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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第11課「信仰の行い」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2014-03-28


読むみことば: ヨシュア3:7_13
覚えるみことば: マルコ9:23
参考にするみことば: ヘブル11:1
教育目標: 肉の思いを徹底的に打ち砕いて霊の信仰を持ち、神のみわざをいつも体験する幸いな聖徒になるようにする。

信仰は宝の中の宝です。主を信じれば、この世のどんな権威や名誉、富でも得られない救いと天国、永遠のいのちと祝福を得ることができるからです。また、信仰があれば、全知全能の神に求めるものは何でも答えられるので、どんなことでもできます(マルコ9:23)。したがって、信仰はすべての問題を解決することのできる答えの鍵であって、信仰生活はもちろん、人生で成功するためにどうしても必要なものです。



1. 神が願われる霊の信仰

信仰は大きく「肉の信仰」と「霊の信仰」に分けられます。
まず「肉の信仰」とは、目で見て確認できて、自分の常識や知識に合うから信じる信仰です。たとえば、木で机を作るのをすでに見て知っている人は、誰かが木で机を作ったと言えば、疑わないで信じます。これは有から有の創造、すなわち、すでにある物から何かを作り出すことを信じる信仰です。
しかし、人の思いや知識に合わなくても信じることを「霊の信仰」と言います。肉の信仰と反対になる霊の信仰は、無から有の創造、すなわち、ない物から何かを作り出すことを信じる信仰です。天地万物が神のことばによって創造されたことを信じ、神の全知全能であることを信じる信仰なのです。霊の信仰があってこそ神のみわざを体験し、答えられ、祝福されて、天国に入ることができます。
ところで、霊の信仰は自分で持てるのではありません。神が与えてくださってこそ持てるのです。[ローマ12:3]に「むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」とあります。つまり、おのおのの器に応じて、神が霊の信仰を分け与えてくださるのです。
それでは、神はどんな人に霊の信仰を下さるでしょうか? それはみことばのとおりに行う人です。憎しみ、争い、ねたみ、姦淫など、真理に逆らう心を捨てて、敵をも愛し、命令を守り行うほど、霊の信仰を与えてくださるのです。
もし、自分で霊の信仰を持てるなら、答えられない人がどこにいるでしょうか。大統領になりたいなら「主よ、大統領になるようにしてください。信じます」と言い、憎い人がいたら「あの人を懲らしめてください」と言えばよいでしょう。その祈りのとおり答えられたなら、この世がどうなるでしょうか。ですから、神は誰にも霊の信仰を下さらないで、真理に変えられた分、心から信じられる信仰を与えてくださるのです。
したがって、私たちが答えられようとするなら、肉の信仰を霊の信仰に変えなければなりません。そのためには、霊の信仰を持てないように妨げる肉の思いを打ち砕かなければなりません。「肉の思い」とは、真理に逆らうすべての思いのことを言い、この思いがあるからみことばが信じられないで、しきりに疑いが生じるのです。
人は自分が積んだ知識、経験、思いを正しいと思いますが、その中には真理でないものが多いです。このように誤って入力された知識が肉の思いを呼び起こして、霊の信仰を持てないように妨げます。
肉の思いが多い人は自分の知恵を働かすので、自分の力を超えることはできません。肉の思いを打ち砕いて、入力された知識の中で誤ったものは取り出して、霊の信仰が与えられてこそ、神の力によって何でもできるのです。



2. 信仰の行いによって現れる神のみわざ

エジプトから出たイスラエルの民が四十年の荒野生活を終えて、ついにヨシュアの後についてカナンの地に入る頃のことです。カナンの地に入ろうとするなら、どうしてもヨルダン川を渡らなければなりませんでした。毎年刈り入れの間中、ヨルダン川は岸いっぱいにあふれるほどでした。
ところが、神はヨシュアに「あなたは契約の箱をかつぐ祭司たちに命じてこう言え。『ヨルダン川の水ぎわに来たとき、あなたがたはヨルダン川の中に立たなければならない。』」と言われます(ヨシュア3:8)。
ヨシュアは神のことばを信じて民に言います。「【主】の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになる。」
人の思いではとうてい起こりえないことでしたが、ヨシュアとイスラエルの民は神のことばを信じて、そのまま行進しました。【主】の箱をかつぐ十二人の祭司を先頭にした行列が、ついにヨルダン川の水ぎわに着きました。
先頭に立った祭司たちの足の裏が荒波の立っている川の水の中にとどまると、驚くべきことが起こりました。上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたにある町アダムのところで、せきをなして立ち、イスラエルの民の前に流れ下る水は完全にせきとめられました(ヨシュア3:15_17)。
この他にも、葦の海を乾いた土地のように渡り、モーセが木の枝を投げて入れると苦い水が甘い水になり、マナが天から降って、岩を打つと岩から水が出ることなどは、人の思いではとうてい不可能なことです。しかし、肉の思いを打ち砕いて、全知全能の神を信じて行ったとき、驚くべきことが起こったのです。



3. 信仰によって神のみわざを体験しようとするなら

1)神のことばに聞き従わなければなりません

もしモーセが心の中で「杖を上げ、手を海の上に差し伸ばすからといって、はたして葦の海が分けられるだろうか。だめならどうしよう」と疑ったとすれば、神のみわざが現れたでしょうか? 疑わないで完全に信じたので、信仰のとおりに働かれたのです。
このように、モーセが霊の信仰を持つまでには、過程が必要でした。神がモーセにイスラエルの民をエジプトから連れ出せと命じられたとき(出エジプト3_4章)、モーセは民が自分を信じないでしょうと言います。
そこで、神は信じられる証拠として、しるしを見せてくださいます。モーセがおことばに聞き従って杖を投げたとき、杖が蛇になり、手を伸ばしてその尾をつかんだとき、それは杖になったのです。 また、手をふところに入れてから出したとき、ツァラアトに冒され、もう一度手をふところに入れたとき、再び彼の肉のようになっていました。その後も、モーセが従う時はいつも、神が十の災いなど信じられる証拠を現してくださるので、彼の信仰が全き信仰になれたのです。
私たちも心に信じられる霊の信仰を持って、信仰の行軍ができるまでは、断食して祈りながら、熱心にみことばを聞いて従っていく過程が必要です。そうするとき、神が下さる霊の信仰をいただいて、信仰によって行軍できるのです。

2)信仰の体験を得るために祈らなければなりません

神を信じると言いながらも体験がない人は、体験するようにしてくださいと祈らなければなりません。これは神を信じられないからではありません。神をさらに熱く愛せるように、いろいろな方面で神についてもっと知ろうとすることなのです。したがって、病気や問題がある人は、この解決のために求めなければなりません。
また、神と私たちの間に必要なことを祈らなければなりません。つまり、神を見つけることと神を信じる信仰を持つこと、信仰によって罪が赦されること、救いの確信を持つこと、神の国のために能力を開発すること、聞き従うことなどを求めなければならないのです。このように神の恵みを求めるとき、神が働かれます。

3)夢と目標に答えられるための信仰の行いがなければなりません

私たちが夢と目標を立てたとすれば、それに答えられるために信仰の行いを見せなければなりません。たとえば、教会がリバイバルするためには、手をこまねいて、ひたすら祈って断食だけするからといって済むのではありません。実際に魂を顧みる人たちが訪問して伝道するなど、具体的な行いが伴わなければならないのです。
物質の祝福をいただいて宣教して施しをしたいと願うなら、信仰によって熱心に蒔かなければなりません。神は「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。──万軍の【主】は仰せられる──わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」と約束されました(マラキ3:10)。
したがって、自分が目標にしたことを達成するためには、静かに時だけ待つのではなく、祈って断食することはもちろん、積極的な信仰の行いが必要です。私たちが信仰によって望んで行えば、「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11:1)とあるように、望んでいる事がらが保証されます。ですから、現実的には何も見えないとしても、答えの実を信仰の目で望んで、いつも信仰の行軍をしますように。



* まとめと適用

1. 肉の信仰とは何でしょうか?

____________________________________________________________________________

2. 霊の信仰とは何でしょうか?

____________________________________________________________________________

3. 肉の信仰を霊の信仰に変えようとするなら、どうすべきでしょうか?

____________________________________________________________________________

4. 信仰によって神のみわざを体験しようとするなら、どうすべきでしょうか?
第一、神のことばに(    )なければならない。
第二、信仰の体験を得るために(    )なければならない。
第三、夢と目標に答えられるための信仰の(    )がなければならない。



* 今週の課題

ルツはダビデ王の曾祖母としてイエス様の系図に載せられました。どうしてこれほど神様に祝福されたのでしょうか? ルツ記を読んで、その理由を考えてきましょう。



* 「人物」を知って力にしましょう!

「ヨシュア」
エフライム部族のヌンの子である。アマレクとの戦いで軍の指揮官として輝かしい功績を立てた。モーセの従者としてモーセと一緒にシナイ山に登った。カナンの地を探りに行った十二人のひとりで、悪く言いふらした十人とは違って、カレブと彼は神が下さった土地であることを信仰によって確信に満ちて告白した。モーセの後を継いでイスラエルの指導者になり、民をカナンの地に導いた。カナンの地を十二部族に分配し、百十歳で死んで、自分が相続地として与えられた地、ティムナテ・セラフに葬られた(ヨシュア24:29_30)。

 
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