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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第16課「行いに応じて報いる」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2015-10-23


読むみことば: 黙示録22:12
覚えるみことば: 黙示録22:12
参考にするみことば: マラキ3:10
教育目標: 救いの確信と物質の祝福、天国の報いを受けるための具体的な方法は何か知らせる。

今日「主よ、主よ」と言いながらも、救いの確信なく教会に通っている人がいるかと思えば、罪を犯しながらも、教会に通いさえすれば救われると錯覚している人もいます。神は公義に従って行いに応じて報いてくださる方です。誰でも信仰によって救いの枠の中に入ってきてこそ、神の子どもとされる特権を得て、救いの確信を持つことができます。物質の祝福と天国の報いも同じです。
それでは、私たちが救われることはもちろん、物質の祝福と天国の報いを受けるために積むべき公義は何でしょうか。

1. 救いの確信を持つには

1) 心に信じられる信仰がなければなりません
<ローマ10:9_10>に「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」とあります。
私たちが救いの確信を持つには、まず、イエス様が全人類の罪を贖うために人となってこの地上に来られた神の御子であると告白しなければなりません。そして、十字架につけられて死なれて、死の力を打ち破って三日目によみがえられたことを心に信じなければなりません。主の復活が心に信じられてこそ、再臨も天国も信じられて、救いの確信が臨むのです。
心に信じられる信仰は神のことばを知っているからと言って、持てるのではありません。神のみこころどおり行う時でこそ、神が上から信じられる信仰を与えられ、この信仰があってこそ、完全な救いに至ることができます。

2) 行いのある信仰がなければなりません
信仰は行いによって全うされ、行いのない信仰は死んでいる信仰にすぎません(ヤコブ2:26)。心に信じられる信仰があれば、口で告白するようになり、みことばを聞いて悟ったほどみことばどおり生きていく行いが伴います。行いのある信仰を見せたほど、神は救いの確信を下さり、聖霊を体験するようにしてくださいます。
私たちがイエス・キリストを信じて心の割礼をしながらみことばどおり守り行うとき、救いに至ります。ただ形式的に礼拝に参加して熱心になるからといって、救われるのではないのです。救われない人が錯覚して救いの確信を持つからといって、救われるのでもありません。
また、いくら主を受け入れて聖霊を受けたとしても、みことばどおり生きず、ことさらに罪を犯し続けたら、御霊が消されて結局神と関わりがなくなります。それで、<ヘブル10:26_27>に「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。」とあるのです。
<ヘブル6:4_6>にも「一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。」とあります。したがって、行いのある信仰によって罪と戦って血を流すまで抵抗して捨て、義を実現して行く時でこそ、救いの確信が与えられます。
もし救いの確信がなければ、自分を徹底的に振り返ってみて、神が嫌われる罪を捨てて、みことばどおり生きようと努めなければなりません。そうするとき、聖霊が心に信じられる信仰を与えられ、救いの門に導かれることができます。

2. 物質の祝福を受けるには

神は行ったとおり報いてくださり、蒔いたとおり刈り取るようにされる方です。もし物質の祝福をいただきたいと思うならば、物質で蒔かなければなりません。何であれ蒔かないところから刈り取ることができないので、神は愛する子どもたちに物質の祝福を下さるために、十分の一献金をことごとくしなさいと命じられました。
<マラキ3:10>に「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。──万軍の【主】は仰せられる── わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」とあります。つまり、十分の一をことごとくすれば、神が不必要な支出を防いでくださり、あふれるばかりの祝福を注いでくさるということです。
初心の者や信仰のない人々は、十分の一献金をすればまるで物質に損するかのように思いますが、決してそうではありません。聖書に記されている神のことばを信じて、十分の一献金をことごとくすれば、家庭、職場、事業の場を守ってくださいます。どんな事故や災いからも守ってくださるので、物質が無駄になりません。
感謝献金や例祭献金などの奉納物をささげる時も、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、感謝する心でささげるとき、神は喜んでお受けになり、大きい祝福をもって報いてくださいます。蒔いたとおり刈り取るので、豊かに蒔けば豊かに刈り取り、少しだけ蒔ければ少しだけ刈り取るようになります。
第一列王記17章のツァレファテのやもめは、長い間の日照りで食べる物がないとき、最後に残った糧で預言者エリヤを養いました。やもめがこのように尊いものを蒔いたので、雨がまた降る時まで糧が尽きない祝福を受けることができたのです。
このように物質の祝福を受けるためには、十分の一献金をことごとくするのはもちろん、感謝献金をささげますが、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、喜んでささげなければなりません。

3. 天国の報いを受けるには

神の子どもたちは信仰に応じて行いがそれぞれ違います。信仰が大きいほど神に栄光を帰し、天に報いもたくさん積めます。この世で生きていきながら、何かをよくやれば認められて賞をもらい、将来が保証され、自分を輝かせるように、神の国でも同じです。神のみこころのとおり生きながら神に栄光を帰せば、創造主であり、愛そのものであられる神が、とこしえになくならないで栄えある報いを与えてくださいます。
天国には私たちがこの地上で行って蒔いたことに対する報いが積まれています。神は三十倍、六十倍、百倍に刈り取るようにされる方なので、どれほど大きく報いてくださることでしょう。
特に魂の救いは天国で最も大きい報いになります。神はひとりの魂を全世界よりも尊く思って愛されます。ですから、時が良くても悪くても伝道して、ひとりの魂も失わないように、さらに愛して顧みなければなりません。
使徒パウロは魂の救いのためにあらゆる迫害や患難を受けながらも感謝し、人々を自分のいのちより愛しました。惨めな殉教をしながらも、この地上に残された人々を心配して、信仰によって世に打ち勝つようにと切に祈ったのです。このように自分のいのちも惜しまずに献身した使徒パウロに、神は新しいエルサレムの栄光はもちろん、天国で高い序列に立つように祝福されました。
私たちが心から主を愛すれば、神の国のために忠実に仕えて報いを積むことに努めるようになります。しかも、主のしもべや地域長、組長、区域長、連合会長、宣教会長、機関長ならば、リバイバルという実で神に栄光を帰すために最善を尽くさなければならないのです。聖歌隊や教師、奉仕隊、献金委員など、自分の賜物を生かして教会に仕える人々も同じです。
神は地獄に落ちるしかなかった魂を救ってくださいました。その大いなる神の恵みに報いるために忠実に仕え、神の国のために蒔くものはみな報いになります。たとえば、教会が聖殿建築をすれば、レンガ一個でも足しになるようにと蒔くとき、神がその心を喜ばれます。物質がなければ、断食と祈りで蒔くことも報いになります。
小さい者に水一杯でも飲ませることも忘れないで報いてくださる神は、聖徒たちの一挙手一投足を炎のような御目で見守っておられ、誰がどんな心で神を愛して、魂を尊く思い、隣人に仕えているのか探っておられます。ですから、信仰によって救われるだけでなく、身と心と知力とまことを尽くして神を愛し、天国に多くの報いを積んで、この地上でも大いに祝福されますように。



* まとめと適用
( )の中にふさわしい答えを入れてください。
1. 救いの確信を持つにはどうしなければならないでしょうか。
第一、心に信じられる( )がなければならない。
第二、( )のある信仰がなければならない。

2. いくら主を受け入れて( )を受けたとしても、みことばどおり生きずに、ことさらに罪を犯し続けるなら、( )が消されて結局神と関わりがなくなる。

3. 神は愛する子どもたちに物質の祝福を下さるために十分の一献金をことごとくしなさいと命じられた。
<マラキ3:10>に「( )をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。──万軍の【主】は仰せられる── わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの( )をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」とある。

4.皆さんは天国に報いを積むためにどんな労苦をしているでしょうか。

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* 今週の課題
私たちの主がまたおいでになるとき、どんなことがどんな順番に起こるでしょうか。<マタイ24:32_34><第一テサロニケ4:16>を読んで整理してきましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう
「死に至る罪」とは
聖霊を冒涜し、逆らい、けがす罪のことを言う(マタイ12:31_32、ルカ12:10)。また、主を十字架にかけて、恥辱を与える罪と(ヘブル6:4_6)、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けることを言う(ヘブル10:26_27)。

 
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