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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第39課 「その時代にあっても全き人」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2009-09-25


読むみことば: 創世記6:5-12
覚えるみことば: 創世記6:9
参考にするみことば: 第一ペテロ2:1-2


教育目標

ノア時代の洪水のさばきを通して、神が認められる正しい人が受ける祝福と、その時代にあっても全き人になる道を悟る。

ノア時代の人々は神のみこころに背いて、自分たちが良いと思うとおりに生きて、自分たちの人生を謳歌して偶像を拝むなど、ひどく神に立ち向かいました。神が願われることとは正反対の生き方をして、人の価値と本分を失ったのです。ついに神は洪水で世をさばかれて、その時代にあっても全き人であったと認められたノアと、その家族だけが生き残りました。


1. 正しい人であって、その時代にあっても全き人であったノア

<創世記6:5-6>に「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。」とあります。これは、すべての肉なるものが、地上でその道を乱していて、地は暴虐で満ちていたからです。
今日も同じです。どれほど神の御前に堕落して、人の道を乱していることが世界のあちこちで次から次へと起こっているでしょうか? 世の堕落と暴虐が限界を超えれば、神は悔やまれてさばかれます。ノアの時はこの世を水によって、アブラハムの時はソドムとゴモラを火によって、さばかれるしかなかったのです。また、これからは白い御座のさばきによって麦と殻を分け、麦は天国の倉に納め、殻は地獄の火に投げられるということをはっきりと知らなければなりません。
ノア時代にさばきを免れて生き残った人は、その時代にあっても正しい人だったノアとその家族だけでした。<創世記6:9>に「ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」とあります。このようにノアは正しい人であって、地上に人の悪が増大していても、世に染まらないで屈せず、神に向けられた心を守って、真理の中を歩んでいたので、地上のすべての生き物を水で消し去った恐ろしいさばきからも守られたのです。
それでは、ノアの妻と三人の息子たちや息子たちの妻も正しい人だったので、さばきを免れたのでしょうか? 彼らはノアのように全き人であったからでなく、正しい人であったノアに属していて、ノアの言葉に従って神のみこころに従ったので、救われることができました。いくらノアの家族であっても、ノアの言葉を信じなかったり、世を愛して世に向かったりしたら、彼らも滅びてしまったでしょう。すべてが神がご覧になってふさわしかったので、救いの箱舟に入れる機会が与えられたのです。
今日はどんな人がノアのような正しい人になれるしょうか? 誠実に生きて法を守り、正しくて正直で、自分のすべての持ち場と本分に忠実である人です。このような人は神の恵みによって罪が赦されて、救われて天国を受け継けば、その時代にあっても全き人になれます。だんだんと真理を学びながら、神を愛してみことばどおり行なおうと努力するはずだからです。神はこのような人に、ノアに働かれたように救いの箱舟を備えて、困難にあわないように救い出し、ご自身で働いてくださいます。


2. 正しい人を守って救われる神

アブラハムは訓練を受けていたとき、妻のサライを奪われたことがありました。ききんのためにエジプトに下って行きましたが、サラが非常に美しかったので、エジプトの王パロに召し入れられたのです。神は正しい人アブラハムに起こったこの問題を解決してくださるために、パロと、その家をひどい災害で痛めつけられました。それで、パロはサライを直ちに送り出すしかなかったのです。
また、使徒パウロがシラスとともに福音を伝えていて、奥の牢に入れられたとき、神は地震を起こして、足かせを解き、牢のとびらをあけられました。そして、異邦人であっても、コルネリオが施しに努めて祈り、神を恐れるので、彼と彼の家族を救おうとなさいました。ペテロとコルネリオに同時に幻で見せられ、聖霊を通して働かれて、互いに会うようにされ、神に礼拝をささげて、聖霊を受けて救われるように祝福されたのです。
このように、その時代にあっても全き人になれば、いつも神が愛してくださり、その行く道を導いて、あらかじめて備えて祝福されます。これらのことを悟って、自分と家族だけのために生きるのではなく、神の国とその義を求める人にならなければなりません。そうして、悪が増大しているこの世で、その時代にあっても正しい人と呼ばれ、神の愛と祝福を受けなければなりません。
最初の人アダムが神のことばに聞き従わない罪を犯すと、彼の子孫であるすべての人も罪人になって、滅びの道に向かいました。それで、イエス様がこの地上に来られて、十字架を負って、尊い血を注ぎ出されました。それでこそ滅びの道に向かっていた人々が罪を赦していただき、正しく生きられる、救いの道が開かれるからです。私たちはこれを信じて、神のことばに聞き従う正しい人になって、神がさばかれるとき、いのちを得てよみがえり、天国に入らなければなりません。


3. その時代にあっても全き人になるには

第一、みことばの乳を慕い求める人にならなければなりません。
<第一ペテロ2:1-2>に「ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」とあります。「みことばの乳」とは、神のことばを意味します。神のことばを聞かないで、学ばず悟らないなら、神が願われる人になることはできません。したがって、「みことばの乳を慕い求めなさい」とは、神のことばに耳を傾けなさいという意味です。
神が私たちに言われることは「善に属して、悪は捨てなさい」ということです。すなわち、善に属するためには、それと反対になるすべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てなければなりません。悪を捨て、みことばの乳を慕い求めて、正しいことを聞いて心に刻み、信仰によって行なってこそ、いのちになって、勝利の人生を送ることができます。

第二に、さまざまな世の誘惑に染まらない全き心を持たなければなりません。
すべてのきれいなものも、美しいものも、朽ちて結局は無に帰りますが、神のことばだけは永遠です。初代教会の聖徒のように、心を一つにして宮に集まり、愛のパンを裂き、施しをして互いに顧み、孤児ややもめの世話をし、神のことばのとおり生きてこそ、世の誘惑に染まりません。
それで、<第一ペテロ3:3-4>に「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」とあるのです。すなわち、外面的なものを飾ろうとしないで、内なる人を飾りなさいという意味です。
<第一テモテ2:9-10>にも「同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。」とあり、<第一テモテ6:8>にも「衣食があれば、それで満足すべきです。」とあります。
ですから、食べるもの、着るもの、飾るものなど、すべてが失礼にならないほどならば、満足すべきなのです。この世のいろいろなきらびやかなものが世を愛するようにさせ、むさぼりを呼び起こし、世に染まるようにして、死の道へ引いていくからです。

第三に、神のご性質にあずかる者とならなければなりません。
<第二ペテロ1:4>に「その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。」とあります。
それでは、「神のご性質にあずかること」には、どんなことがあるでしょうか? 神のことばの知識を増し加えること、敬虔なこと、徳を高めること、愛すること、寛容を尽くすこと、赦すこと、真実であること、情け知らずの者にならないことなど、この他にもたくさんあります。
このように神のご性質にあずかるとき、柔和な人、誠実な人、善を行なう人、聖なる人になります。神が聖であるように聖になり、神が完全なように完全になれば(第一ペテロ1:16、マタイ5:48)、神のご性質に似せられて、キリスト・イエスのような心構えでいられるのです。また、御霊の九つの実(ガラテヤ5章)が結ばれ、八つの幸い(マタイ5章)、そして霊の愛(第一コリント13章)が臨んで、何をするにも祝福された人生になります。


* まとめと適用

1. <創世記6:9>をみんなで覚えてみましょう。

2. ノアはいつ来るかも知らない洪水に備えて、長い間箱舟を作っている間、世の人からあざけられました。しかし、ノアはそんな人々をいつも、居ても立ってもいられないような心で見ていました。それで、彼らに神のさばきを知らせて、罪と悪から立ち返って神のもとに帰りなさいと叫ぶことをやめなかったのです。今日、私たちはどんな人になるべきでしょうか? 意見を分かち合って、家庭福音化のために心を合わせて祈りましょう。


* 今週の課題
「義のために迫害される」とは具体的にどんなことでしょうか? 考えてきましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう!
ノアの箱舟(創世記6:14-16)
ノアの箱舟は長さ約138メートル、幅約23メートル、高さ約14メートルの巨大な規模で、今から4500年余り前に作られた。エデンの園の人々の影響で、当時の技術や知識が優れていたこともあるが、神ご自身が命じられたとおりに設計されたので、ノアの八人の家族と数多くの種類の動物が四十日間の洪水に耐え抜いて、1年以上箱舟の中で暮らすことができた。霊的に「箱舟」とは、神のことばを意味し、箱舟の中に入ることは救いを意味する。

 
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