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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   信仰の量り(8) 「信仰の三段階の入り口と信仰の岩」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2013-04-20


読むみことば: マタイ7:24-25
覚えるみことば: ヘブル12:4
参考にするみことば: マルコ9:29
教育目標: 信仰の三段階の入り口と信仰の岩の上に立った時の信仰生活の違いについて調べてみる。

私たちがイエス・キリストを受け入れると、みことばを聞いて読んで学び次第、罪を捨てようと努力していきます。罪について、義について、さばきについて悟って、みことばどおり生きようと努めます。しかし、思ったほどやさしくはありません。それは、心の中にある真理に逆らうものが御霊によって導かれないようにしているからです。それで、罪と戦って、血を流すまで抵抗して捨てようとしますが、この段階がまさに信仰の三段階です。


1. 罪と戦って捨て始める信仰の三段階の入り口

信仰の三段階になれば、聖書66巻に記されたみことばに聞き従って、「避けなさい、捨てなさい」と言われたことを熱心に避けて捨て、「しなさい」と言われたことは熱心にしていくようになります。それならば、主日を守って十分の一献金をする人は、みな信仰の三段階に入ったのでしょうか? そうではありません。主のしもべや他の聖徒の目を気にしたり、試練や患難がやって来るのではないかと恐れて、しかたなくする場合もあるからです。
私たちの心をご覧になる神は、心は世に奪われて、からだだけ聖殿に来て形式的に礼拝をささげても、完全に主日を守ったと言われません。このような人は十分の一献金をしていても、相変わらず信仰の二段階にいるのです。
ところで、同じ信仰の段階にいても、人によって信仰の量りは違います。たとえば、信仰の二段階を100に分けて信仰を量るなら、10%、20%、50%と成長して、100%に近くなるほど信仰の三段階に近いし、100%になってこそ信仰の三段階に入ったと言えるのです。
信仰の三段階で罪と戦って血を流すまで抵抗して捨てるためには、<マルコ9:29>に「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」とあるように、まず火のような祈りと断食による自分の努力が必要です。そうしてこそ神が下さる恵みを受けて強くされ、みことばどおり生きていけるのです。


2. 信仰の三段階で60%以上になれば信仰の岩

信仰の三段階で60%以上になれば、信仰の岩の上に立ったと言えます(マタイ7:24-25)。「岩」とはイエス・キリストを意味し(第一コリント10:4)、「信仰の岩」とはイエス・キリスト、すなわち、真理に堅く立っている段階を言います。
それで、信仰の岩の上に立てば、どんな試練や患難がやって来ても、左にも右にもそれないで揺れ動きません。ただみことばに聞き従って正しい道を歩み、みこころなら聞き従うので、敵である悪魔・サタンに惑わされないで、いつも勝利して栄光を帰します。また、どんな試練や患難がやって来ても、心から喜びと感謝が湧き上がり、変わらず祈るので、平安を失いません。仮に子どもが交通事故にあっても、信仰があるのでまことに心から感謝して、神に「なぜ守ってくださらなかったんですか!」とつぶやいたり、恨んだりしません。
信仰の三段階の入り口では、行える心は持っているものの、まだ残っている真理に逆らうものがあって、喜んで聞き従う時もありますが、やむをえず聞き従う時もあります。たとえば、神が「敵をも愛しなさい」と言われたので、相手を憎まないで仕えようとしますが、心から湧き上がる愛の行いではないので、完全ではないし、心も苦しいのです。
しかし、信仰の岩の上に立った人は、御霊の導きに従う真理の心が強いので、敵である悪魔が働くことができません。また、神の全知全能の力に支えられて行っていくので、どんな試練も患難も恐れません。かえって全知全能の神が解決してくださることを信じて、大胆に勝利していくだけです。


3. 聖霊を受けてから信仰の岩の上に立つまでの過程

聖霊を受けてから信仰の岩の上に立つまでの過程は、ボクシング選手が世界チャンピオンになる過程と似ています。不断の努力と忍耐と自分との戦いが必要なのです。初めは実力がなくて、ひどく殴られます。そこからもっと熱心に努力して、忍耐して実力が向上すれば、負けるより勝つほうが多くなり、自信を持つようになります。
敵である悪魔との霊的な戦いも同じです。信仰の二段階では、御霊の導きに従おうとする心と、肉の願うことに従おうとする心が激しく戦います。それで、敵である悪魔との戦いで勝つ時もありますが、負ける時もあります。しかし、気を落とさないで絶えず祈って、みことばどおり行えば、神が恵みを与えて強くしてくださり、聖霊が助けてくださるので、御霊の導きに従おうとする心がますます強くなります。こうして信仰の三段階に向かって上り続けるようになります。
それで信仰の三段階に入れば、肉の願うことに従おうとする心がますます弱くなって、信仰生活が徐々に楽になります。前は10分の祈りだったのが、だんだん20分、30分、1時間と増えて、2、3時間でもやすやすと祈るようになります。このように祈りながら信仰の三段階に深く入れば、真理に堅く立つようになるので、どんな試練や患難がやって来ても左にも右にもそれないで、揺るがない信仰になります。
信仰の岩の上に立てば、神に愛されて、祈ることはすべてすみやかに答えられます。また、みことばをそのまま守り行うので、聖霊の声を聞いて、どんな状況でも喜んで、いつも目を覚ましていて祈るようになります。ただし、必ずしも信仰の岩の上に立ってこそ聖霊の声が聞けるというのではありません。初心の者であっても、みことばを聞いてそのとおり聞き従う人は聖霊の声を聞きます。そのような人々は、信仰の一段階から信仰の岩の上に立つまで、長い歳月がかかりません。すみやかに信仰が成長します。


4. 罪と戦って、血を流すまで抵抗して捨てなければならない

信仰の二段階は、御霊の導きに従う心と肉の願うことに従う心が互いに戦う段階です。一方、信仰の三段階は、御霊の導きに従ってみことばどおり行い、勝利していく段階です。行いで罪を犯す「肉の行い」はすでに捨てたので、信仰生活がやさしいです。そうですが、からだと結びついている罪の性質を捨てるために、言い換えれば「肉的なこと」をもっぱら考えなくなるために、血を流すまで罪を捨てる戦いが始まります。
信仰の岩の上に立って、信仰の三段階に深く入れば、「肉的なこと」をもっぱら考えなくなったので、「肉の思い」が働かないですべてのことに聞き従い、真理が与える自由を味わうことができます。
信仰の二段階から信仰の三段階に入る時間は、神を愛して熱心に努力さえすれば、決して長くありません。しかし、教会には通っていても、みことばどおり行おうと努力しなければ、相変わらず信仰の二段階にとどまっているのです。みことばを聞いて、その意味を悟って行ってこそ霊が育ち、たましいに幸いを得ていく祝福が受けられます。
信仰の二段階から三段階に入るのは、自分の決心次第でさらにすみやかに入ることもあり、遅くなることもあります。しかし、信仰の三段階から四段階に入るまでには、かなりの時間がかかります。まるで木が育って、花が咲いて実を結び、鳥が宿るまでに、多くの時間がかかるようなものです。聖書66巻のみことばどおり守り行うためには、みことばを聞いて悟らなければなりませんが、完全に父なる神のみこころを悟るのは短い期間にできることではないからです。
これは、小学校で勉強がよくできるからといって、直ちに大学を卒業して社会生活をすることはできないのと同じです。しかし、場合によって検定試験を受けて飛び入学をする人がいるかと思えば、一、二年浪人して遅く入学する人もいます。このように信仰も、自分がどれほど努力するかによって、信仰の三段階から四段階にすみやかに入ることもあり、遅くなることもあるのです。
御霊の歩みに入っていく人々を見れば、心の器が大きいです。器が小さい人は、それだけ聖められようとする切なる心や、罪を捨てるための努力が足りないのが見られます。しかし、心の器が大きい人は、それが正しいと悟って、一度やるぞと決心すれば、途中で移り変わらないで最後までやり遂げます。いくらつらくて苦しくても、努力に努力して成就します。
皆さんが信仰の三段階からすみやかに四段階に入りたいという心が切実ならば、罪と戦って、血を流すまで抵抗して捨てますように。一回でできなければ、二回、三回、五回、十回、それ以上挑戦してみてください。不断に努力していけば、いつの間にか悪はどんな悪でも避け、はいるときも祝福され、出て行くときも祝福される御霊の人になっているでしょう。


*まとめと適用

1. 信仰の三段階の入り口と信仰の岩の違いを説明してください。

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2. 信仰の一段階は聖霊を受けて救われた段階であり、信仰の二段階はみことばを聞いて行おうと努力する段階です。それでは、信仰の三段階はどんな段階でしょうか?

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3. 皆さんの信仰の現住所はどこでしょうか? チェックしてみてください。
①信仰の一段階 ②信仰の二段階 ③信仰の三段階の入り口
④信仰の岩 ⑤信仰の四段階 ⑥信仰の五段階


*今週の課題

信仰の岩の上に立つにはどうすればよいでしょうか? 自分の心から捨てるべきものを考えてきましょう。


*「用語」を知って力にしましょう!

「肉的なこと」とは?
まだ表に現れてはいないが、いつかは誘発されて行いとして現れる可能性のある真理に逆らう属性、すなわち「肉」を一つ一つを分類したもの。つまり、憎しみ、ねたみ、そねみ、偽り、ずる賢さ、高ぶり、憤り、さばき、罪に定めること、姦淫、欲などのことである。

 
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