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メッセージ >
聖書の学び
Title
第37課 「従順」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2009-09-11
読むみことば: 第一サムエル15:22-23
覚えるみことば: 第一サムエル15:22
参考にするみことば: ローマ10:10、8:7-8
教育目標
神が不従順を嫌われて、従順を喜ばれる理由を悟り、ただ聞き従って義と認められる祝福をいただく。
神はみことばどおり聞き従う人を喜んで祝福されます。神の驚くべき力を引き下ろす力が、まさに従順だからです。従順とは、やむをえず無理に従うのではなく、神の心を知って、その命令に喜んで従うことです。神を愛して完全に聞き従う次元になれば、人の思いではとうていできないことも行なうようになり、どんな環境も超えることができます。神に認められる義人とは、信仰によって従う人です。
1. 従順は義人になる門
<ローマ10:10>に「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」とあります。それでは、なぜ心に信じて義と認められるのでしょうか? 神の御子イエス様は何の罪もなく、すべての罪人の代わりに十字架につけられて死なれました。それで、誰でも救い主であるイエス様を知って、本当に心に信じれば、主の尊い血によってすべての罪が赦されて、救われるようになります。
このような救いの恵みを知っている人は、神の愛に感謝して、熱心にみことばどおり従って生きていきます。<ヤコブ2:22>に「彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ」とあるように、本当に信仰がある人は神のことばに従うことができます。神のことばが記された聖書に「憎んではならない」と書いてあるので憎しみを捨て、「ねたんではならない」とあるのでねたまず、「敵も愛しなさい」とあるので敵をも愛するのです。
このように神のことばを行なって、聞き従っていくと、イエス・キリストを受け入れて義人と認められる次元を超えて、まことの義人になるのです。ですから、みことばに聞き従うようになると、義人になる門に入ったと言えるし、従順という門に入ってからはじめて、一つ一つ実践しながらまことの義人としての資格を備えるようになるのです。
2. 秩序に合わせて従う人は祝福
この世には、秩序に合わせて従うべき関係がしっかりしていなければならないことがたくさんあります。たとえば、家庭では、親がきよくて真実で正しい生き方をしているほど、自分の子どもを正しく教えようとします。そして、親は当然、子どもが「はい」と親の言うことを聞くことを願うでしょう。そうでない子どもがいる時は、不幸と悲しみ、争いの原因になって、悩みの種になりやすいのです。反対に、すぐに従って自分をすみやかに変えていく子どもは親を喜ばせます。師弟の間も同じです。師である人は弟子が礼儀正しく師を尊重して、学んだことをすぐ悟って、よく糧として活用し、人の模範になることを願うでしょう。会社の社長も、社員が自分の言うことに聞き従うだけでなく、誠実で真実で賢くて、会社の発展に寄与する有能な人であることを願うものです。
神も、ご自分の子どもたちがみことばどおり従うことを非常に喜ばれます。ですから、神はアブラハムがとてもいとおしかったはずです。アブラハムは自分のいのちより大切なひとり子でも神にささげるほど、聞き従う人でした。神はこのようなアブラハムの信仰と従順を義と認めて、喜ばれました。それで、<創世記22:12>に「今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」と言われて、大いに祝福されたのです。
一方、サウル王は神に聞き従いませんでした。すると、預言者サムエルがサウル王に「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」と厳しく責めます(第一サムエル15:22-23)。
3. 神のことばに聞き従えない理由
それでは、サウルはなぜ預言者サムエルからこのように言われたのでしょうか? 神はサウルに「アマレクのすべてのものを聖絶せよ」と命じられましたが、サウルは自分の思いを働かせて、アマレクのアガグを生けどりにし、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものは残して、つまらない値打ちのないものだけを聖絶しました。このような不従順によって、サウルは結局、神に呪われて、王の座から退けられます。
ここで私たちが悟らなければならないのは、人は自分の思いがあるから聞き従えないということです。さらに、神の真理のみことばには、私たちに入力された知識とは反対になるものが本当にたくさんあります。たとえば、「自分を低くしなさい。そうすれば高くされる」「死になさい。そうすれば生きる」「あなたの右の頬を打つような者には左の頬も向けなさい」などのみことばは、私たちの思いとはあまりにも合いません。このような神のことばにも聞き従えないのに、どうして神のみこころに合わせて、神に喜ばれることができるでしょうか。
したがって、<第一ヨハネ4:20>には「目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」とあるのです。自分が属している家庭や職場、教会で、目に見える人の心にも合わせられなくて愛せないのに、どうして目に見えない神を愛することができるでしょうか? すべてのことにおいて、自分の思いに合わせずに「アーメン」と受け入れて、神のことばに合わせて行なうことが、まさに従順であることを悟らなければなりません。
4. 聞き従う義人に働かれる神
ある人が神の働きを任されて旅立とうとしていましたが、その働きを前にして、突然、家に大きい事が起こりました。その時、「ああ、わが家に問題が起こったのに、どうして行けるだろうか」と、自分の思いを働かせて行かなかったとすれば、神の働きは果たされないまま残るしかありません。しかし、「私が神様の前に定めたのだから行こう」と行けば、その後のことは神がすべてのことを働かせて益としてくださいます。このように自分の思いを捨てて従う人でこそ、神が働かれるのです。
ここで私たちが徹底的に悟らなければならないことは何でしょうか? 互いに自分の思いに合わせるから、夫婦や家族が一つになれなくて、神のみこころにも合わせることができないということです。それで、<ローマ8:7-8>に「肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。肉にある者は神を喜ばせることができません。」とあるのです。神は聞き従わない人には働くことがおできになりません。聞き従う人になり、従順の義人になるほど神が働かれて、栄えるように導いてくださるのです。
ツァレファテのやもめの場合はどうだったでしょうか? 日照りが深刻だったとき、一食分の食べ物しか残っていませんでした。最後の食物だったので、食べたら死を待つしかないところでした。ところが、神の人エリヤがそれを自分にくれと言うのです。そうしながら「イスラエルの神、主が、こう仰せられるからです。『主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」と約束します(第一列王17:14)。はたして、ツァレファテのやもめがエリヤの言葉に聞き従ったら、その約束のとおり、日照りが終わる日まで、糧の心配なく安らかに過ごすことができました。
このように、私たちが人間的な思いを打ち砕いて、ただ神のことばを信じて直ちに聞き従えば、神が働いてくださいます。ただ真理に従って行なうことによって、信仰の父アブラハムのように神とともに歩む人生になり、まことにたましいに幸いを得ている祝福と、この地上でのあらゆる祝福を受けて、神に栄光をささげられますように。
* まとめと適用
1. <第一サムエル15:22>を読んで、□と○の中にふさわしい言葉を入れてください。
「主は主の御声に□□□□ことほどに、全焼の○○○○や、その他の○○○○を 喜ばれるだろうか。見よ。□□□□ことは、○○○○にまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」
2. 聞き従えない状況でも、ただ神のみこころのとおり従って祝福された証しがあるならしてみましょう。また、聞き従わなかったことがあるなら悔い改めて、全き従順の祝福が受けられるように祈りましょう。
* 今週の課題
士師記9章を読んで、木々の王になるよう頼まれた、オリ―ブの木といちじくの木とぶどうの木といばらのたとえは何を表しているのか、考えてきましょう。
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