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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第1課「答えの神」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2014-01-10


読むみことば: 詩篇78:12_29
覚えるみことば: マタイ7:7
参考にするみことば: 第一サムエル1:11、マタイ1:19
教育目標: 良い美しい心を作って、ただ信仰によって従い、求めるものは何でも答えられる幸いな聖徒になるようにする。

神は愛する子どもたちに答えと祝福を与え、栄光をお受けになることを願われます。それでも、神の子どもたちが栄光を帰せない理由は何でしょうか? 今回は御手を差し伸べて、答えてくださる神について学び、答えの秘訣を調べてみます。


1. 御手を差し伸べて答えてくださる神

イスラエルの民は神が選ばれた民族です。彼らは神の摂理にあって、エジプトで四百年間、奴隷生活をしました。すると、イスラエル人がその苦役でうめいて叫ぶ声が神に届きました(出エジプト2:23)。神はモーセを指導者とされ、彼らをエジプトから連れ出して、乳と蜜の流れるカナンの地へと導かれます。
エジプトから出てくる過程で、神はイスラエルの民の目の前でさまざまな不思議としるしを施してくださいました。昼は雲の柱によって、夜は火の柱によって導かれ、岩を打って水を川のように流して飲ませられ、食べる物がない時は天の戸を開き、マナという天の穀物を与えられたのです。
それでは、イスラエルの民が奴隷生活をしていたエジプトから出て、カナンの地へ行く旅程が、私たちと何の関係があるでしょうか? これは、私たちがこの世の罪の中を歩んでいた生活から出て、天国に入るまでの、この地上での信仰生活と関わりがあります。
神はじっと後ろ手に組んで見ておられる方ではありません。イスラエルの民に働かれたように、私たちの人生の過程で御手を差し伸べてともにおられ、求めることに答えてくださり、天国にまで導かれます。それで、<マタイ7:7>に「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」とあり、答えの秘訣を教えてくださるのです。
聖書には、神が御手を差し伸べて答えてくださる場面がたくさんありますが、死んだ人を生き返らせてくださったこともあります。
列王記第二4章では、預言者エリシャがシュネムの女の死んだ子どものために切に祈ってからその子の上に身を伏せると、子どもは七回くしゃみをして生き返ります。ヨハネの福音書11章では、イエス様がラザロの墓に向かって「ラザロよ。出て来なさい。」と言われると、死んで四日になって、もう臭くなっていたラザロが手と足を長い布で巻かれたままで出て来ました。ルカの福音書7章では、イエス様がナインという町のやもめの死んだ息子に向かって「青年よ。起きなさい。」と言われると、彼が生き返りました。イエス様だけではなく使徒たちも、イエス・キリストの御名によってそのようなみわざを施しました(使徒20:7_12)。
この他にも、聖書には普通の女にあることがすでに止まっていたアブラハムの妻サラが九十歳で息子のイサクを産んだことや、人間の手の指が現われ、王の宮殿の塗り壁の燭台の向こう側の所に物を書いたとおり、国を奪われて殺されたベルシャツァル王のケースもあります(ダニエル5章)。
<マタイ11:5>でイエス様がご自身のなさることを「目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。」と言われました。
このようなイエス様の行跡を記した使徒ヨハネは、ヨハネの福音書を締めくくりながら「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。」と記しました(ヨハネ21:25)。
このように神の驚くべきみわざは旧約時代やイエス様の時だけでなく、きのうもきょうも神に愛されるしもべや信仰の人々を通して、変わらずに現れています。


2. 神の答えはどんな人に臨むのか

それでは、神の答えは具体的にどんな人に臨むのでしょうか?
アブラハムは変わらない信仰によって答えられた人です。彼は神が人を死者の中からよみがえらせることもできる全知全能の方だということを信じたので、どんなことを要求されても聞き従うことができました。
しかし、ほとんどの人は自分の思いに合わなければ、疑って恨んでつぶやきます。このように二心のある人は答えられませんが(ヤコブ1:6_8)、どんな状況に置かれても、変わらない信仰を持てば、神に答えられることができます。
次に、神の答えは祈る人に臨みます。預言者エリヤは答えられるために、地にひざまずいて自分の顔をひざの間にうずめて祈ったとあります(第一列王18:42)。顔がひざの間に入るほどなので、どれほど切に祈ったかがわかります。そんな祈りを通して、三年半の間一滴の雨も降らなかった地に、大雨が降るようになりました。
また、どんな人に神の答えが臨んだのでしょうか? コルネリオは敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていました(使徒10:2)。このようなコルネリオの祈りと施しが神に届き、神は彼を覚えられ、ペテロを遣わして、彼とその場に呼ばれて来ていた親戚や親しい友だちまでも、みな聖霊を受けて救われ、異言の賜物まで受けられるようになさいました(使徒10章)。
ソロモンは神の御前に一千頭の全焼のいけにえを心を込めてささげたので、神が喜んで祝福してくださいました。ソロモンの夢に神が現れて「あなたに何を与えようか。願え。」と、彼に何でも答えられる権限を下さったのです。旧約のいけにえは今日の礼拝を意味します。私たちも神を愛して、神に霊とまことによって礼拝をささげれば、ソロモンのように祝福される人になれます。
それでは、少年ダビデはどうだったでしょうか? 彼は神が信仰を喜ばれるということを知って、信仰を見せて答えられました。つまり、ペリシテ人のゴリヤテという巨人を石投げで倒したのです(第一サムエル17:32_49)。ゴリヤテの死を見たペリシテ軍は仰天して逃げ始め、イスラエルはこの戦いで大いに勝利できました。一介の少年牧童にすぎなかったダビデでしたが、神により頼む信仰がこのようにすぐれて大きかったので、神に答えられて栄光も帰し、危機に面した国も救ったのです。このように、私たちの前にある大きい問題、とうてい不可能に見える問題があっても、ダビデのように大胆な信仰を持って進んでいけば、何でも答えられるのです。


3. 神にすみやかに答えられる人々の心

ヨセフはマリヤといいなずけの間柄でした。ところが、マリヤが身重になっているという驚くべきことを知るようになりました。彼女を知ることがなかったので、旧約の律法によれば、姦淫した女は石で打ち殺すように渡さなければなりません。
しかし、ヨセフはどうしたでしょうか? <マタイ1:19>に「その夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた」とあります。その女のために最後まで善を施したのです。ヨセフはこのような良い正しい心があったので、主の使いが夢に現れて、お告げを聞くことができました(マタイ1:20)。
マリヤもその心が正しくて良い人でした。マリヤはまだ男の人を知らないのに、御使いのガブリエルが現れて「ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。」と言います(ルカ1:31_32)。この時、マリヤは恐れたり心配したりしませんでした。ただ喜んで「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と言って、神のみこころが完全に実現されることを願いました。
また、エリサベツやザカリヤのような人たちはどうだったでしょうか? <ルカ1:6>に「ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行っていた。」とあります。彼らは年をとっていても子がなかったが、神の御前にその祈りが届いて、バプテスマのヨハネを生むという大きい祝福を受けました。
それだけでなく、ハンナは神の御前に誓願を果たす心だったので、答えられることができました。願いどおり男の子を得たあと、その子が乳離れしたとき、すぐその子を連れて【主】の宮があるシロに行きました。そして、その子サムエルを祭司エリのところに連れて行って、神のしもべとしてささげたのです。ハンナは誓願を守ったので、それ以後、三人の息子とふたりの娘を産むことができたし、また、サムエルはイスラエルの大預言者になったのですから、どれほど大きい祝福でしょうか。
このようにすばらしい神、奇蹟を施して、どんなことでもおできになる神を見つけることさえすれば、すべての問題が解決されて、心の願いに答えられるので、乏しいことがありません。したがって、神との隔ての罪の壁を壊して、信仰によって聞き従い、良い心で切に求めて、求めるものは何でも答えられますように。


* まとめと適用

(     )の中にふさわしい人物を下から選んで書いてください。
<ハンナ、ヨセフ、コルネリオ、エリヤ、アブラハム>

1.人を死者の中からよみがえらせることもできる全能の神を信じたので、ひとり子イサクを全焼のいけにえとしてささげなさいと言われた時も、完全に聞き従った。(     )
2.王と国民の深刻な偶像礼拝のため、国に三年半の間日照りがあったとき、自分の顔をひざの間にうずめる切なる祈りで雨が降るようにした。(     )
3.神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、ペテロを通して親戚、友だちまで聖霊を受けて救われるようになった。(     )
4.いいなずけの女が、彼女を知ることがなかったのに身重になったとき、そむきの罪を知らせようとしたり、害を加えようとしたりする心が全くなく、内密に去らせようと決めた。(     )
5.神に誓願したことを移り変わることなく完全に果たして、イスラエルの大預言者サムエルが生まれるようにした。(     )


* 今週の課題

聖書には、神様に喜ばれる口の告白をして、答えられて祝福された人々の例がいくつか記されていますが、どこにあるでしょうか? 次回までに調べてきましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう!

「マナ」とは?
イスラエルの民がエジプトから出てカナンの地に行く途中、荒野で食べるものがない時に、神が天から与えられた糧である。小さくて丸くて白く、コエンドロの種のようで、その色はベドラハのようであった(民数記11:7)。ひき臼でひくか、臼でついて、これをなべで煮て、パン菓子を作って食べたが、その味は蜜を入れたせんべいのようであった(出エジプト16:31)。

 
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