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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第15課「私はその者を全焼のいけにえとしてささげます」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2014-12-26


読むみことば: 士師記11:30_35
覚えるみことば: 申命記23:21
参考にするみことば: 民数記30:2
教育目標: 神の御前や人の前で誓願を立てて約束したことは必ず守り、神に認められて愛される聖徒になるようにする。

仮に皆さんが総理大臣と「総理官邸で明日三時に会いましょう」と約束したとしましょう。ところが、次の日大統領に「急な用事があるので十分だけ遅れます」と言ったり、何も言わずに約束を破ったりする人がはたしているでしょうか? まして一国の総理大臣とは比べられない、天地万物の支配者である神との約束を一方的に変えたり破ったりすることは、ひどく無礼で悪いことだと悟らなければなりません。
それでは、神との約束をどう守るべきか、エフタを通して約束を守る善について調べてみましょう。




1. エフタの誓願と戦いでの勝利

エフタはイスラエルのギルアデの勇士であって、父親のギルアデが遊女に生ませた子です。ところが、ギルアデの本妻から生まれた息子たちがエフタを憎んで、相続権を与えまいと彼を追い出してしまいます。トブの地に逃げたエフタはそこで多くの追従者を得て、大きい勢力を形成するようになります。
その当時、イスラエル人は神を捨てて、バアルやアシュタロテをはじめとしてあらゆる神々に仕えていました。これによって十八年間もペリシテとアモン人によって圧迫されていました。神が忌み嫌われる偶像を拝んだので、神は守ることがおできにならなかったのです。非常な苦境に立ったイスラエルの民は過ちを悔いて【主】に切に叫びます(士師記10:10)。
そんなところでアモン人が攻めて来ます。イスラエルは戦うためにミツパに陣を敷きましたが、軍を率いる首領がいませんでした。悩んだギルアデの長老たちは結局トブの地に住んでいたエフタを訪ねて行って、自分たちの首領になってくださいと頼みます。
すると、エフタは自分の同族を救うために追従勢力を率いて戻って来ます。エフタはまずアモン人の王と交渉してみますが、王は聞き入れません。結局戦いに出るようになったエフタは神に「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、 私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を【主】のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます。」と誓願を立てます(士師記11:30_31)。
エフタの切なる誓願の祈りをお聞きになった神はアモン人との戦いでイスラエルが大勝利を収めるようになさいます。ところが、エフタが勝利を得て家に帰ったとき、最初に迎えに出て来た人は、他ならぬ自分のかわいいひとり子の娘でした。父の勝利があまりにもうれしくて、踊りながら迎えに出て来たのです。
もし皆さんが遠くへ出張して帰って来て、ひとりしかいない娘が戸口の外で待っていて、うれしそうに迎えてくれたとすれば、どれほどかわいいでしょうか。<士師記11:35>でエフタは自分の着物を引き裂いて「ああ、娘よ。あなたはほんとうに、私を打ちのめしてしまった。あなたは私を苦しめる者となった。」と苦しい心情を吐露します。
いくらかわいいひとり娘であっても、一度神に誓願をしたことを変えることはできませんでした。彼は「私は【主】に向かって口を開いたのだから、もう取り消すことはできないのだ。」と、神との約束をひるがえしませんでした。エフタの娘も「【主】があなたのために、あなたの敵アモン人に復讐なさったのですから。」と言って聞き従います。




2. かわいい娘を全焼のいけにえとしてささげるようになったエフタ

ある人は「神様はなぜこんなぞっとする誓願を立てるようにされたのだろうか」と疑問に思うかもしれません。しかし、神は人を全焼のいけにえとしてささげることを決して喜ばれません。神がエフタにそのような誓願を立てなさいと言われたこともないのに、エフタが切羽詰った状況で深く考えてみもしないで、あせって誓願をしたのです。
その当時は、全焼のいけにえをささげることが今日の礼拝のように神と交わる方法でした。私たちが霊とまことによって礼拝をささげて神に喜ばれるように、旧約時代の人々は最も尊いものを全焼のいけにえとしてささげ、香として神に立ち上るようにしました。
それでは、なぜエフタは自分を最初に迎えに出て来る人を全焼のいけにえとしてささげると言ったのでしょうか? 初めてのものはそれほど大切で意味があるからです(出エジプト23:19)。エフタは緊急で切実だったので、神により頼んで答えられるために、最初に迎えに出て来る人を全焼のいけにえとしてささげると誓いました。
アブラハムがイサクを全焼のいけにえとしてささげた時は、神があらかじめ雄羊を備えておいてイサクが死なないようにしてくださったのに、なぜエフタにはそうされなかったのでしょうか? これは神へのエフタの真実な姿が聖書に記されて、後世の人々に神との約束がどれほど大切なのか、教訓にするためです。神に誓願を立てたことはどんな状況でも守らなければならないことを象徴的に見せてくださったのです。
それでは、エフタの娘があまりにも無念ではないでしょうか? そうではありません。神に信頼する人はみこころを実現するために迎える死を避けません。バプテスマのヨハネや使徒パウロも心から神を信じて愛したので、喜んで殉教したのです。
アブラハムやエフタの立場からは、ひとりしかいない子どもを全焼のいけにえとしてささげるより、いっそ自分が代わりに火の中に飛び込むほうがやさしかったでしょう。しかし、自分や愛する子どもよりも神への信頼と愛のほうを大切に思ったので、ひとりしかいない子どもでも、全焼のいけにえとしてささげられたのです。




3. 正しい誓願と実行の重要性

ここで私たちが得られる教訓は何でしょうか? まず聖なる神の御前に誓願を立てるとき、切羽詰っているからといって、言葉をむやみに口から出してはいけないということです(箴言18:21)。必ずしも誓願でなくても、神に約束したとすれば、大きかろうが小さかろうが必ず守らなければなりません。
<申命記23:21>に「あなたの神、【主】に誓願をするとき、それを遅れずに果たさなければならない。あなたの神、【主】は、必ずあなたにそれを求め、あなたの罪とされるからである。」とあって、誓願を実行する重要性を強調しています。<民数記30:2>には「人がもし、【主】に誓願をし、あるいは、物断ちをしようと誓いをするなら、そのことばを破ってはならない。すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。」とあります。
それで、エフタはひとりしかいない娘でも、全焼のいけにえ、すなわち、動物のようにほふって、肉と骨を切り分け、火に焼いて神にいけにえとしてささげたのです。神はこのようなエフタの心をご存じだったので、彼の誓願をお聞きになって答えてくださいました。
約束は神の御前でも人との関係でも大切です。信仰の兄弟や世の人との約束、あるいは自分に対して心でした約束までも、必ず守らなければなりません。約束を守るということは心に偽りと欺きがないという証拠になるからです。必ず約束を守ってこそ、神と人々に認められて愛されることができます。




4. 誓願と約束を守った時に伴う祝福

神の御前に誓願を立てたことをそのとおり守り行うとき、行ったとおり報いてくださる神は驚くべき祝福として働いてくださいます。仮に誓願を立てたことが守りにくくても、心に決心してすみやかに守る人は必ず祝福されます。
ところが、誓願を立てたことを遅れて果たせば、その分祝福も遅れます。もし誓願をしておいたのに守らないならば、神との間に隔ての壁となり、祈っても答えをいただくことができません。
それでは、全く誓願や約束をしないほうがよいのでしょうか? そうではありません。<第二コリント9:6>に「私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。」とあります。信仰がなくて何も蒔かなければ、刈り取ることもできないことを知らなければなりません。
私たちが神の御前に信仰によって心を込めて蒔くと、神は三十倍、六十倍、百倍にあふれるように刈り取るようにされます。ですから、信仰で、祈りで、奉仕で、物質で蒔く人々は驚くべき祝福をいただいて、思いきり栄光を帰す幸いな生き方をするようになります。どんな状況でも言い訳をしないで、誓願と約束を必ず守る心になれば、神も必ず誠実に答えてくださるのです。
このように神は必ず約束を守られるだけでなく(民数記23:19)、押しつけ、揺すりいれ、あふれるように注いでくださる、すばらしい方です。ですから、神が完全であられるように、心に決心したこと、誓願を立てたことを必ず守り行って、神に愛されて祝福され、思いきり神に栄光を帰しますように。




* まとめと適用

1. ギルアデの息子で、アモン人からイスラエルを救った人物は誰でしょうか?
①トラ ②ヤイル ③エフタ ④ギデオン

2. エフタがアモン人との戦いで勝利を得て帰って来たとき、一番先にうれしそうに迎えに出て来た人は誰でしたか? (         )

3. なぜエフタは自分を最初に迎えに出て来る人を全焼のいけにえとしてささげると言ったのでしょうか?

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4. 次の説明の中で間違っているものを選びなさい。
①神の御前に誓願をするとき、切羽詰っているからといって言葉をむやみに口から出してはいけない。
②神に約束したとすれば、大きかろうが小さかろうが必ず守らなければならない。
③神の御前に誓願や約束は絶対にしてはならない。
④誓願をしたことを守るとき、神は驚くべき祝福として働いてくださる。




* 今週の課題

今回で「神の良きみこころ」シリーズは終わります。皆さんの人生で選択の岐路に立たされた時や、危機的な瞬間が終わった後、神様の良きみこころを感じたことがあるでしょうか? 次回に分かち合ってみましょう。




* 知って力にしましょう!

「アモン人の王と交渉するエフタ」(士師記11章)
アモン人との戦いを前にしたエフタはまずアモン人の王と外交的な交渉をする。アモン人の王は前に占領された地を返してくれと言い、エフタはそうできないと言う。なぜなら、イスラエルは他の民族を侵略したこともないし、エモリ人の王シホンとも戦いを望まなかったが、先に攻撃したからだ。そのとき占領したシホン王の土地はイスラエルのものであってアモン人のものではないし、そのことは古いことなのに今になって問題にするのは正しくないと言う。しかし、アモン人の王はエフタの言葉を聞き入れないで、戦争を起こしてしまう。

 
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