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メッセージ >
聖書の学び
Title
第14課「主を信じるということ」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2019-04-05
読むみことば: ヘブル12:1_2
覚えるみことば: 第一コリント15:21
参考にするみことば: レビ25:23_28
教育目標: イエス様が救い主になれる資格条件と、主を信じるということは何かを悟って、まことの信仰の証拠を見せる聖徒になるようにする。
1. 世界の始まる前から隠されていた人間の救いの摂理
初めに、神はご自身のかたちに、土地のちりで人を造り、彼に「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創2:16_17)と仰せられました。
ところが、永い歳月が流れて、最初の人アダムとエバはサタンに操られた蛇に惑わされて、善悪の知識の木から取って、その実を食べてしまいました。その結果、罪が入って来て、アダムの罪の性質を受け継いだすべて人類も、やはり罪によって永遠の死に至るしかありませんでした。
そのため、愛なる神は世界の始まる前から救いの道を備えておられましたが、まさにその方がイエス・キリストです。<使徒4:12>に「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」とあるように、イエス・キリスト以外には、救い主の資格を備えた人がいないからです。
2. 土地の買い戻しの権利のあるイエス・キリスト
神は創造主として、常に愛と公義によって宇宙万物を支配し、人類の歴史をつかさどる方です。一国の王や大統領であっても国家の法に従うように、天地万物の主人である神も、聖書に記されている霊の世界の法則に従って支配されます。
霊の世界の法には、罪人に罰を与える法、すなわち「罪から来る報酬は死」(ローマ6:23)という法があるかと思えば、反対にその罪を赦す法もあります。それで、最初の人アダムが罪を犯したことによって、敵である悪魔に任された権力を取り戻すために、神は罪が赦される霊の世界の法則を適用されたのです。
神はアダムにすべての万物を支配する権力を与えられましたが(創1:28)、彼が不従順の罪を犯したので、彼が持っていたすべての権力と栄光が悪魔に任されるようになってしまいました(ルカ4:6_7)。
このように死に至るようになったすべての人が、罪を赦されて、アダムが受けた神の子どもとされる特権を取り戻せる霊の世界の法則とは何でしょうか。それはイスラエルの「土地の買い戻しの法」からその答えが得られます(レビ25:23_28)。つまり、地は買い戻しの権利を放棄して売ってはならないし、貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類や本人が来て、売ったものを買い戻せるようにされた法なのです。言い換えれば、土地の買い戻しの権利のある資格を定めておいて、そのまま行えば土地を返してもらえるようにしたのです。この法によれば、地は神のものなので、人が買い戻しの権利を放棄して、売ってはなりません。ふさわしい資格を備えた人が来れば、その土地を返さなければならないのです。
このように天下万物も神のものなので、アダムから任されていた権力を、悪魔がいつまでも持つことはできません。アダムの罪を贖うのにふさわしい者が来れば、その権力を返さなければなりません。
それでは、イエス様が土地の買い戻しの法に従って、敵である悪魔に任されていた権力をどう取り戻せるでしょうか。次の四つの条件を備えなければなりません。
第一に、「人」でなければなりません。
<レビ25:25>に「もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。」とあります。アダムが渡してしまった権力を取り戻すためには、アダムの親類である「人」でなければなりません。
<第一コリント15:21>に「というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。」とあります。つまり、死が人であるアダムを通して来たように、死んだ霊が生き返るのも人を通して来るということです。ですから、イエス様は人となって来られたので、第一の条件に合う方です(ヨハ1:14)。
第二、アダムの子孫であってはなりません。
罪を贖うためには、自分が罪人であってはなりません。ところが、アダムの不従順によって彼の子孫はすべて罪人になりました。したがって、アダムの子孫は救い主の条件に合わないのです。
ところが、イエス様は男女の精子と卵子が結合して宿られたのではなく、おとめマリヤのからだを借りて、聖霊によって宿られました(マタ1:18)。ですから、イエス様はアダムの子孫ではないし、罪がおありになりません。
第三、力がなければなりません。
兄弟が貧しくて土地を売ったとき、それを買い戻すためには、それほどの力、すなわち、暮らしの余裕がなければなりません。いくら気持ちはあっても、余裕がなければ土地を買い戻すことはできません。
霊の世界では罪がないことがすなわち力です。イエス様はアダムの子孫ではないので、原罪がないし、みことばどおり生きられたので、ご自分で犯した罪もありません。このように罪がないので、暗やみの権力を屈服させ、死にも打ち勝ってよみがえられることによって、私たちの救い主になれることがおできになったのです。
第四、愛がなければなりません。
土地が完全に買い戻されるためには、上の三つの条件の上に愛がなければなりません。兄がいくら富んでいても、愛がなければ莫大な借金を負っている弟を助けないでしょう。同じように、イエス様に愛がなかったとすれば、十字架の苦しみにあわれなかったでしょう。しかし、イエス様は私たちにいのちまで与えられる愛があったので、十字架につけられて血を注ぎ出して死なれたのです。これによって人類の罪を贖って、人間の救いの道を開いてくださいました。
3. 主を信じるということは心が真理に変えられること
主の十字架の苦しみのゆえ、信仰によって救われた神の子どもたちは病気、わずらい、貧しさなど、あらゆる呪いからも解き放されるようになりました。つまり、イエス様ご自身が貧しくなられ、私たちを富むようにしてくださり、その打ち傷によって、私たちの病気をいやしてくださいました。いばらの冠をかぶって、私たちの思いを通して犯すすべての罪を贖い、手と足に釘を打たれて、私たちの手と足で犯すすべての罪を贖ってくださったのです。
ところが、多くの人が主を信じると言っても答えを頂けないで、試練や患難の中に生きている理由は何でしょうか。信じるとはいえ、神の御目にはまことの信仰ではないからです。みことばを知っていても、罪を捨てないで真理に変えられないでいるのです。
「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」というみことばを知っていても、午前礼拝だけをささげて自分の好むことをするかと思えば、全く守らないで他の用事をしたりもします。また、十分の一献金をささげなさいというみことばを知っていても、もったいなくて一部だけをささげたり、全くささげないのです。これは神のものを盗むことですから(マラ3:8)、どうして祝福が臨むでしょうか。そうかと思えば、他の人の過ちを赦さず、憤って仕返ししてやろうとします。不信者と同じように恨んで嘆くのです。
信仰があるなら、神のみこころどおり行おうと、悪はどんな悪でも避けて、私たちのためにいのちまで渡してくださった主を見ならわなければなりません。自分を憎む人であっても、赦して愛さなければなりません。憤りを捨てて柔和な人に変えられ、悪い言葉を出していた口から良い言葉を出し、すべてに不平を言っていた人が、すべてのことに感謝する姿に変えられなければならないのです。このように悪を捨て去って真理に変えられることが、まさに神に答えを頂いて祝福される近道です。
<ヘブル12:1_2>に「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」とあります。
私たちのいっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、みことばどおり生きることで病気の苦しみから解き放され、人生のいろいろな問題が解決され、家庭、職場、事業の場に祝福があふれますように。
●まとめと適用
1. イエス様が救い主である四つの資格条件を書いてください。
①( )でなければならない。
②( )の子孫であってはならない。
③( )がなければならない。
④( )がなければならない。
2. 死に至るようになったすべての人が、罪を赦されて、最初の人アダムが受けた神の子どもとされる特権を取り戻せる霊の世界の法とは何でしょうか?( )
● 今週の課題
神様は<第二テモテ2:20_21>で私たち神の子どもたちを器にたとえておられます。自分は今どんな器なのか、将来どんな器になりたいか、みことばを読んで祈りながら考えてきましょう。
● 知って力にしましょう!
「完全に主日を守ることと十分の一献金の重要性」
主日を守ることは神の霊的な主権を認めるという信仰の表現であり、十分の一献金は物質に対する神の主権を認める行いである。このように神の主権を認めて神の子どもとされた証拠を見せるとき、敵である悪魔・サタンが訴えられず、求めるとおり神が思う存分祝福することがおできになる。信仰生活において十分の一献金と主日を守ることは最小限の信仰があるという証拠であり、救いと直結する、非常に重要なことである。
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