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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   祝福の秘訣(2)  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2013-07-25


読むみことば: マタイ22:37-40
覚えるみことば: 第一ヨハネ5:3
参考にするみことば: 申命記10:13
教育目標: まことの幸せを与えることを願われる神の心を知って、戒めを守って神に喜ばれ、心の願いまで答えられるようにする。

私たちの父なる神は恵みと愛が豊かなお方です。<民数記6:24-26>に「『【主】があなたを祝福し、あなたを守られますように。【主】が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。【主】が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』」とあるように、愛する子どもたちに良いものを与えることをまことに喜ばれます。
神が与えられる祝福は、少なくとも「押しつけ、揺すりいれ、あふれるまでに」量りをよくして報いてくださることが見られます(ルカ6:38)。もちろん、祝福の器をよく備えれば、蒔いたものの三十倍、六十倍、百倍、それ以上も満たしてくださいます(マタイ13:23)。
それでは、神が与えられる豊かな祝福を思いきりいただける秘訣は何でしょうか?


1. 神を愛するなら、戒めを守り行わなければならない

聖書に記されている神のことばは、大きく四つに分けられます。まず「~を守りなさい、~をしなさい」と積極的に言われます。これは、愛する子どもたちが戒めを守り行えば、祝福が臨むからです。次に「~をしてはならない、~を避けなさい・捨て去りなさい」と断固として言われます。神の子どもとして資格を備えようとするなら、神が嫌われることはしないで、避けて捨てなければならないからです。もしこれらに聞き従わなければ、神との間に罪の隔ての壁になったり、神の呪いが臨んだりするので、必ず守らなければなりません。
たとえば「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」(出エジプト20:8)、「あなたの父と母を敬え。」(出エジプト20:12)、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」(マタイ6:33)、「さばいてはいけません。さばかれないためです。」(マタイ7:1)、「姦淫してはならない。」(出エジプト20:14)、「悪はどんな悪でも避けなさい。」(第一テサロニケ5:22)とあります。この四種類のみことばは、神の愛と祝福を受けるために、当然守らなければならない戒めです。
戒めとは、宗教的、道徳的に守らなければならないおきてのことを言いますが、旧約では律法と十戒を、新約ではおもにイエス様の命令を指しています。<マタイ22章>で、パリサイ人のうちのひとりの律法の専門家がイエス様をためそうとして、「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」と聞きます。これに対してイエス様は、神への愛と隣人への愛だと言われました。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
もし私たちが誰かを愛したら、どんな願いでも聞いてあげようとするでしょう。仮に難しくてつらいことでも、愛するから喜んで聞いてあげようとします。愛する人と一緒なら、いくら遠い道も遠く感じられないように、神を愛するなら、戒めを守ることが少しもつらくありません。
創造主の神が私たちの霊とたましいの父であられ、私たちを救うためにひとり子イエス様をむごい十字架に渡してくださったということをまことに信じるなら、神を愛するしかありません。その愛と恵みに報いようと、みことばどおり生きるために努力するようになるのです。むしろみことばとみこころに背いて生きることのほうがつらくて苦しいのです。


2. 祝福の道に導きたいと望んでおられる神

神が聖書に記しておかれた命令は、愛する子どもたちを祝福の道に導くためです。<申命記10:13>に「あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる【主】の命令と主のおきてとを守ることである。」とあるように、神は愛する子どもたちのしあわせのために、命令を下さいました。
親が子どもに生活に必要ないろいろなルールを教えるのは、病気や事故から安全に守られて、安らかに生きるようにするための配慮であり、愛です。同じように、私たちに命令を下さったことが神と主の愛であることを悟れば、これを守ることがつらいのではなく、むしろうれしいのです。
<第一ヨハネ5:3>に「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。」とあるように、神が「しなさい、してはならない、避けなさい・捨て去りなさい、守りなさい」と言われたすべてのみことばを、心から湧き上がるように守り行えます。ここで「命令を守りなさい」ということは、義務感からやロボットのように機械的に服従しなさいという意味ではありません。神の愛を悟って、自ら聞き従うことを願われるのです。
もちろん、初めから神の心とみ思いを全部悟れるのではありません。命令を熱心に守っていけば、徐々にみこころが悟れるようになり、また、その方の愛が感じられるので、神をまことに愛することができるのです。
神が「してはならない、避けなさい・捨て去りなさい」と言われたみことばは、私たちの心の地を耕すようなものです。これは自分の心を割礼することなので、たとえ報いにはならないとしても、心を良い地に耕せば、よりすばらしい天国に入れる資格を得るようになります。
また「しなさい、守りなさい」と言われたみことばは、祝福の種を蒔いて、刈り取る作業のようなものです。農夫が実を刈り取るためには必ず種を蒔かなければならないように、神の命令を守り行うことが、まさに祝福の種を蒔くことです。みことばどおり聞き従えば、試練や患難やさまざまな事故から守られるだけでなく、この地上で祝福されて、天国に報いが積まれるようになります。


3. 喜びと感謝をもって祝福の種を蒔いて、刈り取らなければならない

神は行いそのものではなく、心の香を受けられます。忙しい中でも最善を尽くして心から祈る人、小さい使命でも、いつも仕えて忠実である人を喜ばれます。ひとりひとりの状況と都合を全部ご存じなので、信仰と希望、愛をもって心の香をささげるなら、決して小さいと言われません。
もしいやいやしたり、ただ他の人たちがするからと付いてしたりすれば、信仰と希望をもって祝福の種を蒔くとは言えません。また、熱心に祝福の種を蒔いてから、つぶやいたり否定的な告白をしたりすれば、自分が蒔いたものをほじくり返して、積んだものを崩すようなものです。
どんな命令でも、心から喜びと感謝をもって行うとき、神が喜ばれて答えと祝福として報いてくださいます。<ヘブル11:6>に「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」とあります。<詩篇37:4>には「【主】をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」とあって、心の願いに答えられる方法も教えてくださるのです。
昔の信仰の人々を見れば、信仰によって神に喜ばれる者だと認められました。その結果、エノクは三百年間、神とともに歩んで愛を分かち合って、365歳で死を見ることのないように天に上げられる祝福を受けました。エリヤも、生ける神を証ししながら、驚くべき神の力ある働きで数えきれない魂を救ったので、死を見ないで天へ上って行けました。
私たちも、神に喜ばれる信仰を持てば、家庭、事業の場、職場など、あらゆる分野で栄える祝福をいただくことができます。あることはできて、あることはできないのではありません。<マルコ9:23>に「するとイエスは言われた。『できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。』」とあるとおりです。
堂会長先生の場合だけを見ても、生ける神を見つけてすべての病気がいやされてから、神を愛して、ただみことばどおりに聞き従おうと努力しました。また、神が喜ばれることなら、何でも喜んで行いました。すると、神からも堂会長先生が求めることは何でも答えられただけでなく、心にいだいたことまでもかなえられるようにされました。いつ何が必要か神は全部ご存じなので、あらかじめ備えておかれ、必要な時に与えられることを数えきれないほど体験しました。
このように命令を守り行って神に喜ばれれば、求めるものは何でも答えられて、心の願いまでかなえられるようになるのです。


* まとめと適用

1. 聖書に「~を避けなさい・捨て去りなさい、~をしてはならない」と言われたみことばを探して書いてください。

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2. 聖書に「~をしなさい、~を守りなさい」と言われたみことばを探して書いてください。

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3. (  )の中にふさわしい答えを入れてください。
聖書に「してはならない、避けなさい・捨て去りなさい」と言われたみことばは、私たちの心の地を(  )ようなものである。心を良い地に耕せば、よりすばらしい天国に入る。また「しなさい、守りなさい」と言われたみことばは(  )の(  )を蒔いて、刈り取る作業のようなものである。


* 今週の課題

今回学んだように、祝福されるためには「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」という戒めを守らなければなりませんが、どう守れば神様に喜ばれる安息日になるでしょうか? 考えてきましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう!

「十戒」とは?
神がモーセを通してイスラエルの民に下さった十の戒めである。これは「聖書66巻に記された神のすべてのことばを十に縮約したもの」で、聖書の骨組みと言える。聖書66巻全体はすべて覚えられなくても、神の子どもなら十戒くらいは覚えて、必ず守ることが信仰の基本である。

 
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