new commer 初めてお越しの方の登録 | ホームページ管理人に
hide
ManminCentralChurch

黙示録講解 | 信仰を測ると | 創世記講解

 
banner
on air
Sermon
Official Service
メッセージ(date)
主日礼拝
主日夕方礼拝
金曜徹夜礼拝
Lecture
ヨハネの手紙第一
黙示録講解
創世記講解
Theme Sermons
十字架のことば
信仰の量り
十戒
愛の章
天国
地獄
Columns
cell bible
 
隠れたマナ
2019年
六日間のマナ・上
六日間のマナ・下
神の良きみこころ

信仰の量り
愛の章
御霊の実
神の七つの御霊
祝福の秘訣
クリスチャンの基本
わたしはそれをしましょう
義人は信仰によって生きる
八つの幸い
2010年
2009年
2008年
隠れたマナ
2019年
六日間のマナ・上
六日間のマナ・下
神の良きみこころ
信仰の量り
愛の章
御霊の実
神の七つの御霊
祝福の秘訣
クリスチャンの基本
わたしはそれをしましょう
義人は信仰によって生きる
八つの幸い
2010年
2009年
2008年
column
counselor
mis_cross_jp
MIS_Spirit
MIS_HolySpirit
MIS_HolySpirit
 
聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第10課「一握りの粉と、ほんの少しの油があるだけです」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2014-11-07


読むみことば: 第一列王17:8_14
覚えるみことば: マタイ10:41
参考にするみことば: 第一列王16:30
教育目標: すべてを惜しまず与えられる美しい善の心を行いで現して、神に愛されて祝福される聖徒になるようにする。

日が経つにつれて物質的には豊かになったとしても、精神的には貧しくなっています。わずか数十年前まででさえ、人と人との間に温かい情のやり取りがありました。ところが、今日は自分の日々の暮らしにだけ汲々としていて、他の人には無関心です。自分の利益のために相手がどんな害をこうむっても、気にしないのが見られます。このような世の中で、神を信じる子どもたちはどんな姿で生きていくべきでしょうか?



1. 罪によって深刻な日照りを経験するようになったイスラエル

イスラエルはアハブ王が外国の神を拝んで神を遠ざけると、国民もならって偶像を拝み、あらゆる罪を行いました。[第一列王16:30]に「オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも【主】の目の前に悪を行った。」とあります。これは、アハブ王がシドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、バアルとアシェラに仕え、歴代イスラエルのすべての王よりはなはだ悪を行ったからです。これによって神はイスラエルに二、三年の間雨が降らない呪いを下されました。
ここで私たちが悟るべきことは、家庭や職場、事業の場、そして国家的になぜ試練や患難がやって来るかということです。一家の長や企業のかしらが正しく立てなければ、困難にあうしかありません。国も同じです。
神は大きい災いをもたらされる前、エリヤがアハブ王に預言するようにされます。「私の仕えているイスラエルの神、【主】は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」と言ったのです。雨を降らせないことでアハブ王が悟って立ち返るように、機会を与えられたのです。彼らが仕えていた豊かさと雨の神であるバアルがむなしい偶像であることを悟らせようとなさる神の摂理だったのです。
ところが、アハブ王は悔い改めるどころか、神のみこころを伝えたエリヤを捕らえて殺そうとしました。すべてをご存じの神はエリヤがヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠すようにして、朝と夕方に烏を通してパンと肉を与えてくださいました。
深刻な日照りでケリテ川までかわいてしまうと、神はエリヤに「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」(第一列王17:9)と言われます。
そうかと言って、神がやもめに「わたしがしもべエリヤを遣わすから、このように養いなさい」と命じられたのではありません。彼女の心に働きかけて、エリヤを養うようにされるという意味です。ツァレファテのやもめがエリヤを養うように心に働きかけられることができたのは、人のために自分を犠牲にできる善の心を持っていたからです。



2. 最後に残っている糧でエリヤを養ったツァレファテのやもめ

エリヤは神の栄光のために備えられた器でした。死を見ることのないように生きたまま天に上げられるほど、神が喜んでともに歩まれる神のしもべでした。ですから、カルメル山で火の答えを受けられたのです。
エリヤは当時イスラエルの民が拝んでいた外国の神バアルとアシェラの預言者たち数百人を集めて、単身で対決しました。祭壇に全焼のいけにえを置いてから、自分の仕える神に祈って、どの神が天から火を下ろして全焼のいけにえを焼き尽すかということでまことの神を見分けようとしました。結局エリヤは火の答えを受けて、これを見守っていたすべての人々がまことの神はただ【主】おひとりであることを知るようにしました。このように神の栄光のために尊く用いられているエリヤなので、烏を通しても必要な糧を与えられ、ツァレファテのやもめを通しても働かれたのです。
神に命じられてツァレファテに着いたエリヤはその女性に「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」と言います。彼女が取りに行こうとすると、エリヤはまた彼女を呼んで「一口のパンも持って来てください。」と頼みます。長い間の日照りで水も得にくいところなのに、食べ物まで下さいと言うとはまことに臆面もない頼みでした。
しかし、ツァレファテのやもめは少しも怒ったり気を悪くしたりしたのではなく、エリヤを助けられない自分の身の上をもどかしく思いながら説明します。「あなたの神、【主】は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」と言いました。つまり、エリヤが彼女に求めたものは彼らに残っている最後の糧でした。
皆さんがエリヤのようにツァレファテのやもめに頼みに行って、このような言葉を聞いたとすれば、その残っている食べ物を下さいと言うこと自体がどれほど心苦しいでしょうか。もしエリヤが人間的な思いを働かせて、ツァレファテのやもめに頼まなかったとすれば、その女性の良い心が神に喜ばれる行いとして現れなかったでしょう。
エリヤはツァレファテのやもめに「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。・・・・・・イスラエルの神、【主】が、こう仰せられるからです。『【主】が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」と言います。金塊を持って来ても穀物を買えないほど深刻な日照りの中で、最後に食べて死ぬほどの残った穀物を下さいと言ったのです。ですから、エリヤの頼みを聞き入れるということは決してやさしいことではないのです。「もし自分が言うとおりそんな能力があるなら、なぜ私のように貧しいやもめに糧を下さいと言うのだろうか」と思うこともあるでしょう。
しかし、ツァレファテのやもめはどんな理由や弁解もなしに聞き従いました。つまり、彼女の心がどれほど神と神のしもべを信頼していて、心が良いのかがわかるのです。



3. すべてのものを惜しまず与えられる人に臨む祝福

神はこのように良い心をご存じだったので、多くの人の中でツァレファテのやもめが神のしもべエリヤを養うように働かれました。そうして祝福の道を開いてくださったのです。ところで、誰でもがこのように神の祝福をいただけるのではありません。その女性の心が良くて、また聞き従う信仰を持っていたので、その信仰によって聞き従って神の摂理のうちに祝福されるようになったのであって、決して偶然ではないのです。
[第一列王17:15_16]に「彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。エリヤを通して言われた【主】のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。」とあります。つまり、深刻な日照りが終わる時まで少しも糧を心配しない、驚くべき祝福をいただいたのです。
ここで大事なことは、ツァレファテのやもめの善が神に愛されている人に向けられたということです。ツァレファテのやもめは、自分を訪ねて来た人が神の人でなくても十分にこのような善の行いを見せるほどの心でしたが、相手がエリヤだったから祝福をいただけたのです。後に自分の息子が死んだ時も、エリヤを通して生き返る体験をするようになりました。
神は他の方法でもエリヤを養うことがおできになりましたが、ツァレファテのやもめに祝福をお与えになろうと、神がともにおられて保障されるエリヤを彼女に遣わされたのです。もしやもめの心に少しでも利己的な欲があったとすれば、エリヤの言葉に聞き従えなかったでしょう。しかし、彼女は相手のために与えられる良い心があったので聞き従えました。これがまさに神が望んでおられる良い心でした。このように神の善を心に耕した人なら、神だけでなく人に対しても求めるとおりに与えられます。
神が望んでおられるのは、わずかに残っているものを全部くれと言っても喜んで与えられ、くれと言わなくても、心に働きかけられる時にそのとおりに従って与えることのできる、良い心なのです。ツァレファテのやもめのように、自分の利益を求めないで最後の糧で他の人を養える心は、まことに神がご覧になって良い心です。
しかし、神は良い心だけでは祝福することがおできにならないので、エリヤを通して神が喜ばれる行いをするように導かれました。心にある善を行いで見せるとき、祝福をいただけるからです。皆さんも心にまことの善を耕して、その善を行いで見せ、神の大なる祝福をいただいて、思いきり栄光を帰しますように。



* まとめと適用

1. シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、バアルとアシェラに仕え、歴代イスラエルのすべての王よりはなはだ悪を行った王は誰でしょうか?(     )
2. ツァレファテのやもめはどんな心を持っていたので、深刻な日照りの中でも最後に残った糧で預言者を養うことができたでのしょうか?(     )
3. ツァレファテのやもめが最後に食べて死のうとした糧は何だったでしょうか?
(     )
4. 神様は他の方法でもいくらでもエリヤを養うことがおできになったのに、なぜ特にツァレファテのやもめのところに遣わされたのでしょうか?

___________________________________________________________________________



* 今週の課題

ダビデ王はなぜ神様に愛されたのでしょうか? ダビデの心にあった善とは何でしょうか? 次回までに第一サムエル16章と23章に目を通してきましょう。



* 「用語」を知って力にしましょう!

「肉的な意味の偶像」と「霊的な意味の偶像」
肉的な意味の偶像とは?形のない神を物質的な形に造り上げたもので、拝む対象になる形のことを言う。木、石、金属、金、銀などで人、動物、昆虫、鳥、魚、日、月、星などの形を造って拝むことを偶像礼拝と言う。
霊的な意味の偶像とは?神よりも愛するすべてのものを言う。たとえば、人が自分の欲に従って親や夫、妻、あるいは子どもを神よりも愛すれば、霊的な偶像になる。また、自分自身を最高と思って愛する人は、自分がまさに偶像なのである。

 
ManminCentralChurch
73, Yeouidaebang-ro 22-gil, Dongjak-gu, Seoul, Korea
- tel 82-2-818-7000 - fax 82-2-851-3846
COPYRIGHT MANMIN CENTRAL CHURCH, ALL RIGHTS RESERVED