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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   信仰の量り(16)「信仰の五段階(2)」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2013-06-16


読むみことば: 民数記12:7-8
覚えるみことば: 民数記12:7
参考にするみことば: 民数記12:3
教育目標: 神に喜ばれる信仰の五段階になるためには、心が聖められて、全家を通じて忠実でなければならないことを悟るようにする。

信仰の五段階は「神に喜ばれる信仰」だと言いました。神をこの上なく愛して、みことばに完全に聞き従う段階を過ぎて、神の深いみこころを推し量って、それに合わせて行う次元です。ですから、多くの魂を救うために数えきれない祈りを積んで、しるしと不思議を行うだけでなく、全家を通じて忠実であることが見られます。
出エジプトの指導者モーセは地上のだれにもまさって非常に謙遜であって、全家を通じて忠実であり、神に喜ばれる預言者になりました(民数記12:3,7)。


1. 全家を通じて忠実である信仰の五段階

「忠実」の霊的な意味は、自分に任せられたこと以上を、誠実を尽くして果たすことです。たとえば、ある人を働き人として採用して、給料を与えて仕事を任せたとき、そのことだけをよくやったからといって、「誠実を尽くした」と言いません。当然するべきことをしただけです。しかし、お金をもらって働いても、自分の時間と物質と身を惜しまずに、与えられたことを果たしていく時は「誠実を尽くした」と言えます。
信仰の四段階に入った人は、霊的に誠実だと認められます。聖められて信仰の四段階に入ってくれば、御霊の実が結ばれているので、そのうちの「誠実」の実も当然あります。
ところが、このような次元を超えて、全家を通じて忠実であろうとするなら、信仰の五段階に入って、御霊の実が100パーセント結ばれていなければなりません。「誠実」が良い実を結ぼうとするなら、相手の利益のために自分を犠牲にして献身する過程がなければなりません。
霊の「愛」がなくては、自分を犠牲にして献身することはできません。また、「自制」の実が欠けていれば、ある分野でいくら誠実だとしても、他の分野ではちょっとおろそかになることもあります。「平安」の実が完全に結ばれていなければ、働く過程で互いにぶつかったり、相手を傷つけることがあります。このように「平安」が失われたまま誠実に働いても、神の御前に完全なものになれません。ですから、全家を通じて忠実であろうとするなら、御霊の実がすべて結ばれていなければならないのです。
「全家を通じて忠実である」とは「自分の使命を完全に果たすが、すべての分野で与えられる代価以上にあふれるまで果たすこと」です。信仰生活をしていたら、使命を任せられるようになります。その使命を誠実に果たすとき、一つ、二つだけ熱心にするのではなく、任せられたすべての分野に心を尽くして果たすことが、まさに全家を通じて忠実であることです。
いろいろな使命の中には、大切に見えて人に認められる使命もありますが、あまり大切でないように見えたり、認められないように見えたりする使命もあります。しかし、全く聖なるものとされた人は、人が見て大きいことでも小さいことでも、神からいただいたすべての使命を尊く思うので、心と思いと最善を尽くして果たします。全く聖なるものとされた人は、いくら多くの使命を持っていても、すべての分野で誠実に仕えて実を結ぶことができます。完全な神の心に似せられて、キリストの心があるからです。
神は人類の歴史のすべての過程も、数えきれない人々の人生も、手の平を見るようにその心にすべてを入れて、つかさどっていかれます。信仰の五段階である全く聖なるものとされた人は、霊である神の属性に似せられて、多くの魂や多くの働きを心にいだけます。神の国と魂の救いのために、自分のいのちまで与えられる愛もあります。その切なる愛で心にいだいて求めるので、自分に任せられたすべての分野で、神のみわざを引き下ろせるのです。
もちろん、すべての分野を同じように心にいだいて、尊く思って最善を尽くすということが、すべての使命に同じ時間を割いて、同じように緊急のことと思うという意味ではありません。明らかに緊急なことや後ですべきこと、相対的に多くの時間を投入しなければならないことがあります。
しかし、「誠実」の実が完全に結ばれた人は、多くの使命のうちどんな使命も軽く思わないで、数多くの羊の群れの中でひとりの魂にもおろそかに対しません。時間を少なく使おうが多く使おうが、すべての分野で誠意と誠実を尽くすのです。


2. 全家を通じて忠実であろうとするなら

エジプトから出た当時、およそ二百万人もいた数多くの人々にモーセがいちいち会って、彼らの問題の相談に乗ることはできませんでした。しかし、モーセはすべての民を霊でいだいていて、自分のいのちまで渡せる愛をもって顧みました。ですから、神はモーセに対して「彼はわたしの全家を通じて忠実な者である。」と言われたのです。
したがって、御霊の歩みに入ったほど聖徒たちを心にいだけて、使命もさらに多く果たせるのです。仮に自分に任せられた聖徒が500人とするならば、全員を毎週訪問することはできません。信仰が弱い聖徒や緊急の問題がある聖徒はしばしば顧みるようになりますが、そうでない時は、一年にやっと一、二回訪問する聖徒もいます。
しかし、本当に誠実な心を持っているなら、しょっちゅう会おうが会うまいが、任せられたすべての聖徒をいつも霊でいだいて、心に入れています。数か月間、訪問礼拝を一度もささげられなかった人だとしても、心にはいつも入れておいているので、神が働いてくださるのです。それで、どうしても必要な時は心に働きかけてくださって、特に祈るようにされたり、訪問するようにされたりして、たった一度、短い間会うとしても、良い実に変えられるようになるのです。
これは、自分が怠けて訪問しないのに、「その代わり祈っているから」と弁解する姿とは全く違います。いのちを尽くして使命を果たそうと努力するけれど、「私がじかに顧みられない分野までも父なる神様が顧みてください」と祈る心がどれほどもどかしくて切ないでしょうか。そのような心の香を受けられるので、神がご自身で働いてくださるのです。
聖徒を顧みることだけでなく、他のすべての使命も同じです。すべての分野に対して同じ時間と努力を投入しなければならないということではなく、すべての分野に心と思いと最善を尽くして、霊でいだいて実を結ぶことが、まさに全家を通じて忠実である秘訣です。
ところが、ある人は「多くの使命を任せられれば、全部よく果たせないだろうから、むしろ一つ、二つだけ任せられて最善を尽くしたら、全家を通じて忠実でいられるのではないか」と言う人もいます。
しかし、心に誠実の実を結んでいる人ならば、神の国のためにもっと多くの働きをしようと使命を慕う心が熱いでしょうし、死にかけている魂のために献身しようとする心が熱いので、何としてでも使命を慕うようになります。ですから、自分がよくやれること一つ、二つだけ果たすという言葉そのものが、すでに「全家を通じて忠実」とはかけ離れているのです。
また、神の全家を通じて忠実である人は、私的な分野でも忠実であって、実を結んで栄光を帰すようになるのです。もし、ある人が教会では熱心に仕えていても、家庭は全く顧みないとか、学校や職場では不まじめな人と思われているなら、「あの人は本当に忠実な働き人だ」とほめられません。
忠実な人は心自体がすでに誠実で真実なので、神の国においてだけ忠実なのではなく、すべての所で誠実に行うようになります。そうかといって、必ずしも1位にならなければならないとか、実績が一番良くなければならないというのではありません。少なくとも、まじめに自分のやるべきことをする人だと認められなければならないということです。
もちろん、後先を決めるべき時は、確かに神が下さった務めと使命のほうが大切だし、もっと多くの魂を救うほうが先です。そうかといって、神の働きだけ熱心にして、他の分野では不誠実であってもいけません。もし神の働きだけ熱心にしているなら、これは忠実な心というよりは、肉的な忠実か一時的な熱さではないか、自分で自分をよくチェックしてみなければなりません。
霊的に忠実であるとは、まんべんなく心を配るものです。自分にゆだねられたあらゆる分野で、誠実を尽くして犠牲になって仕えていけば、全能の神は必ず果たせる力を下さいます。また、神の国のために献身するほど、神に喜ばれて恵みを与えられ、強くされます。前は悟れなかった自分の悪を発見する機会になり、その悪を捨てられるように導かれて、すみやかに御霊の歩みに入り、さらに全く聖なるものとしてくださるのです。
[詩篇101:6]に「私の目は、国の中の真実な人たちに注がれます。彼らが私とともに住むために。全き道を歩む者は、私に仕えます。」とあります。悪はどんな悪でも避けて、与えられたすべて使命をあふれるように果たすことで全家を通じて忠実な者と認められて、神に喜ばれますように。


* まとめと適用

1. 「忠実」と「全家を通じて忠実」の霊的な意味を書いてください。
忠実:

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全家を通じて忠実:

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2. 神はモーセについて、どんな人だと言われたでしょうか? 民数記12章3節と7節を参考に書いてください。

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* 今週の課題

今まで信仰の一段階から五段階まで学びました。みことばに照らして自分はどの段階にいるでしょうか? それはどこでわかりますか? 分かち合ってみましょう。


* 「人物」を知って力にしましょう!

「預言者モーセ」
レビ族アムラムを父に、ヨケベドを母に生まれ、ミリヤムとアロンの弟である。当時、エジプト王がイスラエル人の男の子が生まれたら殺せと命令したので、母がモーセをパピルス製のかごに入れて、ナイル川の岸の茂みの中に置いた。ちょうどエジプトの王女が見つけて養子にする。40歳の時、同胞の苦役と、あるヘブル人がエジプト人に打たれているのを見て、そのエジプト人を殺した後、ミデヤンに逃れる。80歳の時、神から民族解放の使命を授かって、エジプトからイスラエルの民を救い出し、約束の地カナンに導いた偉大な指導者である。

 
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