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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   祝福の秘訣(3)  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2013-08-09


読むみことば: 出エジプト20:8-10
覚えるみことば: 出エジプト20:8
参考にするみことば: イザヤ58:13-14
教育目標: 祝福の秘訣である主日を完全に守る方法を知って、主にあってまことの安息を味わい、霊肉ともに健康な聖徒になるようにする。

私たちが信仰生活をしながら最も基本的に守るべき二つを挙げれば、主日を守ることと十分の一献金をことごとくささげることだと言えます。十分の一献金と奉納物が「神の物的主権を認める信仰の行い」なら、主日、すなわち安息日を守ることは「神の霊的主権を認める信仰の行い」なのです。この二つを守って、霊肉ともに神の主権を認める子どもであれば、どんな災い、試練や患難にもあわないで、霊肉ともに健康である祝福を受けることができます。
まず、完全に主日を守ることについて調べてみます。


1. 安息日の由来

<出エジプト20:8-10>に「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も──」とあります。
「安息日」とは、主にあって安息を味わう日、すなわち、主にあって安らかに休む日という意味です。安息日は、創造主の神が六日間天地万物と人を造って、第七日目に休まれたことに由来しています。
<創世記2:1-3>に「こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。」とあります。神が六日間に天と地とを造り、七日目に休まれたので、神の民も第七日目を幸いで聖なる安息日として守りなさいと命じられました。
「安息日を守る」とは、ただ仕事をしないことだけを意味するのではありません。その日一日、世のことに心を向けないで、完全に神の御前に心をささげて、創造主なる神の主権を認めなければなりません。したがって、安息日を聖なる日とするとは、私たちが神を恐れる神の子どもだという証拠になるのです。


2. 安息日が土曜日から日曜日に変わった理由

もともと神が休まれた日は第七日目でした。カレンダーを見れば、日曜日が第一日で、土曜日が一週間の最後の第七日になっています。それで、旧約時代には土曜日を安息日として守りました。イエス様を救い主と認めないユダヤ教では、今でも土曜日を安息日として守っています。
それでは、新約時代になって、なぜ安息日が土曜日から日曜日に変わったのでしょうか? これは、私たちがイエス・キリストにあってまことの安息を味わうようになった日が日曜日だからです。イエス様は金曜日に十字架につけられて、葬られてから三日目によみがえられました。つまり、安息日後の最初の日、日曜日の明け方によみがえられたのです。罪人になった人類に希望を与えて、まことの安息と喜びを下さった日がまさに日曜日だったのです。このように主が救いのわざを完成して、私たちにまことで永遠の安息を下さった日が日曜日なので、イエス・キリストによって救われた私たちは日曜日を安息日として守るのです。
安息日は主日、すなわち、主の日とも言います。主にあってまことの安息を味わう日だからです。主日は神が聖なる日として祝福を与えようと決められた日です。私たちがこのような主日を聖なる日として守ることは、私たちの霊とたましいが神の霊的主権を認めて、神に属していることを表します。
それでは、イエス・キリストによってまことの安息を味わうという意味は何でしょうか?
最初の人アダムが罪を犯してから罪人になった人類には、まことの安息がありませんでした。罪の支配者である敵である悪魔・サタンの奴隷になって、苦しみの中で生きながら、罪の重荷によってその霊とたましいが抑えつけられていました。それで、神はひとり子イエス様を遣わして、すべての人類の罪を贖うようにされました。
イエス様は人類の罪を負って、十字架につけられて死なれました。しかし、葬られてから三日目にすべての死の力を打ち破ってよみがえられたのです。このことを信じる人はみな罪が赦されて、よみがえられた主と結び合わされて、復活の望みにあずかるようになりました。つまり、罪から自由になって心にまことの安息を得、やがて天国で永遠の安息を味わえる望みを持つようになったのです。それで、イエス・キリストによってまことの安息を味わうと言うのです。


3. 主日を完全に聖なる日とするために

私たちが六日間は熱心に働きますが、主日には世の仕事をしないで、聖殿に来て神に礼拝をささげ、霊とたましいの安息を味わってこそ、まことの安息になります。土曜日には家の掃除や洗濯をしてお風呂に入るなど、周りをきれいに整理整頓します。そして、主日に着る清潔な服と一緒に、神にささげる献金も心を込めて準備しておきます。
主日にはテレビを見たりゲームをしたりしないで、敬虔に過ごさなければなりません。また、悪を行わないように、心と思いをよく守らなければなりません。もしけんかをして憤り、世のことで心配するなら、神が喜ばれません。
ある人は午前の大礼拝だけをささげて「主日を守った」と言って、遊びに行ったり仕事をしに行ったりします。これは主日を完全に守ったと言えません。夕方礼拝まで全部ささげたとしても、その後の時間を敬虔な心で過ごさなければ、これも同じです。
主日一日を完全にささげるためには、霊とまことによって礼拝をささげなければなりません(ヨハネ4:24)。居眠りをしたり雑念にふけったりしないで集中して説教を聞き、心を込めて祈って賛美しなければなりません。礼拝前にあらかじめ祈りで備えて、祝祷や主の祈りが終る時まで、席を離れてはいけません。また、聖殿は聖なるところなので、家庭の事情や事業、ショッピング、芸能人、世的な言葉と行動は慎まなければなりません。
<イザヤ58:13-14>に「もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を『喜びの日』と呼び、【主】の聖日を『はえある日』と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、そのとき、あなたは【主】をあなたの喜びとしよう。『わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う』と【主】の御口が語られたからである。」とあります。
私たちが安息日を聖なる日として守るとき、神が必要のない支出を防いでくださり、物質が出て行かないようにしてくださいます。また、神が職場を守って祝福してくださるので、収入があふれます。しかし、安息日を守らないで働くなら、神に守られて祝福されることができません。収入が減ったり、予想もしなかった病気や事故と災いにあって物質が出て行ったりします。
ところで、特殊な職業や状況によって、主日に働かなければならない場合があります。軍人や警察、医師のように人の命と国の安全に関わる人、流通業や飲食業に従事している人、出張や研修に行って来なければならない場合です。
こんな場合、主日に働くからといって、神が罪であると言われません。しかし、できるものなら、完全に主日を守ることが望ましいです。主日の夕方遅くにでも礼拝をささげるとか、インターネットや衛星放送で礼拝をささげることが好ましいでしょう。
主日に個人の利益のために営業したり、自分の便宜のために売買することは禁じなければなりません。かといって初心の者に、何が何でも主日に営業してはいけない、物品を購入してもならないと教えれば、つらくて教会を離れることもあります。その聖徒が安息日を喜んで守れる信仰を持つ時まで、賢く導かなければなりません。
ところで、安息日に売買行為が許される場合があります。教会で聖歌隊や教会学校の教師の食事を提供できない場合、聖徒の便宜のために教会の中に書店や売店、自動販売機を備えて運営する場合です。ここから生じる収益金は施しと宣教など、魂の救いのために使うのです。しかし、安息日にこのような売買さえしないように、前の日にあらかじめ用意しておくことが好ましいでしょう。
このように主日を聖なる日として守れば、命、健康、子ども、職場など、私たちのすべてにおいて神が責任を取ってくださるので、まことの楽しみと休みを得ることができます。それだけでなく、事故と病気、試練や患難がないように一週間守られて、祝福されるのです(イザヤ56:4-7)。


* まとめと適用

1. 新約時代になって、安息日がなぜ土曜日から日曜日に変わったのでしょうか?

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2. 次の説明の中で間違っているものを選んでください。
①イエス様は金曜日に十字架で死なれて、安息日後の最初の日である日曜日の明け方によみがえられた。
②もともと神が安息された日が日曜日だった。
③主日を守ることは神の霊的主権を認める信仰の行いである。
④主にあってまことの安息を味わうようになった日が日曜日なので、安息日、すなわち、主日と言う。


* 今週の課題

祝福されるためのもう一つの秘訣は十分の一献金をことごとくささげることですが、「ことごとく」とは具体的にどういうことなのか考えてきましょう。


* 知って力にしましょう!

「サタン」と「悪魔」の違い
「サタン」は悪い霊どもの一つで、ルシファーの心と言える。サタンは人の思いを通して働き、実質的な形はない。ルシファーの闇の力をそのまま持っていて、人々が悪い思いと心を持つようにする。まるで空中に数えきれないほど飛んでいる電波のように、闇の力を空中にまき散らす。
「悪魔」も悪い霊どもに属するが、ルシファーとともに堕落した御使いたちの一部で、黒い姿をしていて、人のように目、鼻、口、耳と手足もある。サタンに操られて、数多くの悪霊を管理し、人々があらゆる罪を犯すようにする。
思いで罪を犯すようにするのが「サタン」ならば、真理に逆らう思いを行動に移すようにするのは「悪魔」である。

 
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