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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第9課「あなたの信じたとおりになるように」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2014-10-31


読むみことば: マタイ8:5_13
覚えるみことば: ヤコブ2:26
参考にするみことば: ヨハネ1:47
教育目標: 神に喜ばれる良い言葉と行いで、求めるものは何でも答えられる聖徒になるようにする。

生きていれば良いこともありますが、そうでないことにも出会うようになります。ところが、同じようにつらくて苦しい状況だとしても、否定的な視角から見る人がいるかと思えば、いつも肯定的な姿で生きていく人々もいます。このように肯定的な人々の生き方はまことに美しく感じられるだけでなく、多くの人々に感動を与えて、良い結果をもたらします。
今回は、イエス様についての噂を聞いて、信仰によって神に喜ばれた百人隊長を通して、肯定的な心から出て来る告白とそれに伴う祝福について調べてみましょう。



1. イエス様が喜ばれた百人隊長の信仰

イエス様の時代、イスラエルは強大国ローマに支配されていました。本文に記されている百人隊長は、イスラエルのカペナウムに派遣されたローマ軍の百人隊長でした。彼の立場から見れば、イエス様は被支配国の民のひとりにすぎませんでした。もし百人隊長がイエス様についての噂を聞いたとき、「人の病気が祈るからといっていやされるのか」と言ったり、「私はこの国を治めるために来たローマ軍の百人隊長なのに、どうして被支配国の平民に助けを求められようか」と体面を重視したとすれば、イエス様のみもとに出て来ることはできなかったでしょう。しかも、同族のユダヤ人の中にもイエス様をさばいて罪に定める者がいるところでした。
それでも百人隊長はさばいて疑ったのではなく、イエス様のおことばをそのとおり心に信じて、大胆にみもとに出て来たのです。そして、「主よ。私のしもべが中風で、家に寝ていて、ひどく苦しんでいます。」としもべの病気をいやしてくださることを求めました。
イエス様が「行って、直してあげよう。」と言われると、百人隊長は「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。 と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」と驚くべき告白をします。
イエス様は百人隊長の告白に驚かれ、「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。」とほめられ、「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」と祝福なさいました。
それでは、どうやって百人隊長がこのようにイエス様にほめられるほどの信仰を持てたのでしょうか? 彼はイエス様の噂をすでに知っていて、それがすばらしかったので、そのこと自体を良い心で受け入れたのです。
このように、人の心に善がどれほど臨んでいるかによって、同じ事を見る視角や姿が明らかに違ってくるのです。仮に神を知らなくても、心の良い人はどんなに苦しんでいる中でも、人のせいにしたり恨んだりしないで、すべてを自分のせいにします。このような心に神の善が臨むようになれば、どんな状況でも善をもって見て、思って、良い姿を取るようになるのです。



2. 百人隊長の言葉と行いの中に現れた良い心

それでは、百人隊長の良い心がわかる言葉と行いは具体的に何でしょうか?

第一、百人隊長はイエス様に自分の祝福を求めたのではなく、しもべの病気をいやしてくださるようにと切に願いました。
当時、ローマは貴族社会であって、階級がはっきりしていたし、家で働かせるしもべなら、ほとんど捕虜として連れて来られた人々か、貧しいので売られてきた人々で、尊重される地位ではありませんでした。ところが、百人隊長は自分のしもべが中風で苦しんでいる姿がもどかしくて、自分でイエス様のみもとに出て来たのです。このような人ならば、他の人たちにもどんな心で対していたか推察できます。百人隊長がイエス様のところに持って出てきた問題自体がイエス様を感動させるのに十分でした。ですから、イエス様も直ちに「行って、直してあげよう。」と答えられたのです。

第二、百人隊長はイエス様に「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。」と告白します。
心の良い百人隊長はイエス様をあえて仰ぎ見ることのできない偉い方とみなして、このように告白したのです。イエス様は意味なしにおことばを口になさったり、目的なく足を運んだりなさる方ではありません。確かな目的をもって教えと悟りを加えるためにおことばを口になさり、正確な期限と時に従って足を運ばれる方なのです。
それなのにイエス様がただ一度で「行って、直してあげよう。」と言われたので、百人隊長の告白をどれほど喜ばれたのかがわかります。このようにイエス様が百人隊長の告白を喜ばれたのは、ただしもべの病気が治ることを切にお願いする良い心だけではなく、心に真実があったからです。
イエス様はピリポに導かれて出て来るナタナエルを初めて見ても「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」 (ヨハネ1:47)と言われました。百人隊長の心もすでにご存じだったのです。つまり、百人隊長の心の中に真実があるということをご存じだったのです。

第三、百人隊長は「私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」と言いました。
百人隊長の上には千人隊長がいますが、彼の率いている百人だけがいる所では、自分が最高のかしらです。このような時、ふつう世の人々は自分の下に兵士がいるということだけを強調しがちです。ところが、百人隊長はまず自分が権威の下にある者だと、自分をしもべにたとえて完全に低くして、イエス様を高めました。百人隊長は当時の社会的な地位や身分から見ると、欠けたるところがありませんでしたが、イエス様の御前で自分をこのように低くしているので、イエス様は感動するしかなかったのです。
私たちが真理の中を歩むことで心が変えられ、神がどんな方なのか知れば知るほど、「神様は天のように高い方で、自分はちりにも劣る存在です」という告白が自然に出て来て、心からさらに自分を低くするようになります。それで、百人隊長がイエス様のみもとに出て来たとき、自分をしもべの地位まで低くしたのです。

第四、百人隊長にはまことの霊の信仰がありました。
イエス様には一言でも天下万物をつかさどる霊的な力がおありになるということを信じたので、信じたとおりにしもべがいやされたのです。このように、まことの霊の信仰には必ず生ける神の証拠が伴います。神のことばは絶対に否認できない真理であり、まことなのです。
今日でも、神は聖書で約束されたみことばを信じる人に伴うしるしをもって働いてくださいます。本教会でも開拓以後今まで、神の生きておられることを信じるしかない証拠が無数に現れています。見えない者が見えるようになり、話せない者が話せるようになり、歩けない者が歩いて走り、死んだ者が生き返るなど、驚くべきみわざが現れています。
ある人は「私は信じてもだめです」と言いますが、本当に神を信じる人はみことばどおりに行って、信じたとおりに答えられるようになるのです(ヤコブ2:14_26)。神は、百人隊長のように心の地が良い人は、特別な体験がなくても信仰の道を変わらず歩みながら、神に愛されて祝福されるように導いてくださいます。
ある人は「何が何でも良いほうにだけ思って、信じてあげるばかりでは、だまされることもあるのではないですか」と言うかもしれません。しかし、良いことだけ信じよう、聞こうとする人は、悪い人の言葉を聞くとき、心が全くうれしくありません。しかもそれが正しい道から外れている時は、だまされないだけでなく、聖霊に働きかけられて見分けるようになります。ですから、善を愛して信じる人なら、何も心配する必要がありません。
したがって、まことであり良い知らせ、すなわち、福音を疑わないで信じるだけでなく、神の御前に良い言葉と行いで求めることは何でも答えられて祝福されますように。



* まとめと適用

1. 百人隊長はどこの国の人でしょうか?(     )
2. 百人隊長は誰の病気をいやしてくださいとイエス様に切に願ったのでしょうか?(     )
3. イエス様が百人隊長のしもべをいやしてくださるしかない理由を書いてください。

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4. イエス様が「行って、直してあげよう。」と言われると、百人隊長は何と答えたでしょうか?

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* 今週の課題

もし皆さんの手元に明日の糧しか残っていないのに、誰かが来てそれを下さいと言ったとすれば、あげられるでしょうか? 第一列王記17章を読んで、考えてきましょう。



* 「用語」を知って力にしましょう!

「霊の信仰」とは?
自分が学んだ知識や考えに合わなくても、神のことばならすべてを信じ、一度信じたことは現実と条件に関係なく、移り変わることなく信じる信仰である。また、知っている知識で終わるのではなく、行いで証拠を見せる信仰のことを言う。

 
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