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| 万民ニュース   第 132 号 | HIT 3963 | DATE 2013-10-27
 
「正義とあわれみと誠実」とは何か知りたいです



Q マタイの福音書23章23節で、イエス様が「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実を、おろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、十分の一もおろそかにしてはいけません。」と厳しく責められました。十分の一献金をささげて律法を守っていた彼らに、なぜ「正義とあわれみと誠実」をおろそかにしたと責められたのでしょうか? 律法の中ではるかに重要な「正義とあわれみと誠実」とは何か知りたいです。


A イエス様の当時、律法学者とパリサイ人は旧約聖書に記されたモーセの律法はもちろん、先祖代々伝えられた長老たちの言い伝えまで徹底して守っていると思いました。律法を研究して民に教えたりもしましたが、小さいハーブの葉と幹にまで十分の一献金を適用させました。また、彼らは神様を愛して律法を守るよりは、律法をちゃんと守る人であることを誇示しようと、うわべだけで行いました。このように律法を研究して、文字そのままに徹底して守ろうとしましたが、それよりはるかに重要な律法の根本精神、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしていたのです。
マタイの福音書23章を読めば、イエス様は偽善の律法学者とパリサイ人に向かって、七度も厳しく責められます。彼らの心の中に隠された貪欲と放蕩、不法を赤裸々に指摘されて、彼らを目の見えない人、目の見えぬ手引きども、蛇ども、まむしのすえども、あるいは白く塗った墓にたとえておられます。神様のお心で厳しく叱って、悔い改めを促されたことが見られます。しかし、彼らは律法を下さった神様のお心を全然知らなかったので、「正義とあわれみと誠実」をおろそかにしたまま最後まで悔い改めないで、イエス様に立ち向かって、結局、滅びの道に行ってしまいました。



正義「正しいことを追い求める心」

世には法、道徳や社会規範など、正しい行いと正しくない行いを分ける基準があります。世の人々は世の基準に従うものです。けれど、神の子どもたちは神の法、公義という定規に照らして、正しいほうに従います。世の基準が神様の基準には合わないことも多いからです。
律法学者とパリサイ人は、律法という基準に照らしてみるとき、うわべではまことに正しく見えました。行為としては神様の戒めを徹頭徹尾守りましたが、心の中では「どうすれば人に認められて尊敬されながら実利を取ろうか」と思い巡らしていました。彼らは人の前で正しく見えることだけに汲々としました。つまり、心には不義がいっぱいで、断食する時は人に知らせようと顔をやつしました。見かけではいつもみことばを読んで祈り、断食しているようでした。しかし、いざというと正しいことを追い求める心、すなわち、正義はなかったのです。
神様の前で正義を行う人は、状況や都合にかかわりなく、行いが終始一貫しています。人が見ていてもいなくても、自分が高い地位にいてもそうでなくても、益になっても害になっても、みことばに照らして正しいことを追い求めます。いつも人でなく神様を意識して生きているので、すべてのことにおいて正しい心で行い、神様に喜ばれるのです。


あわれみ「愛と徳」

ヨハネの福音書8章を読むと、律法学者とパリサイ人が姦淫した女をイエス様の前につれて来て訴えます。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」と言いました。
姦淫した女を石打ちにすることは旧約の律法で正当な行為でした。ところが、彼らはイエス様を試そうとするずる賢い心と人を罪に定める心があるだけでした。罪人に向けられた神様のあわれみと慈しみの心は全くなかったのです。
イエス様は律法学者とパリサイ人に愛と徳がないことを嘆かれました。神様は何としてでもひとりでも多くの魂を救って、いのちを与えることを願っておられます。心に神様の愛が少しでもあるならば、そんな人々もあわれんで、もどかしく思うでしょう。ヤコブの手紙2章13節後半節に「あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。」とあります。律法によれば罪人は必ず殺さなければなりません。ところが、神様はひとり子イエス様をなだめの供え物とされて、全人類の罪を赦してくださいました。公義を超えたあわれみと愛を施されたのです。
心に「あわれみ」が完全に耕されれば、神様の戒めを守っても、隣人に善だけ行うようになります。合わせて、日常のすべての中で人としての道を踏み行い、愛と徳を施してキリストの香りを発するようになります。


誠実 「神に対する信仰」

ヘブル人への手紙11章6節に「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」とあります。神様の戒めを守ることにおいて、まずは必ず神様が生きておられることを信じなければなりません。また、戒めを守って生きるとき、報いてくださることを信じなければなりません。
律法学者とパリサイ人は神様を信じると言いましたが、まことに信じたとは言えません。彼らは戒めを守りはしましたが、人に認められるために目隠しだけしました。つまり、自分の正しくない心を一つ一つ見ておられる神様を認めなかったのです。神様を心から信じたとすれば、良い行いに報いてくださる神様を信じて、希望をもって行ったでしょう。神様は天国を激しく攻めて行く者に、よりすばらしい天国を与えてくださいます(マタイ11:12)。世のものを断ち切って、みことばを学んで祈るたびに、良いものを与えてくださる神様を仰ぎ見て、また報いてくださる神様を信じて行いますように。すると罪を捨てることも、忠実に仕えることも楽しくできます。さらに美しい天国に自分の家が建てられて、さらに多くの報いが積まれる音が聞こえるからです。このように神様の戒めを信じて楽しく守り行うとき、霊肉ともに祝福はもちろん、不可能のない幸いな生き方ができるのです。


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