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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第7課「ヨブの行い」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2014-06-20


読むみことば: ヨブ1:1_5
覚えるみことば: ヨブ23:10
参考にするみことば:ヨブ29:8_17、31:16_32
教育目標:ヨブのようにまことの義人になるために、本性の中の悪を発見して捨て、霊肉ともに祝福される聖徒になるようにする。



ある人は憤りを捨てたと思ったのに、心に苦しみを受けていたら、一瞬憤りが出てきて驚いたりもします。信仰の兄弟が愛されて大いに祝福されているのを見ると、完全に喜べない心を発見して悔い改める人もいます。つまり、自分にはそんな悪がないと錯覚していたのです。それで、神は信仰が強くて良い人に見える人にも訓練を受けることを許して、本性の中に隠されている真理に逆らうものを発見するようにされます。
ヨブも、訓練を受ける前は自分で悪が発見できませんでしたが、激しい訓練を通して本性の中の悪を発見しました。結局それを捨てて、倍の祝福を受ける義人になったのです。



1.東の人々の中で一番の富豪であったヨブ

ヨブは潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた人でした。彼は「東の人々の中で一番の富豪」(ヨブ1:3)と言われるほど、財物が多かったのです。羊が羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭がいました。「くびき」とは、牛、馬などをすきや馬車、牛車、かじ棒につなぐ際に用いる木製の棒状器具です。ですから、牛だけで千頭いたという意味になります。羊とらくだはそれより数倍も多かったのですから、まことに多くの財産を持っていた大金持ちでした。
それでは、神がヨブを「東の人々の中で一番の富豪」と言われたのは、どんな意味で言われたのでしょうか? ここで「富豪」とは、財物が多くて正しく使える人のことを指し、進んで、知識が多くてよく活用できる人、愛と徳が多くて尊敬されている人のことを指してもいます。このように尊敬するに値すると認められている人は、単に目に見える業績だけを見てそう言っているのではありません。それほど心遣いや心の出来が良くて、尊敬できるほどの基本条件を備えているということを言っているのです。
心の出来が良い人は、言われたことだけでなく、それ以上のことを包容力を持ってよく果たします。隅々まで心を配れる広い心と、どれほど誠意を尽くすかによって、心の器の大小に違いが生じます。もし心の出来が良くないなら、これからでももっと広くて大きい心に変えていけばよいのです。あらゆる分野に熱情を持って、自分を犠牲にして献身する心になることが心の出来を良くする道です。
ヨブを調べてみれば、かわいそうで貧しい人に父のような役割をして、富豪として心遣いが美しかったことがわかります。また、自分のすべての知恵と知識で多くの人を悟らせて、彼らとともに楽しみました。豊かな財物を人々に手厚く施して助けたので、まことに偉い人と言えるのです。
その他にも、ヨブは神が喜ばれるほどの姿を持っていました。息子たちは何も考えず食べて飲んで振舞っていても、ヨブだけはいつも神の御前に自分を清く守るために最善を尽くしました。祝宴の日が過ぎれば、翌朝早く息子たちひとりひとりのために、それぞれの全焼のいけにえをささげました。ひょっとして彼らが祝宴中に誤って罪を犯したのではないか心配したからです。このようなヨブを神は潔白だとみなされました。しかもヨブは神が自分のすべてのもの、すなわち、すべての子どもと財産を取って行かれても感謝しました。



2.訓練を通して全き義人になったヨブ

ヨブは子どもたちと財物をすべて失う大変な出来事にあっても、愚かに神を恨みませんでした。ところが、ヨブに続けて試練や患難がやって来ました。足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物がひどくて、土器のかけらを取って自分の身をかき、また灰の中にすわる悲惨な姿に変わったのです。彼の妻は慰めるどころか「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」とあざ笑って呪いますが、ヨブは口でも罪を犯しませんでした。
ところが、このように潔白なヨブも通り抜けられなかったことがありました。「私は正しくて真実だったし、本当に神様を恐れたのに、なぜ神様は私にこんな苦しみを与えて、あざけられるようになさるのか」と思ったことです。
神がヨブにまことに望んでおられたのは、変わらず真実で悪のない全き心でした。本当にヨブが神の御前に真実なのか、神を最後まで信じるのか、どんな状況でも神への心が変わらないのか、ご覧になろうとされたのです。
ヨブはすべての財産と子どもたちを失っても感謝しましたが、試練が続くと、ついに神への信頼が壊れ始めます。これ以上耐えられない限界に至ると、深く隠されていた悪が現れたのです。ヨブは生まれた時の自然環境を恨み、生んでくれた親を恨んで、後には「私の権利を取り去った神、私のたましいを苦しめた全能者」(ヨブ27:2)と言って、神まで恨むのです。結局、自分は正しい人で、神は正しくないという結論に至ったのです。
神はヨブが良い心の芯を持っていて、そこに一つだけ加えれば、その時代にあって義人の中の義人になるのに十分なことをご存じでした。行いでは誰よりも完全だった彼が、心の奥深くにある悪までも発見して捨てれば、まことの義人になれることを知っておられたのです。それで神はサタンがヨブを試みるように許され、それを通して聖められた人になれるように導かれたのです。
それでは、ここで私たちが悟らなければならないことは何でしょうか? まことの義人として認められるためには、ヨブのような試練を通り抜けられなければならないということです。だからといって「神様が私にそんな試練を与えられたらどうしよう」と心配する必要はありません。神は誰にでもそんな試練にあわせるような方ではありません。心の器をご覧になって、耐えることのできる人があうようになさるのです(第一コリント10:13)。ヨブは十分試練に耐えることができることをご存じだったので、あわせるようになさったのです。
結局、ヨブは自分でも知らなかった心の奥深くに隠されていた悪を発見して捨て、まことの義人になりました。このように試練を通り抜けて良い器になると、神はより大きい祝福をもって報いてくださいました。



3.真実の人を捜し出して祝福なさる神

真理そのものであられる神は真実で神を完全に信頼する人を捜し求めておられます。そのような人を見つければ、尊い人として高めて、栄えある冠を授けてくださいます。ヨブのように正しい人になって、自分の行いを振り返って、いつも神の御前に傷もしみもなく清いことを望んでおられるのです。
ここで「行い」とは「習慣のようにしていること」を意味しています。神は、道を歩くにも、何かを計画したりどんな働きをするにしても、神の御前に全き義人であることを望んでおられ、祝福なさるのが見られます。
もし皆さんがヨブのようにつらいことにぶつかったとすれば、最後まで神の御前に恨まないで正しく行えるでしょうか? 神は困難がやって来ても最後まで感謝できる真実な人を捜し求めておられます。自分のすべてのもの、それどころか命を失うとしても、神を信頼できる真実な信仰を持つことを望んでおられるのです。
このような義人にするために、神はヨブを訓練にあわせるようになさいました。結局、ヨブは悪はどんな悪でも避けた全き義人として、どんな状況でも神を100パーセント信頼できる深い霊的な段階に入り、以前より倍も祝福されました。貧しい人が倍に祝福されてもいくらにもならないでしょうが、財閥のかしらが倍に祝福されたなら、大したものでしょう。訓練を受ける前もヨブは東の人々の中で一番の富豪だったので、それの倍なら、途方もなく祝福されたのです。
私たちが神に祝福されるためには、何よりみこころにふさわしい心にならなければなりません。そのような心にさえなれば、神は私たちが願うとおり豊かに満たしてくださいます。もし祝福されないのなら、神が下さらないのではなく、自分のほうに問題があるからです。もしかして自分の心の中に不平、恨み、嘆き、悲しみ、心配など、神が喜ばれない悪がないのか調べれば発見できます。
神が望んでおられるまことの義人になれば、言葉にならない喜びが湧いて、神の答えと祝福が臨むようになります。傷もしみもない御霊に属する心で祈るので、その祈りが神に立ち上って、驚くべき祝福が与えられるのです。まことの義人に変えようと練られる神の深い愛を悟って、すみやかにふさわしい心になり、思いきり神の答えと祝福をいただきますように。



* まとめと適用

1.潔白で正しいヨブが訓練を受けた理由は何でしょうか?

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2.ヨブが訓練を受ける前の所有と訓練が終わった後に受けた祝福を比べて書いてください。(ヨブ1:3、42:12_16)

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3.もし自分にヨブのような試練がやって来れば、まことの義人に変えるための神の深い愛だと悟って、喜んで感謝できるでしょうか?



* 今週の課題

みことばを同じように聞いていても、人によって信仰が違う理由は何でしょうか? 次回までに考えてきましょう。



* 「用語」を知って力にしましょう!

「潔白」と「正しい」の霊的な意味
「潔白」の辞書の意味は「清潔でよごれのないこと」であり、霊的な意味は「行いで柔和を現すこと」である。「正しい」の辞書の意味は「道徳・倫理・法律などにかなっている。よこしまでないこと」であり、霊的な意味は「他人を欺かないことだけでなく、自分自身をも欺かないこと」を意味する。自分自身と約束したことでもその約束を守る人を神は正しい人だと認められる。

 
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