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聖書の学び
Title
第30課 「信仰の行ない」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2009-07-24
読むみことば:ヨシュア記3:7-13
覚えるみことば:マルコ9:23
参考にするみことば:ヘブル11:1
教育目標
神の望まれる信仰を持って、神のみわざを体験する。
信仰はまことに尊い宝です。イエス・キリストを信じれば、この世のどんな権威や名誉、富でも得られない救いと天国、永遠のいのちと祝福を得ることができるからです。また、信仰があれば、全知全能の神に求めて何でも答えられるので、どんなことでもできます。したがって、信仰は救いへの道であり、クリスチャンの生き方の基礎になるだけでなく、人生において成功するのにどうしても必要な鍵です。
1. 神が望まれる霊の信仰
信仰は大きく、肉の信仰と霊の信仰に分けられます。
「肉の信仰」は知識的な信仰とも言います。自分の目で見て確認し、自分が知っている常識や知識と一致するので信じる信仰です。たとえば、木から紙を作るということをすでに見聞きして知っているなら、それを疑いなく信じます。これは、有から有の創造を信じる信仰です。
一方、私たちの目に見えなくても、人間の思いや知識に合わなくても信じる信仰を「霊の信仰」と言います。霊の信仰は肉の信仰とは正反対で、無から有の創造を信じる信仰のことです。つまり、現代医学で治療できない不治の病にかかったとしても、神が完全にいやしてくださることを心に信じる信仰です。このような信仰がまことの信仰であり、救われて天国に入れる信仰であり、祈りに答えられる信仰です。
それでは、霊の信仰はどのようにして与えられるでしょうか? 霊の信仰は自分で持てるのではなく、神が与えられてこそ持てるものです。これは、神がおのおのに分け与えてくださるもので(ローマ12:3)、イエス・キリストを受け入れて神を恐れ、そのみことばどおり行なう者に賜物として下さるのです。憎しみ、争い、そねみ、ねたみ、姦淫などの悪い心を捨てて、敵をも心より愛するなど、命令を守り行なう人に霊の信仰を与えてくださいます。また、霊の信仰を持ってこそ、生ける神の驚くべきみわざが体験できます。
私たちが信仰によって答えられて、奇蹟を体験するためには、肉の信仰を霊の信仰に変えなければなりません。生まれてから頭に入力された真理に逆らう世の知識は、むしろ霊の信仰を持つのに邪魔になるので、さまざまの思弁を打ち砕き、疑いをもたらす肉の思いを打ち砕かなければなりません。人の思いと信仰には大きな隔たりがあるので、人の思いではできないことも、全知全能の神を信じて頼る時は、どんなことでもできます。
2. 信仰の行ないによって現れる神のみわざ
エジプトで奴隷生活をしていたイスラエルの民がエジプトから出て、40年間、荒野で訓練を受けている間に、神に聞き従わなかった第一世代は死に、霊の信仰を持った第二世代はヨシュアについてカナンの地に入ります。その過程で、信仰によってヨルダン川を渡りました(ヨシュア記3:14-17)。
毎年、ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれるほどです。この時に神はヨシュアに「あなたは契約の箱をかつぐ祭司たちに命じてこう言え。『ヨルダン川の水ぎわに来たとき、あなたがたはヨルダン川の中に立たなければならない。』」と言われます。ヨシュアとイスラエルの民は神のことばを完全に信じたので、信仰によって進みました。そうして、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ってその中にとどまると、上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたの町アダムのところで、せきをなして立ちました。結局、イスラエルの民の前で、流れていた川の水は完全にせきとめられて、民はヨルダン川のかわいた地を通り、ついにすべてがヨルダン川を渡り終わりました(ヨシュア記3:1-17)。どんなに驚くべき神のみわざでしょうか。
このように、人としてはとうてい理解できない、まことに不思議なことが聖書にはたくさん記されています。モーセが杖を上げた手を海の上に差し伸ばすからといって、どうして葦の海が分けられて、海の真中にかわいた地が現れることがあるでしょうか。どうして岩を打つからといって、岩から水が出ることができ、木を投げ入れるからといって、苦い水が甘くなることがあるのでしょうか。しかし、神の全知全能さを信じて行なった時に、そのようなことが起きました。人間の思いではとうてい不可能なことでも、人間の思いを打ち砕いて霊の信仰を持ち、信仰をもって行なえば、神の大いなるみわざが現れるのです。
3. 信仰によって神のみわざを体験するには
1) みことばを聞いて従わなければなりません。
もし、モーセが神のことばに従って行なおうとするとき、「杖を上げた手を海の上に差し伸ばすからといって、はたして葦の海が分けられるだろうか。ひょっとして分けられなければどうしようか」と疑ったとすれば、みわざは起こらなかったでしょう。しかし、モーセは神のことばをほんの少しも疑わないで、完全に信じたので、神はその信仰のとおり働かれました。
モーセがこのように心から信じられる信仰を持つまでは、ある程度の過程が必要でした。同じように、私たちも心に信じられる霊の信仰を持って信仰の行軍ができるまでは、断食し、祈り、熱心にみことばを聞いて従っていく過程が必要です。みことばを聞いて、「従いなさい」と言われれば従い、「祈りなさい」と言われれば祈り、「断食しなさい」と言われれば断食しながら、そのみことばに従っていけば、上から神が下さる霊の信仰が持てます。このような信仰があってこそ、信仰の行ないが伴うのであり、信仰によって進んで神のみわざが体験できるのです。
2) 信仰の体験を得るために祈らなければなりません。
神を信じると言いながら信仰の体験がない人は、体験を得るために祈らなければなりません。これは、神が信じられなくて、信じられるように体験を下さいと祈ることではありません。神の子どもとして、神をもっと熱く愛することができるように、いろいろなことで神を深く知るようにしてくださいと願うことです。したがって、病気がある人々はいやしてくださいと、問題がある人々は問題の解決策を答えられるために求めなければなりません。
それだけでなく、その他にも神を見つけることと、神を信じる信仰を持つこと、そして与えられた賜物を開発することなど、いろいろなことを求めなければなりません。このように自分なりに神に向かって恵みを求めて行く者になったとき、神を体験できるように働いてくださいます。
3) 夢と目標がかなえられるための信仰の行ないがなければなりません。
ある目標を立ててかなえられるために、信仰をもって行なわなければならないということです。たとえば、教会をリバイバルさせようという目標があるなら、これに関わる人々が熱心に神に祈り、時によっては断食もしながら、行ないによって熱心に伝道するようにしなければなりません。伝道する時も、漠然とではなく、その方法がなければなりません。このように信じて祈り、行ないで見せる時に、伝道ができてリバイバルします。
信仰にあっては他のことも同じです。まず夢を持って、そのために神の望まれる方向を追い求めて、祈って断食しながら神に頼れば、すべてのことを働かせて益としてくださり、答えてくださいます。神はこのような信仰の行ないをまことに喜ばれます。したがって、神の御前で静かにその時を待つのではなく、祈って断食しながら求めて、信仰によって行なわなければなりません。
私たちが信仰の目で望んで行なえば、「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11:1)とあるように、信仰のとおり、望んでいたことが実際に与えられます。このように、私たちの信仰生活も、ヨシュアのような信仰の行軍をしなければなりません。いつも信仰の行ないを見せて、さらに熱く満たされた生き方をして光と塩になって、行く所ではどこでもキリストの香りを放ちますように。
* まとめと適用
1. <マルコ9:23>をみんなで覚えてみましょう。
2. 肉の信仰と霊の信仰の違いは何か、話し合ってみましょう。
3. 霊の信仰はどのように与えられるでしょうか?
4. 信仰によって神のみわざを体験するには、どうすべきでしょうか? かっこの中にふさわしい言葉を入れてください。
第一に、神を見つけて、そのみことばを聞いて、( )なければなりません。
第二に、信仰の体験がない人々は、体験が得られるよう求めて、( )なければなりません。
第三に、夢と目標に答えられるための信仰の( )がなければなりません。
* 今週の課題
ルツはなぜ神に愛されて、救い主の曾祖母になる祝福をいただけたのでしょうか? 次回までに考えておきましょう。
* 「用語」を知って力にしましょう!
ヨルダン川
イスラエルで一番長くて大きい川で、実際の長さは320Kmもある。パレスチナのシリアから始まって南のほうに流れ、ガリラヤ湖を通って死海に流れて行く。現在、川幅は8-15mで、比較的狭いほうだが、古代のヨルダン川は非常に広くて、よく氾濫した(ヨシュア記3:15)。川の両側のヨルダン渓谷は樹木が生い茂って景色が美しい。聖書では、ここでナアマン将軍のハンセン病がいやされ、バプテスマのヨハネがバプテスマを授け、イエス様がバプテスマをお受けになったことが記されている。
73, Yeouidaebang-ro 22-gil, Dongjak-gu, Seoul, Korea
- tel 82-2-818-7000 - fax 82-2-851-3846
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