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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第7課「もしそうでなくても」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2014-10-17


読むみことば:ダニエル3:13_18
覚えるみことば:第一テサロニケ5:16_18
参考にするみことば:第二コリント11:23_27
教育目標:条件付きの信仰ではなく、どんな状況でも変わらない信仰と行いによって神の大いなる愛と祝福をいただくようにする。


最近は「相手が自分を愛しているから自分も愛するとか、相手が自分に何をしてくれるから私もその報いで何をしてあげる」という条件付きで愛する人々がたくさん見られます。自分が先に相手の利益を求めて犠牲になるよりは「相手が先にこうしてくれれば、自分もそうする」という条件がつくのです。当然すべきことなのに、条件なしでしてあげれば、損をするように思ったりもします。このような条件つきの姿は神の御前に善になれません。
しかし、ダニエルの三人の友だちは条件つきの信仰ではなく、神が命を望まれても喜んでささげられる、まことの信仰を持っていました。神の命令を守るために火の燃える炉に投げ込められるとしても、どんな妥協もせず、条件もつけなかったダニエルの三人の友だちの信仰について調べてみます。



1.バビロンに捕囚となって来たダニエルの三人の友だち

バビロンはB.C.605年に南ユダを侵略して、王族や貴族など社会の指導層一部を捕らえて連れて行きました。その中にはダニエルと三人の友だちもいました。バビロンのネブカデネザル王は、南ユダの王族か貴族の中で、身に何の欠陥もなく、容姿は美しく、あらゆる知恵に秀で、知識に富み、思慮深い少年たちを連れて来て、三年間カルデヤ人の文学とことばとを学んで、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で養育することにしました。
ところが、王の食べるごちそうには神が禁じられたものがあることもあるので、ダニエルと三人の友だちは王の食べるごちそうで自分たちを汚すまいと心に定めました。ダニエルは世話役に、十日間野菜を食べるから、王の食べるごちそうを食べている少年たちの顔色と見比べてみるように頼みます。十日の終わりになると、ダニエルと三人の友だちの顔色のほうが良く、からだも肥えていたので、野菜だけ食べられるようになりました。
このように神により頼んでただみことばのとおりに行うと、神は彼らに知恵と悟りを下さって、王に愛されるようになさいました。結局ダニエルは大臣になり、三人の友だちはバビロン州を治める地位にまで上るようになりました。



2.「私たちの仕える神は救い出すことができます。もしそうでなくても」

ある日ダニエルの三人の友だちに大きい試練がやって来ました。ネブカデネザル王が金の像を造って、その前でみな拝むようにしたのです。もし金の像を拝まない者がいれば、だれでも火の燃える炉の中に投げ込まれると宣言したのです。
しかし、三人の友だちは金の像を拝みませんでした。王はもう一度機会を与えるから拝むようにと脅します。それにもかかわらず、三人の友だちは少しも揺るがず「もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」ときっぱりと言います(ダニエル3:17_18)。つまり、神が自分たちを火の燃える炉から救ってくださらなくても、神のために喜んでいのちをささげるという悲壮な信仰の告白をしたのです。
ダニエルの三人の友だちは何かの報いを願って、神のことばどおり行ったのではありませんでした。当然行うべきことを行ったので、このような試練がやって来たことについて神を恨んだりつらがったりもしませんでした。偶像を拝んではならないという神の命令を完全に守るために、喜んで自分たちのいのちを投げ出したのです。
神は命令を守ることにおいて、どんな条件もつけないで、自分のいのちを捨てても道理を尽くす心の良い人を喜ばれます。そのような人を通して栄光をお受けになり、みこころを成し遂げられるのです。ですから、神がどうして三人の友だちを火の燃える炉から救ってくださらないでしょうか。七倍も熱くした炉に投げ込まれましたが、その頭の毛も焦げず生きて出て来ました(ダニエル3:27)。ネブカデネザル王は神に栄光を帰して、民に命令し、ダニエルの三人の友だちを救い出された神をほめながら、彼らをバビロン州で栄えさせました(ダニエル3:28_30)。
このように何の過ちもなく試練がやって来たとき、信仰によって打ち勝てば、神が大いに祝福してくださり、さらに高い座に上って栄光を帰すようになさるのです。



3. 条件つきの信仰を打ち砕かなければならない

もし病気がいやされたいと思ったり、家庭、職場、事業の場の問題が解決されたいと願うなら、「自分がはたして神様を条件をつけないで信じて、完全にみことばどおり行ってきたのか」を振り返ってみますように。神の御前に行うべきことをしないで、答えが遅いと恨んだりつぶやいたりしなかったのか、自分を冷徹に見つめなければならないでしょう。
また、すべきことはある程度しても、答えられるまで変わりなく行ったのか、チェックしてみなければなりません。つまり、途中で疑ったりあきらめてしまい、恨んだり嘆いたりしなかったのか、振り返らなければならないのです。もしそんな心なら、神が答えることがおできにならないのです。
しかも「答えられたら神様を本当に信じます」という条件つきの信仰ならば、徹底的に打ち砕かなければなりません。芯から信じて行うとき、神が働いてくださるからです。何かの条件を打ち出すなら、それは信仰ではありません。条件つきの偽りの信仰です。答えてくださるなら神を信じ、答えてくださらないなら信じない、答えてくださるなら神を愛し、そうでなければ愛せないというのをどうして信仰と言えるでしょうか。
ですから、神が条件つきの信仰と忠実に答えを与えることはできないのです。心から神を愛して、救ってくださったことに感謝して、熱心に信仰生活をしながら求めるとき、神はそんな子どもの求めと祈りに答えてくださるのです。
したがって、神の御前に答えられようとする人は、ダニエルの三人の友だちのような姿にならなければなりません。「もしそうでなくても」すなわち、自分がもし答えられないとしても、神を恨んだりつぶやいたりするのではなく、最後まで感謝して信じなければならないのです。
このような心を持っている人ならば、どうして神が祝福してくださらないでしょうか。そのような心が神の御目に善であり、このような善の心があるとき、その人の行いを通して神のみわざが現れるのです。



4. どんな状況でも変わらない信仰を所有していた使徒パウロ

使徒パウロは一度主に会ってから、どんな状況でも信仰が揺るぎませんでした。どんな苦しみや迫害を受けながらも、自分のいのちを少しも惜しいとは思わず、殉教するその日まで、福音を伝えるのに努めました(使徒20:24)。
使徒の働き21章で、預言者アガボが「エルサレムでユダヤ人に、パウロは縛られ、異邦人の手に渡される」と言うと、使徒パウロは「私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えます。いのちが惜しくて信仰が揺らいだり、他の何とも妥協したりしませんでした。ダニエルの三人の友だちのように、変わらない心で条件をつけない信仰を持っていたのです。
使徒パウロは福音を伝えるために牢に入れられたことも多く、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、 むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。同国民から受ける難、異邦人から受ける難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました(第二コリント11:23_27)。
皆さんの中にこのような使徒パウロよりひどい苦しみを受けた方はいないでしょう。ところが、務めを果たすとき、人と引っかかったり、信仰が足りなくてつらい、大変だと思ったりするなら、これは移り変わる心、真理でない心があるからです。
使徒パウロは主の御前に条件をつけない信仰だったので、いつも喜んでいて、絶えず祈り、すべての事について感謝する生き方をしました。また、途方もない苦しみにあいながらも、ただ神の働きを実現することについて心配したのです。このように、その心が完全で、条件をつけない犠牲と愛の行いを見せたパウロは、異邦人の使徒として驚くべき神の力を行って、神に大いに栄光を帰しました(使徒19:12)。
皆さんもどんな状況でも変わらない心と条件をつけない信仰を持って、神のこの上ない愛と恩寵をいただきますように。



* まとめと適用

1.南ユダ人でB.C.605年、バビロンに捕囚となって来た人でないのは?
①ダニエル ②シャデラク ③アベデ・ネゴ ④ネブカデネザル

2.巨大な金の像を造って、その前で拝むように命令したバビロンの王は誰でしょうか?(       )

3.ダニエルの三人の友だちは死ぬとしてもなぜ金の像を拝まなかったのでしょうか?

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4.なぜ条件つきの信仰は神に答えられないのでしょうか?

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* 今週の課題

<マタイ15:21_28>に記されているスロ・フェニキヤの女は、どんな信仰で神様に喜ばれて問題が解決されたのでしょうか? 次回までに考えてきましょう。



* 知って力にしましょう!

「第二戒」
「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、【主】であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」 (出エジプト20:4_6)

 
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