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メッセージ メッセージ > メッセージ
メッセージ
Title
   祝福  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   民 6:24-26
Date
   2010-02-07


[本文]

[民数記6:24-26]
「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。」

[序論]

愛する聖徒の皆さん、きょうの本文[民数記6:24-26]は、神様がイスラエルの民を祝福されようと、大祭司に命じられた祝福の内容です。「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。」
神様に礼拝してみことばどおりに生きる聖徒に、神様はいつも祝福を与えようと願っておられます。いつも守って、恵みと平安を与えてくださいます。特に、私たちが神様に何かをささげるとき、特別に意味を込めてささげれば、神様もそれを特別にお受けになります。それで、いつもよりもっと大きい祝福で報いてくださるのがわかります。
簡単なたとえとして、祈りもそうです。皆さんが同じようにダニエル祈祷会に参加しても、特別に定めて、心を尽くして祈る時は、神様もより多くの恵みと感動を与えられます。
また、断食をしても、特別な日にするのは、もっと大きく受けてくださる時があります。以前、神様が私に霊の世界について解き明かしてくださるとき、時々そのような断食をするようにされたことがあります。盆や正月、誕生日のように、いつもよりもっと食べて楽しむような日になると、断食をさせられたのです。すると、この断食をほかの時より、もっと大きくお受けになって、深い奥義である霊の世界を解き明かしてくださいました。
また、各種の例祭やリバイバル聖会、いやしの集会、教会の記念日なども、皆さんが慕って備えるとおりに、より大きい祝福を受ける機会になります。
今年の旧正月も、そのような機会の一つです。毎年、旧正月になると、多くの聖徒が牧師館に来て、新年の願いをかなえるために祈りを受けます。神様も、その慕う心と信仰の行ないをご覧になって、毎年恵みを大いに与えてくださったのです。昨年も、旧正月と祝福の祝いなどで、どれほど多くの祝福をくださったでしょうか。
ところが、今年2010年は第3の跳躍期を迎えて、収穫の年、祝福の年だと神様が宣言されました。この時点で迎えた旧正月なので、神様はさらに特別な恵みを約束されました。きょうのメッセージを聞いて、皆さんの慕う心が加わって、残った一週間も、祈りと心を尽くしてよく備えるようお願いします。
神様が「わたしは願いを聞き入れて、次のことをしよう」と言われたように、各自がどれほど慕って備えるかによって、神様が約束された恵みも違うように臨みます(エゼキエル36:37)。慕う心で備える皆さんすべてが神様を見つけて体験できますように、主の御名によって祈ります。

[本論]

愛する聖徒の皆さん、まず、今回の旧正月をきっかけに神様が約束された祝福、三つを説明いたします。
第一、「自分の義と枠」を発見して打ち砕く祝福を下さるでしょう。 (義と枠についての詳しい内容は、次の主日大礼拝と夕方礼拝のとき、お伝えします。)
皆さんは、信仰歴が長くなるほど、もっと神様の心を深く悟って、霊的に成長しなければなりません。ところが、多くの方が熱心に信仰生活すると言いながら、自分の限界の中だけにとどまっています。「私はよくやっている。私が正しい」とだけ思って、さらに深い霊の段階に入れないのです。
時々、当然祝福されるべき働き人なのに、健康や家庭の問題、物質の問題など、訓練が長く続くことがあります。これも、多くの場合が「自分が正しい」と主張する義と枠があるからです。
この義と枠を発見して打ち砕くなら、皆さんは霊的に大いに成長できます。すると肉的な分野でも、祝福が違ってくるでしょう。長い間答えられなかった問題がすみやかに解決されるでしょう。自分なりに祝福されているという方々も、その祝福の次元が変わるでしょう。
ですから、「たくさんメッセージを聞いたのに、私はなぜこんなに変化が遅いのか? 自分の限界の中で神様のみこころが悟れないで、霊的に停滞している理由は何なのか?」このようなことを徹底的に悟るだけでなく、変えられる力も一緒に受けるように、祈りで備えるようお願いします。
ある人々は自分の義と枠を発見しても、自尊心や固執のゆえそのまま持っていることもあります。また、肉がどれほど汚れていて益にならないのか、頭では知っていても、心で徹底的に悟れないので、相変わらず肉を捨てられない場合もあります。
ですから、今回の機会に自分を発見するだけでなく、徹底的に肉に益がないことを悟って、捨てられる力まで受けられますように。
第二、今回の旧正月をきっかけに、皆さんは量的にも、質的にも、また、時間的にも、以前と違う神の力を体験するでしょう。
もちろん、これまでも皆さんはいつも神の力あるわざを体験してきました。昨年も、祝福の祝いをきっかけに多くの聖徒が根本の問題を解決して、できないこともできる、できることはもっとできる祝福を受けました。人の力ではとうていできそうもないことが、神の力でできるようになりました。あきらめるしかなかったこと、あるいは時間が長くかかるようなことも、私のところに来て、イエス・キリストの御名によって祈りを受ければ、すぐ答えられたと証しします。もちろん、私のほうからも信じて祈りましたが、いざ答えられたという証しを聞くと、「神様がこんなにまで働いてくださるのか」と感嘆するようなことが本当によくありました。
ところが、今回の旧正月を起点にして、より大きい神の力あるわざを体験するでしょう。私に臨んだ神の力の範囲がもっと広くなっただけでなく、皆さんの信仰もさらに成長したからです。しかも、先ほど説明したように、皆さんが義と枠を打ち砕けば、信仰がまたどれほどすくすく育つでしょうか。その後からは、答えられる姿が量的にも、質的にも、時間的にも、以前に比べてはっきりと変わるでしょう。
たとえば、皆さんは物質の種を蒔いた後、押しつけ、揺すりいれ、あふれるまでに受けたと、よく証しします。しかし、今回の旧正月を起点にしては、五倍も、あるいは十倍も臨むということです。
実感できないなら、実際に数字を代入してみてください、10万円の二倍は20万円ですね? ところが、20万円期待していた人が50万円、あるいは100万円与えられたなら、どれほど驚くべき祝福でしょうか。「本当に神様がなさいました」と喜んで告白するでしょう。
このように量的にだけでなく、時間的にも、祝福の程度が以前と違ってきます。以前なら一か月かかる答えが、一週間で、あるいは数日で臨むなら、どれほど驚くでしょうか。このように時間が縮まっても、実の質が悪いのでなく、もっと良い実を結ぶようになるのです。物質だけでなく、いやしや答えなどすべてにおいて、このように量的に、質的に、時間的に、以前と違う次元の祝福を体験するでしょう。
愛する聖徒の皆さん、第三に、今回の旧正月をきっかけに、神様は真心と全き信仰を加えてくださるでしょう。
[へブル10:22]に「そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」とあります。
「真心」とは、悪や真理に逆らうもののない、きよい心です。偽りや移り変わることのない、真実な心です。また、「全き信仰」とは、キリストの満ち満ちた身たけにまで達した信仰です。真心と全き信仰を持ったということは、魂に幸いを得ているということなので、すべての点に幸いを得、健康である祝福への近道です。
今回の旧正月をきっかけに、皆さんは神様の大きい力を体験して、これによって真心と全き信仰にもっと近づくでしょう。初心の方にとっては、肉の思いが打ち砕かれて、まことなことが信じられるし、慕う心が与えられます。また、すでに真心に近づいている人は、さらにその心が真実になるでしょう。
過ぎ去った歳月の間、本当に多くの人が神の力でいやされても、あるいは大きい祝福を受けても、神様から離れました。神様を見つけても、まことの信仰が持てなかったので、結局、世が良くて離れてしまったのです。また、霊的なことをたくさん見て、聞いて、体験したけれど、長い間信仰が持てないでいる人もいます。
ところが、今回の旧正月をきっかけに、いやしと答えとともに、心に信じられる信仰と天国の望みも加えてくださると神様が言われました。聖霊に満たされて、恵みが悟れる心、また、霊的に慕う心も与えられます。いやしとともに、本当に求めるべきことが何か悟れる、霊的な祝福まで下さるというのです。
皆さんのうち、これまでいやされようと祈っても、長い間答えられない場合もあります。このような方々も、よく悟られますように。どんな病気でも、いやされない時は、神様に力がないからでもないし、この教会に現れる神の力が足りないからでもありません。答えられるような器だけ備えるなら、何でも答えられます。しかも、この教会には、公義を超える愛で働かれる場合がたくさんあります。それで、もともと自分が満たすべき公義の基準よりはるかに少なくても、答えられるのです。
たとえば、皆さんが信仰で善を行なって、公義の基準を100満たさなければならないとしましょう。この時、神様は私の祈りを聞かれて、私の信仰で90を満たして、皆さん自身はあと10だけ満たしても答えてくださる時があります。その10だけ満たせばよいのですが、ある方は、前も説明したように、2,3,4まで積んでは崩す、を繰り返します。
「積む」とは、祈って断食して、献金もして、熱心に信仰生活することです。このように積んでいても、何か心に合わなければ、悪を表に出すこともあり、病気がよくなりそうもないと、疑うこともあります。不満を持って、つぶやいたり不平を言ったりします。このように、信仰とはかけ離れた行ないと言葉で、苦労して積んだものを自分で崩してしまうのです。
ですから、わずか10が満たせなくて、長い間いやされないとか、でなければ、病気の根は残したまま痛みだけなくなったり、一部分だけがいやされたりするのです。そうしながら、また時間が流れて、初めに比べて慕う心も冷めていきます。
まことの信仰があるなら、いやしが最終的な目標でなく、救われてすばらしい天国に行くことを最高の目標にしなければなりません。救われたことだけでも深く感謝すべきで、これからは人の本分を尽くして、神のまことの子どもの姿を取り戻すために、うまずたゆまず変えられなければなりません。
そうしないで、「私はこんなに苦労したのに、こんなに努力したのに、なぜいやされないのか」と言いながら自分の立場からだけ思うから、10の公義の基準さえ満たせないのです。ですから、答えを与えたいと願う父なる神様も、もどかしく思われるのです。
皆さんは、自分がどんな心なのか顧みて、また、どのように慕って備えるべきか悟って、みなが答えられるよう、お願いします。
愛する聖徒の皆さん、それでは、神様はなぜあえてこのような祝福の機会を設けて、皆さんに「慕って求めなさい」と言われるのでしょうか? もちろん、愛する子どもたちを祝福したいと願われる、愛のゆえです。しかし、それより大切な理由は、この教会への神の摂理を成就されるためです。まずは、カナンの地に入る皆さんが心の香をもう一度うるわしく整える、最後の段階にいるからです。最終的には、大聖殿建築のためです。
神様が私たちに下さった世界宣教と大聖殿建築という使命は、目で見ると不可能なことです。しかし、神様は私たちがこの使命を果たせるように、必要な段階を一つ一つ踏むようにされました。十分果たせる信仰になるまで、絶えずこの教会を練られました。見えない霊の世界が本当にあることを信じるように、神様にうるわしい心の香をささげる聖徒に変えられるようにされました。神様の愛を悟って、神様を愛する働き人に養い育てられました。
このようになるまで、開拓以来、神様は私に、ただ忍耐と労苦で公義に見合う代価を払ってくるようにされました。私の信仰だけでいくらでも答えられるようなことも、神様はその場で答えてくださらないで、「待ちなさい。耐え忍びなさい」と言われました。時に応じて、教会が大きい訓練を受けるよう許されたときも、「祝福の訓練だから、ただ感謝して喜びなさい」と言われました。
その過程で、言葉にできない涙と、全身の力を注いだ時間が流れて、数え切れないほどの断食と祈りが積まれました。今までも、毎週、毎日、その代価を喜んで払っているのです。これによって、聖徒の皆さんが変えられて、御霊の歩みに入れる公義の基準が満たされてきました。固い心もやわらかく変わって、自分では悟れないことも悟れる恵みが臨みました。救われにくい人も悔い改めて救いに至るように、神様が恵みを施されたことも、数え切れないほど多いです。また、全世界の数多くの人が聖潔の福音と神の力に接することができるように、救いの門を広げてきました。
もちろん、皆さんすべても熱心に走ってきました。講壇で宣べ伝えられるメッセージを信じて聞き従って、熱心に断食して祈りました。精一杯献金して、忠実に仕えて耐え忍んだし、父なる神様を愛する心で、聖められるために励んできました。
聖徒の皆さん、実は、聖書全体を調べてみても、新しいエルサレムに入る資格のある人はあまり多くありません。まして、罪に満ちたこの終わりの時はどうでしょうか? しかし、この教会は違います。絶えず神の力を体験して、聖潔の福音をいつも聞いてきたからです。
もし皆さんがこの教会に出会わなくて、このような神の力にも、聖潔の福音にも、全く接することができなかったなら、どうだったでしょうか? 御霊の歩みに入るのにどのくらいかかったか、想像できるでしょうか? 「御霊の歩みでなくても、三段階の信仰の岩ぐらいにはなっただろう」と自信を持って言えるでしょうか? また、何か病気や災いにあった時はどう解決したでしょうか?
皆さんがこの聖潔の福音を毎日聞きながら、神の力あるわざをいつも体験できることがどれほど感謝すべきことか、悟らなければなりません。そのみことばと神の力の中で絶えず努力してきたので、今は御霊の歩みに入った方も多いし、また、多くの方が入ってきています。
ところが、このように皆さんが聖潔の福音と神の力の中で熱心に信仰生活しているのに、神様は十分だと言われません。信仰の成長にもっと拍車をかけるように、毎年、一年にも数回、特別な機会を与えてくださいました。先ほど言いましたが、各種の例祭をはじめ、新年断食やリバイバル聖会、主のしもべ教育、特別ダニエル祈祷会、また、2000年以後の海外連合聖会などが、全部そのような機会でした。昨年も、祝福の祝いをはじめ、神様が備えられた機会が数回ありました。
父なる神様が子どもたちにいくら大きい信仰を与えたいと願われても、いつでも与えることがおできになるのではありません。それも公義に合う時があって、方法があるのです。ですから、時に応じて特別な日を定めて、私の心にもいだくようにされ、皆さんが慕って備えるようにされるのです。
また、公義の法則によると、蒔かなければ刈り取れません。それを知っているので、このような機会があるたびに、皆さんは精一杯蒔いてきました。これまで、このような霊の流れに熱心についてきた方々は、自分が受けた祝福を自分で知っているしょう。蒔いて、蒔いて、また蒔きましたが、時間が経つほどもっとたくさん蒔けるように、神様が満たしてくださいました。また、何より大切なのは皆さん自身の信仰ですが、数年前と比べるとどれほど成長したかわかるでしょう。
収穫の年になると約束された2010年、神様はもう一度祝福を宣言されます。これは、これまでしっかりと固めてきた霊的な基礎の上に、もう一度注がれる祝福です。その分、どの年とも違う祝福を皆さんが直接体で感じられるでしょう。

[結論]

愛する聖徒の皆さん、今回の旧正月を起点に、皆さんはとどめられない神の力で新しく造られた空間を感じるでしょう。その空間の中で信仰がさらに大きくなって、成熟した心の香が集まって、父の喜ばれる聖殿が現れるでしょう。そして、いよいよ神様にもっと喜ばれる大聖殿まで目に見えるようになるでしょう。
この大聖殿は、聖霊の力によって真心と全き信仰に変えられた聖徒の心の香で作り上げられます。神様が一方的になされるのでなく、神様の心と聖徒の心の香が結び合って作り上げられる、栄光の象徴物と言えるでしょう。
その日の喜びのために、神様はこれまで絶えず皆さんに信仰の体験を加えておられるのです。今回の旧正月の時も、もう一度祝福の機会を与えて、皆さんにもっと熱心に、もっとこまめに、もっとすみやかに、全き信仰を持つように促されるのです。
もう人間耕作の日もあまり残っていません。すみやかに自分の義と枠を打ち砕いて、真心と全き信仰をもって、神様に尊く用いられるような働き人に、みななるようお願いします。それで2010年、祝福の証しがあふれるだけでなく、新しいエルサレムに入る資格をすみやかに備えますように、主の御名によって祝福して祈ります。

 
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