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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第40課 「あなたはわたしを愛しますか」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2008-10-03


読むみことば: ヨハネ21:15-17
覚えるみことば: ヨハネ21:15

教育目標

聖徒が霊的に成長できるようにいのちの糧で養って、愛と仕えで献身する働き人になる。


1. ヨハネの子シモン

本文は、イエス様がよみがえった後、三回目に弟子たちに現れて、ペテロに言われる場面です。[ヨハネ11:25]で「わたしは、よみがえりです。いのちです。」と言われたように、イエス様は実際に復活の初穂になられました。イエス様は一番弟子シモン・ペテロに「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」と聞かれました。これは主がシモンに質問されたことですが、すべての教会の主のしもべと働き人たちにも言われたことです。
[ヨハネ1:42]に「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」とありますが、シモンはヘブライ語でケパ、ギリシヤ語ではペテロです。また、[マタイ16:13-19]で、イエス様が弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と聞かれると、シモン・ペテロが「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と答えて言いました。すると、イエス様はペテロに「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」と祝福されました。ペテロとは、霊的に「岩」という意味であることがわかります。
[第一コリント10:4]には「みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。」とあって、「岩」がキリストであることがわかります。したがって、シモンとはペテロのことであり、ペテロとは岩、岩とはキリストを意味するのです。イエス様が「ヨハネの子シモン」と呼ばれたのは、キリストを受け入れて信仰の岩の上に立ったすべての人々、すなわち、神に認められる主のしもべと働き人たちに言われたのと同じです。
それでは、なぜイエス様がこのようにシモンを呼ばれたのでしょうか? シモン・ペテロはイエス様について行く弟子たちのうちで一番弟子だったので、イエス様の時代から主が再臨される時までのすべてのしもべの代表になれるからです。ペテロはイエス様の質問に、大胆に「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」と答えました。まことのクリスチャンなら、ペテロのように大胆に答えなければなりません。


2. あなたはわたしを愛しますか

イエス様はシモン・ペテロに三度も「あなたはわたしを愛しますか。」と聞かれました。ある人は、ペテロが前に主を三度「知らない」と言ったので、それに対する報いだと言いますが、愛の主はすでに悔い改めて立ち返ったことで相手の心を刺すようなことはされません。それでは、イエス様が三度も聞かれた理由は何でしょうか? [マルコ12:30]に「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」とあるように、神を第一に愛せよという意味が含まれています。
人は霊とたましいとからだでなっていて、まことの主人は霊であり、からだは霊とたましいが宿る幕屋にすぎません。それで、目に見えるからだを生んでくれた親より、霊とたましいを生んでくださった神をもっと愛しなさい、ということです。神を愛するとは、神の命令を守って、悪を憎むことです。[第一ヨハネ5:3]に「神を愛するとは、神の命令を守ることです。」とあり、[箴言8:13]に「主を恐れることは悪を憎むことである。」とあるからです。したがって、神を第一に愛して、主が「あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」と聞かれたとき、「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」と自信を持って答えられなければなりません。


3. わたしの小羊を飼いなさい

イエス様が「あなたはわたしを愛しますか。」と質問されると、ペテロは「はい。」と愛を告白しました。すると イエス様は「わたしの小羊を飼いなさい。」と言われました。ここで「小羊」とは何を意味するのでしょうか? ある者は、神が聖徒を「羊」と表現されたので、「小羊」は初心の者を意味していると言います。これはみことばを文字だけで解釈したからであって、聖書を詳しく調べてみれば、「小羊」はイエス様を意味していることがすぐわかります。
[ヨハネ1:29]で、バプテスマのヨハネがイエス様を指して「世の罪を取り除く神の小羊」と言っています。[レビ記]には、子羊をいけにえとしてささげる場面がところどころ出て来ますが、「子羊」とはなだめの供え物として来られるイエス様を意味しているのです。[出エジプト12:1-11]にも、傷のない一歳の雄の子羊を取り、火に焼いて食べなさい、というみことばがありますが、「子羊」とは、イエス様を意味しています。
ところで、[ヨハネ6:51]でイエス様が「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」と言われ、[ヨハネ6:53-54]では「人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」と言われました。
したがって、「子羊を食べる」とは、人の子の肉を食べて、人の子の血を飲むということです。「人の子の肉を食べる」とは、真理である神のみことばを聞いて、読んで、口ずさむということです。また、「人の子の血を飲む」とは、祈って神によって強くされ、みことばどおり生きていくことを意味します。イエス様がペテロに「わたしの小羊を飼いなさい。」と言われたのは、神を第一に愛する人になって、多くの人々が神のみことばを糧として、そのとおり生きていけるように導きなさい、という意味です。福音をあちこちに伝えて、さらに多くの人々が人の子の肉を食べて、その血を飲んで、永遠のいのちを持つように導かなければならないと悟らせてくださったのです。


4. わたしの羊を牧しなさい

イエス様は、神を第一に愛すると答えたシモン・ペテロに「わたしの羊を牧しなさい。」ともう一度言われました。私たちが神を愛して、祈って、罪と戦って捨て、命令を守るために熱心に走って行けば、神に認められる働き人になります。この時、主は「わたしの羊を牧しなさい。」と言われるのです。
それでは、「羊」とは誰を意味しているのでしょうか? [第一ペテロ5:2-3]に「あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。」とあります。すなわち、「羊」とは、神の子どもとされた聖徒を意味します。したがって、「わたしの羊を牧しなさい。」とは、聖徒たちを熱心に訪問し、みことばを教えて祈り、真理にあって正しい道を歩めるように導きなさい、という意味です。
ペテロやその他のイエス様の弟子たちが福音を伝えた時は、教会という特定の建物がなく、羊の群れがいなかったので、歩き回って福音を伝えて、教会を建て、羊の群れを作っていきました。今日は神のしもべたちが教会を建てて、羊の群れを救いの道に導き、心を込めて顧みる場合が多いです。このように牧会活動をする主のしもべだけでなく、教会の中で長老、執事、教師などの務めを受けて羊の群れを牧す人々も、神を第一に愛して魂を愛し、倒れた羊の群れを起こしていやすなど、正しい道に導かなければなりません。このように熱い心と意欲を持って、聖霊に満たされて最善を尽くして使命を果たすことが「羊を牧する」ことです。


5. わたしの羊を飼いなさい

イエス様が三度「あなたはわたしを愛しますか。」と質問されると、シモン・ペテロは心を痛めて「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」と答えます。イエス様はこの告白を聞いて「わたしの羊を飼いなさい。」と言われます。
ペテロが心を痛めたのは、何か悪い心になったり、さびしくなったからではありませんでした。自分が「主を愛します」と告白して、心から主を愛することを主がご存じであっても、自分の欠けていることを認めるしかなかったからです。
それでは、「羊を飼う」とはどんな意味でしょうか? 「羊を牧する」ことよりさらに一歩進んで、病気にかかって傷ついた羊をいやして健康な羊にし、迷っている羊を正しい道に導くことです。また、真理に正しく立てないで、党派心、そねみ、ねたみなどで牧者を試みる羊は、神の知恵と力を受けていのちの糧で養って、おとなしい羊に変えていくことです。
人の知恵と知識では不可能でも、神の力と知恵では十分にできることを信じて火のように祈り、試練や患難がやって来ても喜んで感謝し、羊の群れを導いていくなら、神が強くしてくださいます。大いなるリバイバルを起こしてくださり、神を愛するおとなしくて健康な羊に成長させられます。
神を第一に愛すれば、羊を飼う力が天から与えられます。いのちの糧で羊を熱心に飼うと、成長して神を第一に愛する人に変えられるのですから、どんなに感謝でうれしいことでしょうか。神の御子であるイエス様も、仕えられるために来られたのではなく、仕えるために来られたので、私たちもさらにへりくだって仕えて羊を飼う、良い忠実な働き人にならなければなりません。

 
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