じるので、信仰生活が楽しくて幸せです。このような霊の信仰を持つとき、神がまことの子どもだと認められ、答えて祝福してくださいます。
たとえば、他の人の土地を借りて耕作する人がいるとしましょう。同じ条件で、ひとりは五束を刈り取り、他のひとりは一束しか刈り取れませんでした。どちらのほうが認められてほめられるでしょうか? 当然たくさん刈り取った人でしょう。五束を刈り取った人は、まめに雑草を抜いて、時々水をやって、汗を流して苦労したからです。しかし、少し刈り取った人は、努力しないで農作業を怠ったので、実が足りないのです。
同じように、霊の信仰を持てば、自分の日常の中で御霊の実が結ばれるようになり、周りの人からほめられて愛されるようになります。<マタイ26章>に記されていますが、ペテロが聖霊を受ける前は、イエス様を三度も否定しました。しかし、聖霊を受けてからは変わりました。つまり、肉の信仰が霊の信仰に変わると、死も恐れないで堂々と福音を伝える、神の力を行う使徒になりました。十字架に逆さにつけられて殉教するまで、神に喜ばれる信仰の道を歩みました。
このように霊の信仰を持てば、どんな状況でも変わらず神を信頼して従います。神のことばを徹底的に守り行い、移り変わらない心になってこそ、神に喜ばれる霊の信仰を持つことができるのです。霊の信仰は行いのある生きた信仰なので、救いと永遠のいのちを与えることはもちろん、完全な真理の人に変えさせます。また、信仰の父アブラハムのように、霊肉ともに驚くべき祝福を受けられます。
<ヘブル11:6>に「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」とあります。信仰は答えの鍵であり、宝の中の宝であり、信仰がなくては神に喜ばれることができません。
それでは、どうすれば神に喜ばれる霊の信仰を持つことができるでしょうか?


2. 霊の信仰を持つには

1) 疑いをもたらす肉の思いと思弁を打ち砕かなければなりません
人が生まれてから入力された世の知識は、ほとんどが真理である神のことばに反します。霊の信仰を持つことにおいて、大きい妨害要素になります。特に進化論は創造主の神に正面から逆らって立つ思弁であって、無から有を創造される神の力を信じられなくさせます。
したがって、霊の信仰を持つためには、進化論のように神のことばを信じられないように疑いをもたらす思弁と、神のことばに反するすべてのはかりごとを捨てなければなりません。世の思弁と肉の思いが捨てられなければ、神のことばが信じられません。いくら熱心に教会に通って礼拝をささげても、霊の信仰が与えられません。ですから、救いも祈りの答えも受けることができないのです。
使徒パウロが主に出会う前は、肉の信仰の持ち主でした。救い主であるイエス様がわからなかったので、主を信じる人々を捜し歩いて捕え、牢に入れて迫害しました。しかし、ダマスコで主に出会って悔い改めてから、自分が積んできたすべての知識と思弁とはかりごとを打ち砕いていきました。
<ピリピ3:8>に「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、」とあります。主を知っていることがすばらしいので、自分のすべてのものをちりあくたと思いました。このように自分の知識とはかりごとを打ち砕いて、霊の信仰に変えられると、数多くの不思議としるしを行う、神の力を現すしもべになりました。
したがって、肉の信仰を霊の信仰に変えさせようとするなら、真理に反するすべての思弁とはかりごとを打ち砕かなければなりません(第二コリント10:5)。

2) 神のことばを熱心に聞いて教えられなければなりません
<ローマ10:17>に「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」とあります。私たちが熱心に神のことばを聞いて教えられるとき、神について深く知るようになり、信仰が育つようになります。みことばはすなわち神であるので、多く知るほど神のみこころもさらに明らかに悟ることができます。また、御霊の与える剣である神のことばによって、敵である悪魔・サタンを打ち破っていけます。
もし聖書を聞いたり学んだりしなければ、神のみこころも悟れないだけでなく、神に喜ばれることも行えません。それで、神のことばを熱心に聞いて学ぶことはまことに重要ですが、知識としてだけ積んで、行わなければ、高ぶりになることもあるので、いつも注意しなければなりません。頭で知っている知識を、まるで行っているかのように錯覚するからです。神のことばを聞いて行うとき、霊の信仰に成長するということを忘れませんように。

3) 神のことばをそのまま信じて守り行わなければなりません
立派なピアニストになろうとするなら、教本だけ数百回、数千回読んで知っているからといって、なれるのではありません。直接ピアノを演奏して、身を削るような練習をしなければなりません。
同じように、神のことばをいくら熱心に読んで聞いて学んでも、日常生活に適用して行わなければ役に立ちません。みことばを守り行うとき、それが生きて働いて自分にとっていのちになり、答えと祝福が臨むのです。
私たちが疑いなくみことばを聞いて行えば、心に確信が生じ、霊の信仰を神が与えてくださいます。つまり、「しなさい、守りなさい、してはならない、避けなさい」という神のことばをそのとおり守り行うとき、神が恵みを与えて強くしてくださるのです。それだけでなく、聖霊に満たされて行いがさらに完全になり、できないことができるようになります。
ところが、聖書で、エジプトから出たイスラエルの第一世代は、乳と蜜の流れるカナンの地を神が下さったと言っているのに、信じられなくてつぶやくことが見られます。ただ、ヨシュアとカレブだけが神を完全に信じて、「彼らは私たちのえじきとなるからだ。」と告白しました。しかし、民は「その地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちには自分がいなごのように見えた」とその地をひどく悪く言いふらすかと思えば、「なぜ【主】は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。」と、ひとりのかしらを立てて帰ろうとまでしました。霊の信仰ではなく、肉の信仰だったからです。
エジプトから出たイスラエルの民は、エジプトに下された十の災いと、葦の海が分けられて、神がマナとうずらを送ってくださり、岩から水が出るなど、神のみわざを数えきれないほど見ました。しかし、いざと言うとき、みことばに聞き従える霊の信仰に変えさせられなくて、相変わらず肉の信仰にとどまっていました。
霊の信仰は、どんな状況でも生ける神を信じて、みことばどおり守り従うとき与えられます。皆さんは神のことばを聞いて学び、完全に守り行って、霊の信仰を持つことはもちろん、新しいエルサレムの主人公になりますように。


* まとめと適用

1. 霊の信仰とは何でしょうか?

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2. エジプトから出たイスラエルの民がどんな信仰を持っていたので、神を恨んでつぶやいたのでしょうか?
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3. 霊の信仰を持とうとするなら、どうすべきでしょうか? 空欄に正しい言葉を入れてください。
第一、
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第二、
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第三、
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* 今週の課題

次回からは信仰の段階について学びます。聖書で信仰の成長過程について書いてある箇所はどこでしょうか? 捜してきましょう。


* 「人物」を知って力にしましょう!

「ヨシュア」エフライム部族のヌンの子である。モーセの従者で、アマレクとの戦争で軍隊の指揮官として輝かしい功績を立てた。乳と蜜が流れるカナンの地を偵察した12人の中で、カレブとともに堅い信仰の手本を見せた。
「カレブ」ユダ部族のエフネの子である。カナンを占領しなさいという神の命令に逆らったイスラエルの民とは違って、それに聞き従い、カナンの地のヘブロンに定着する祝福を受けた。

 
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