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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   御霊の実(2)- 喜び  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2013-05-21


読むみことば: ガラテヤ5:22
覚えるみことば: 第一テサロニケ5:16
参考にするみことば: 第一テサロニケ5:16-18
教育目標: いつも喜んでいて、すべての事において感謝できる喜びがあふれる生き方の秘訣を知る。

人生を楽しくて面白く生きるということは健康に大いに役立ちます。私たちが笑うとき、体のすべての筋肉が活発に動き、エンドルフィンをはじめいろいろなホルモンが分泌されて、ストレスをすっきり解消してくれます。喜ぶことは、単に肉的な健康だけでなく、霊的にも非常に良いです。いつも喜んでいるとき、問題が簡単に解決されて、答えもまたすみやかに受けられます。それで、神は「いつも喜んでいなさい」と言われるのです。


1. どんな状況でもいつも喜んで楽しむ喜びの実

「喜び」とは、辞書では「よろこぶこと。うれしく思うこと」です。ところで、霊的な喜びは単に喜んでうれしい次元ではありません。世の人々も良いことがある時は喜ぶけれど、つらくて困難なことが起きれば、すぐ喜びもうれしさもなくなってしまいます。ほんの一時的なものにすぎません。しかし、御霊の実である喜びが心に結ばれれば、どんな状況と条件でもいつも喜んでいて、うれしく思うことができます。
<第一テサロニケ5:16-18>にも「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」とあります。したがって、喜びは、自分が正しい信仰生活をしているかを簡単に測れる基準にもなります。
ある人は毎瞬楽しく幸せそうに主の道を歩んでいく一方で、熱心に信仰生活をしているのに、いざというと喜びと感謝がない人もいます。ひょっとして、礼拝もささげて、祈りもして、使命も果たしているのに、ただ任されたことに責任を果たしているように、感動もなく信仰生活をしてはいないでしょうか? そうするうちに予想できなかった大変な事にあえば、それでもあった平安さえ失って、不安になって焦っていないでしょうか?
皆さんが自分の力ではとうてい解決するのが難しい事が起こったとき、その瞬間の心をチェックしてみますように。そして、自分の顔を鏡に一度映してみてください。その姿がまさに、皆さんにどれだけ喜びの実が結ばれているのか見せてくれるでしょう。
実際、私たちが救われた恵み一つだけでもいつも喜んでいるのに十分な条件になります。永遠に燃える地獄で苦しむしかなかったのに、救われて天国に行けるようになったことだけ考えても、その幸せは言葉に尽せないからです。


2. 初めの愛の喜びが消えてしまう理由

 主を受け入れたばかりで、初めの愛を体験した人は、救いの喜びで満たされます。いくらつらい仕事をしても賛美が口からこぼれ、仮に主の御名によって迫害されても、感謝があふれます。ところが、歳月が流れるにつれて、だんだん主への初めの愛が冷めて、救いの恵みも以前のようではありません。大変な事にあえば悩んで、不平不満が出てきます。
それでは、主への初めの愛がなぜ冷めてしまうのでしょうか? それは心に肉の性質があるからです。肉の代表的な特徴は「変わること」です。つまり、心に憤り、憎しみ、ねたみ、そねみ、さばくことのような真理に逆らうものがあって、良いことがある時は喜んでいても、大変な事にあえば、すぐ憂いて心配します。
使徒パウロは福音を伝えていて捕えられ、むちで何度も打たれて奥の牢に入れられた時も、喜びを失いませんでした。かえって神を賛美して、福音を伝えました。どんな苦しみの中でも喜びを失わなかったので、「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」と勧めているのがわかります(ピリピ4:4)。
ひょっとして、崖っぷちに追い詰められた絶望的な状況に直面している方がいるでしょうか? そうだとしても、使徒パウロのように神を信じて、喜びと感謝の祈りをささげてみますように。その信仰の行いをご覧になって、神がすべてのことを働かせて、益としてくださるでしょう。


3. 喜びの実を結ぶには

1)肉を脱ぎ捨てなければなりません。
心に「ねたみ、そねみ」という属性がない人は、相手が祝福されてほめられるのを見ると、自分のことのように喜びます。しかし、ねたみ、そねみがあれば、相手がうまくいくのを見ると面白くなくなって、心が穏やかでなくなり、劣等感にさいなまれて気を落とします。
このように肉の属性があれば、敵である悪魔・サタンは罪の性質を刺激して、罪を犯すようにし向け、喜べないように働きます。また、憂いと心配の中で神により頼めないようにするので、霊の信仰が持てないのです。
まことの信仰があるなら、いくら困難な環境に置かれても、感謝して神により頼みます。心に肉の性質がなければ、事業をする時も、聖霊の声を正しく聞いていくので、すべてのことに栄えて祝福があふれます。ところが、欲と焦りが先に立って、正道からそれるので、栄えなくなるしかないのです。私たちの心から肉を脱ぎ捨てるほど、霊的な喜びと感謝が臨んで、すべてのことに栄えることができます。

2)すべてのことに御霊によって歩まなければなりません。
私たちが求める喜びは世の喜びではなく、上から来る、すなわち、御霊による喜びです。うちにおられる御霊が喜ばれる時でこそ、喜びがあふれる生き方ができます。何より神に心から礼拝して祈り、賛美するとき、みことばを守り行うとき、喜びが湧き上がるのです。神が下さる喜びは、世のどんな喜びとも比べられません。私たちが毎瞬、御霊に従って歩んでいけば、御霊が喜ばれるので、私たちの中に喜びをぎっしり満たしてくださいます。
たとえば、自分の利益を求める心と相手の利益を求める心が互いに戦うとき、その葛藤が続けば、御霊に満されなくなります。そのうち肉に従って自分の利益を求めれば、当座は良く見えるものを持てますが、霊的な喜びは臨みません。かえって心が苦しくて、何かが引っかかるのです。反対に、心に決めて相手の利益を求めれば、当座は自分が損をしたように見えても、御霊が喜ばれるので、上から喜びが臨みます。
このような喜びは、味わったことのある人だけがわかります。世の誰も与えることも、知ることもできない幸せなのです。このように当座の不利益のために肉の願いに従うなら、毎回気まずくなってけんかになりますが、御霊に従って心から仕える時は、心にまことの平安と喜びが臨みます。自分の基準に合わせて相手をさばいていた人が、心を変えて善をもって理解していけば、それだけ安らかになります。
ひょっとして性格や意見があまり合わない人に会えば、知らないふりをしたり、避けたりしているでしょうか? でなければ、笑いながら暖かく挨拶していますか? 世の人々の立場では、いやな人に無理して親切にするより、避けて知らん顔をしたほうが楽です。しかし、すべてのことに御霊によって歩む人は、仕える心で笑ってあげます。ですから、まことの平安と喜びが臨むのです。
「誰かと性格が合わない」とか「あの人は嫌いだ」という感じさえ全くなければ、いつも心が安らかで幸せです。こういう人は日が経つほど喜びの実が熟していき、顔からは霊的な光が放たれます。

3)喜びと感謝の「種」をまめに蒔かなければなりません。
農夫が実を刈り取るためには、種を蒔いて育てる労苦が伴います。このように、喜びの実を結ぶためにも、喜びと感謝の条件を見つけて、神にささげなければなりません。信仰のある神の子どもなら、喜ぶことがどんなに多いでしょうか。何とも取り替えることのできない救いの喜びがあります。また、良いものだけを下さる神が自分のお父様になられて自分を守り、求めるものは何でも答えてくださいます。主日を守って、十分の一献金だけ完全にささげても、一年中事故や災いにあわないようにされるのです。
罪を犯さないで戒めを守り、忠実に仕えている人は、祝福がいつもあふれています。たとえ何かの困難に置かれていても、問題解決の方法が聖書66巻、みことばの中にあるので感謝します。もし自分の過ちによって起こった問題なら、悔い改めて立ち返ることができるので感謝だし、責められることがないなら、それもまた喜んで感謝すればよいのです。
神が下さる恵みを当たり前と感じるのではなく、いつも喜んで感謝する告白をささげなければなりません。このように感謝の条件を見つけて喜ぶと、神はさらに多くの感謝の条件を下さいます。するとますます感謝と喜びが大きくなって、ついには喜びの実を完全に結ぶようになります。
したがって、皆さんはすみやかに喜びの実を結んで、いつも喜びと感謝、幸せがあふれる生き方になりますように。


* まとめと適用

1.喜びの実を結ぶための方法として、正しくないものを選んでください。
①肉を脱ぎ捨てなければならない。
②うれしい時に喜んで、悲しい時に悲しむことは当たり前と思う。
③すべてのことに御霊に従って歩まなければならない。
④喜びと感謝の種をまめに蒔かなければならない。

2. 喜びの霊的な意味を書いてください。

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* 今週の課題

次回は、御霊の実の「平安」について学びます。何があっても心がいつも平安であるには、どうしたらよいでしょうか? 考えてきましょう。


* 知って力にしましょう!

「いつも喜んでいなさい。すべての事について感謝しなさい。」というみことばで見分けられる信仰の段階。
信仰の一段階や二段階の入り口では、誰かが自分を陥れたとき、当事者のところへ行って、正しい正しくないを問い詰める。信仰の二段階の中盤では、悪を捨てるために努力しているので、ひどく憤ったり悪を現したりすることはある程度は自制できる。
信仰の三段階の岩の上に立つ前は、感情が揺れ動いたりもし、真理を知っているから我慢するが、心からは感謝が出てこない。さらに信仰の岩の上に立てば、不平を言うよりはもっと喜んで感謝し、一瞬「つらい」という思いがよぎっても、すぐ思いを変える。
信仰の四段階では、全く揺れ動くことがなく、完全に喜んで感謝する。

 
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