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メッセージ メッセージ > メッセージ
メッセージ
Title
   創世記講解(31) - いのちの種(3)  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   創 2:7, ヨハⅠ 3
Date
   2010-04-23


[本文]

[創世記2:7]
「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」

[第一ヨハネ3:9]「だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。」

愛する聖徒の皆さん、「創世記講解」三十一番目、いのちの種、三番目の時間です。
「いのちの種」について、この前の二時間のメッセージを心の糧とされたでしょうか? 父なる神は、この「いのちの種」について説明されながら、これがまことであることを証明しようと言われました。
これを信じて行なう聖徒には、必ず父なる神の力が臨むでしょう。老化もゆっくりになり、すでに老化したとしても、若返りする力が臨みます。それで、多くの方が証しするようになるでしょう。「前は気力がなかったが、この『いのちの種』のメッセージを聞いて、私もできるという気がしました。」「『私もそうしよう』と心に留めたら、上からいのちの息が与えられ、このように新しい力が湧いてきます。」「脚に力がなかったけれど力が与えられて、気力が衰えていたのに、少しだけ食べても力が出ます。」「父が下さるいのちの息が私にもこのように働かれています。」多くの聖徒がこのように証しするように父なる神が働いてくださるのです。
それで、講壇から伝えられるメッセージを「アーメン」と受け入れることがどれほど大きい祝福なのか、父が多くの聖徒に現されるでしょう。したがって、きょうも信仰で受け入れて、神の力を体験する皆さんになりますよう、主の御名によって祈ります。
聖徒の皆さん、神は人の細胞核の中に、ひとりのすべての遺伝情報を入れてくださいました。顔つき、身長、体質、皮膚の色など、全身の器官と機能についてのあらゆる情報がその小さい細胞核の中に入っているのです。どうしてそれが可能なのか、本当に不思議でしょう。
ところで、今日、科学技術が発達して、人も半導体を作り出しました。韓国のサムソンという企業で2004年に開発した60ナノ8ギガ半導体は横4.3センチ、縦3.6センチで、名刺半分の大きさです。このメモリーカードには、単行本書籍2万冊、または新聞102万4千枚が保存できるそうです。名刺半分の大きさにこのように多くの情報が入れられることは、実際、非常に驚くべき技術です。人の知恵と力でもこうなのに、まして全知全能の神におできにならないことが何があるでしょうか!
それでは、人が作った半導体と神が造られたDNAの情報保存容量をちょっと比べてみましょうか。細胞核の直径は約5マイクロメートル、すなわち、0.0005センチ程度です。このように小さい細胞核一つに入っているDNA遺伝情報を紙に全部移すなら、約30億個の字が書いてある百科事典になります。もし、百科事典一冊が1,000ページならば、何と百科事典1,000冊に当たる情報が、その小さい細胞核の中に入っているのです。それも人の60兆個以上の細胞には、みな同じように一セットずつ入っています。
ところで、DNAが入っている細胞核の大きさが60ナノ8ギガ半導体と同じになったら、1,000冊の約1億倍以上の情報を入れることができるのです。すなわち、半導体には本2万冊の情報が入るのに、その大きさの細胞核には百科事典1千億冊の情報が入れるのです。半導体を作り出した人の知恵と力がたいしたものならば、DNAを造られた神の知恵と力がどれほど大いなるものなのかがわかります。
愛する聖徒の皆さん、神は人のからだの中心になる細胞にいのちの種を入れてくださいました。霊の目が開かれてみれば、いのちの種は、からだの機能でも位置でも中心部と言える心臓にあります。心臓から押し出された血が全身に広がるように、霊のエネルギーも心臓から全身に広がり、全身のすべての細胞を調節するのです。
それで、人々は本能的に「心は心臓にある」と思います。また、心を表す時は、心臓のかたちであるハートをもって表現したりします。そして、脳は死んでも、心臓が動けば生きていることにします。脳死者でも、心臓の拍動が止まってはじめて死んだと判定を下すのです。
ところで、からだの中心になる細胞にいのちの種を入れてくださったということを、霊的によく理解しなければなりません。からだの中心部に入れられたいのちの種は、海に浮いているブイにたとえられます。ブイは船に航路を指示したり、海の中にある危険物の存在を警告したりするために設置されます。海の底とはチェーンでつながっていて、海流の流れがどう変わろうが関係なく、その場に固定されています。
いのちの種がからだの中心になる細胞にあるということも、これと同じです。人のからだで位置や機能の中心になる部分である心臓の、ある細胞にいのちの種が入っています。ところで、ブイの下の海水が変わり続けるように、からだの中心にある細胞も変わり続けます。しかし、海でブイの位置が固定されているように、いのちの種もいつもからだの中心部に固定されていて、その中心部にある細胞と重なっています。からだの細胞は生成と消滅を繰り返しても、いのちの種は固定された位置で、新しい細胞を通して全身の他の細胞を調節するのです。
たとえをもう一つ挙げましょう。「大統領」という務めには、一つの国が統治できる権勢が含まれています。ところで「大統領である人」は、決められた任期によって変わります。このように、人は変わっても、大統領という務めが持つ権勢は続きます。誰でも大統領になれば、大統領として権勢を振るうことができます。
いのちの種とからだの中心部にある細胞との関係も、このようなものです。細胞は変わることがあっても、固定された位置にあるいのちの種は新しい細胞を通して働き続けるのです。このようないのちの種が聖霊を受けて生き返ってからは、霊的な水と光が与えられてこそ、霊が成長します。
霊がのびのび成長していって、からだの中心になる細胞核をおおうほど大きくなれば、霊の次元でからだの機能が調節される、と言いました。これも霊的によく理解しなければなりません。霊の大きさは肉の単位で表現できません。しかも細胞核の直径は5マイクロメートルで、私たちが目で見ることができないほど、とても小さいです。それなら、霊の大きさがそれほど小さいでしょうか? 霊の大きさは、それより小さくなることも、地球より大きくなることもあります。
それでは、なぜ霊を細胞核の大きさに比べて説明しているのでしょうか? 霊がからだを調節できる権限の範囲を理解しやすく表現したのです。霊が成長して、細胞核の大きさぐらいになったら、からだを調節する肉の権限が停止して、からだはこれ以上老化しません。さらに全く聖なるものとされ、細胞核を覆ってもあまる程大きくなってからは、からだが霊の次元で調節されるのです。
このように霊の次元でからだが調節されるとき、現れる現象三つを説明しました。第一は、からだのあらゆる器官の機能が正常に回復して維持されるので、からだのコンデションがいつも最高になります。第二に、病原菌とウイルスが入ってくることができないし、たとい毒を飲んでも、決して害を受けません。第三に、老化しなくて、若返りすることもできます。
御霊の歩みに入った瞬間からは老化が止まり、全く聖なる者とされれば、老化しないだけでなく、むしろ若返りすると言いました。聖書には、実際に若返りした例があります。まず、アブラハムを調べてみましょう。
アブラハムがひとり子イサクを生んだ時は、百歳の時でした。ところで、[ローマ4:19]に「アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。」とあります。アブラハムが九十九才で、神が息子を与えると言われたとき、彼のからだはすでに子孫を生めない状態でした。妻のサラも同じだったのです。
ところが、神が言われることを、アブラハムは疑わないで信じました。そしてイサクを生みました。この時、アブラハムとサラがイサクを生んだのは、彼らが若返りしたのではなく、神の力によってです。サラはもちろん、アブラハムも当時は全く聖なる者とされたのではありませんでした。
それでは、アブラハムはいつ全く聖なる者とされたのでしょうか? それは、ひとり子イサクをささげる信仰の試みを完全に通り抜けた時でした。[ヤコブ2:21-23]に「私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行ないによって義と認められたではありませんか。あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ、そして、『アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。』という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。」とあります。このように、アブラハムが全く聖なる者とされてからは、若返りしたことがわかります。
[創世記25:1-2]に「アブラハムは、もうひとりの妻をめとった。その名はケトラといった。彼女は彼に、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデヤン、イシュバク、シュアハを産んだ。」とあります。九十九歳の時も子どもが生めなかったアブラハムが、百歳をはるかに超えて何と息子六人を生んだのです(この記録は妻のサラが百二十七歳で死んだ後、そして、イサクが四十歳で妻をめとった後に出てきます。したがって、当時アブラハムは少なくとも百四十歳を超えていたことがわかります。)。
ヨブも、神が許された試みによって自分の根の根にある悪を悟って捨ててから、御霊の歩みに入りました。ヨブはもともと潔白で正しく、神を恐れていた人でした。試みによって根の根にある悪を悟って捨てたので御霊の歩みに入ったら、すみやかに全く聖なる者とされたのです。すると、霊肉ともにすべてが元どおりにされ、所有も以前の倍になるまで祝福されました。
[ヨブ1:3]には、試みられる前のヨブの所有物の目録があります。「彼は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、それに非常に多くのしもべを持っていた。それでこの人は東の人々の中で一番の富豪であった。」とあります。そして、[ヨブ42:12]には、試みられた後のヨブの所有物の目録があります。「主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。それで彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。」とあります。羊とらくだ、牛と雌ろばの数が正確に二倍なのがわかります。
続く[ヨブ42:13]には「また、息子七人、娘三人を持った。」とあります。そして、[14節]に、三人の娘の名前があり、[15節]には、「ヨブの娘たちほど美しい女はこの国のどこにもいなかった。」とあります。ヨブが試みられる前は、子どもたちのためにいつも心配していました。ところが、試みられて御霊の歩みにはいって、さらに何をするにも御霊に導かれるようになった後に生んだ子どもたちは、このようにヨブの喜びになったのです。
しかもヨブは、この子どもたち十人を後の半生に、すなわち、年を取って生みました。ヨブが試みに勝ち抜いて御霊の歩みに入ってから、続いて何をするにも御霊に導かれるようになり、その結果、若返りしたことがわかります。
聖徒の皆さん、こうなると、自分が思ったとおりからだが調節できるようになります。私の場合は、体重やスタイルを願うとおりに短い時間で調節できます。体重があまりにも増えたと思えると、決心して食べ物を自制して、直ちに願うだけ体重を減らすことができます。
1991年に、私は血をたくさん流したことがありました。当時、あまりにも多くの心の重荷があったので、からだが耐えられなくて鼻の血管が裂けてしまいました。ところが、多くの聖徒の皆さんが見守ったように、水を飲めば再び顔に血の気が戻りました。血をあまりにもたくさん流したので、顔が白い紙のようになったのに、水を飲むと顔色が戻りました。そのように血を流しては水を飲んで回復することを八日間しました。
それからどれほど健やかになったでしょうか? たとえば、周りの働き人たちが力の限り私のからだをしばらく叩いても、あざもできないからだになりました。また、私がうっかりして骨に怪我をしても、すみやかに回復するのが見られました。
1998年、教会に三度の試みが始まったとき、多くの魂が死の道に向かっているのを見て、大変悲しんだ時がありました。それで、11月、12月の2ヶ月で、体重が8キロも減りました。ひとりで立っているのが難しいほどめまいがして、服が合わないでズボンがゆるくなりました。
ところが、1999年1月になったら、父なる神のおことばに従って祈りに入りました。すると、半月でからだが回復しただけでなく、男性ならば誰でもあこがれる体形に変わりました。逆三角形のスリムな体になったのです。運動をしたのでもなく、特に体型を整えたのでもありませんでした。決心して神の国のために祈ったら、おまけとして格好の良い体形まで持つようになったのです。御霊の歩みに入って、さらに全く聖なるものとされるなら、皆さんが思ったとおりにからだが従います。苦労して時間をかけてダイエットや運動しなくても、いくらでも健康で美しくなれるのです。
愛する聖徒の皆さん、御霊の歩みに入って、さらに全く聖なるものとされると、霊の次元でからだが調節されるので、年齢にかかわらず、健康であることを今まで説明しました。[第三ヨハネ1:2]に「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」とあります。魂に幸いを得ていると、からだが霊の次元で調節されるので、健康になります。また、すべての点でも、幸いを得る祝福も伴います。
家族もさらに簡単に福音化されます。御霊の歩みに入って、さらに全く聖なるものとされれば、口から出す言葉に権威が伴うからです。ヨブのように物質に祝福されることもできます。蒔いたものの三十倍、六十倍、百倍を刈り取るからです。異国でも統治者になったヨセフとダニエルのように、御霊の歩みに入って、何をするにも御霊に導かれる人は、世でも認められる人になれます。世の知恵とは比べられない、天の知恵と悟りをいただくからです。
 この他にも、信仰で求めるものは何でもいただくことができるのです。[第一ヨハネ3:21-22]に「愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。」とあります。したがって、このような人は、この世の流れや情勢にかかわらず、幸いな人生になるのです。
私はこれらのすべての過程を直接体験したので、皆さんに自信をもって伝えられます。私は1974年4月17日に神を見つけました。7年間苦しんでいたさまざまな病気が神の力で一気にいやされたことを悟って、神の生きておられることを信じるようになりました。
1978年5月のある日、祈っているうちに、次のような神の御声を聞きました。「わたしがあなたを3年間練ったので、3年間みことばの備えをしなさい。あなたはわたしを愛することにおいて、自分の親、兄弟、妻、子よりさらに愛したのだ。あなたは直ちに店をやめて、わたしの道を歩み、妻が店を引き受けるようにしなさい。わたしの思いは人間の思いと異なるし、あなたがたふたりが稼ぐ収入より多いだろう。貸すことはあっても借りることはなく、押しつけ、揺すりいれ、あふれるまでに祝福するだろう。聞き従うなら、米びつに米がなくならないし、金入れに金があふれるだろう。3年間みことばを武装したら、山を越えて、川を渡って、海を渡り巡り、不思議としるしを行なうであろう。」
これは当時、私が3年間練られた後、すでに御霊の歩みに入ってきたことを教えてくださったのです。ところで、父なる神のおことばどおり、御霊の歩みに入ってくるために練られた期間が正確に3年だったことを悟りました。
1974年7月10日、私の肉の父の誕生日を迎えてふるさとに帰ったとき、妻の祈梼院長が家出する出来事がありました。妻は約120日ぶりに帰ってきて、その年の11月にあったリバイバル聖会に一緒に参加して、本格的に信仰生活をし始めました。
天国の望みがあったので、いつも喜んで幸せでしたが、7年間病気だったので、借金も多くてとても貧しかったのです。米を買う時は一升以上は買えなくて、冬は暖房用の煉炭もその時、その時しか買えなかったのです。
それでも神に献金をささげる時は、最善を尽くして喜んでささげました。心に働きかけられるとおり聞き従いました。主のしもべや働き人が家庭を訪問すれば、すぐ翌日の食糧がなくなっても、手にあるものを尽くして心を込めて接待しました。すると、神が必ず翌日の食糧を満たしてくださいました。一度も飢えることはないようにしてくださったのです。
このように貧しく暮らしていて、1977年7月9日、三番目の店を開業しました。1974年7月10日、妻の家出から練られ始めて、正確に満3年になる日でした。その時からはそれ以上日用の糧を心配しなくてもよいほど、物質の祝福が臨み始めました。さらに進んで、施しをして他の人を助けられるようになりました。
1978年9月、私が神のおことばに聞き従って、肉の仕事をやめてからは、物質の祝福がさらに驚くほど臨みました。「聞き従うなら、米びつに米がなくならないし、金入れに金があふれるだろう。」と言われたとおりになったのです。妻がひとりで店を経営し始めた最初の月、収入がそれ以前よりものすごく増えて、60万ウォン程度になりました。(※韓国銀行の貨幣価値計算によれば、現在の物価上昇倍数は1978年の6.1倍だそうです。)小さい本屋で、1か月にもならない期間でそれくらいの収入が出たのは、ものすごい祝福です。それで、噂を聞いて店に見物に来る人々がいました。はやっている秘訣を調べにくるのでした。
このように祝福されて、私は主のしもべの道を本格的に備えました。1979年3月、神学校に入学して、時間さえあれば断食して徹夜祈祷をしながら、ただ神のみことばを武装することに励みました。こうしている間にも、さまざまな問題のある人々が私のところにたくさん訪ねてきました。相談をとおして問題が解決され、病人に祈るといやされました。
そして、神学校に入学して満3年になる1982年2月の最終の週には、初めてリバイバル聖会を導きました。なぜ神様が私に「3年間みことばを武装したら、山を越えて、川を渡って、海を渡り巡り、不思議としるしを行なうであろう。」と言われたのかを悟りました。まさに全く聖なる者とされた人の証拠が現れ始めたのです。
全く聖なる者とされれば、信仰の五段階であり、[マルコ16:17-18]に記されたしるしが伴います。「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」とあるとおりになるのです。
1982年7月25日、教会の開拓頃からは、さらに驚くべきしるしが現れ始めました。その前も、病人のためにイエス・キリストの御名によって祈ればいやされることはたくさん体験しました。ところが、教会を開拓したら、全国からさまざまな病気の人が噂を聞いて押し寄せてきたのです。大小の病気を持った人だけでなく、病院で治療できない不治の病にかかった人と悪霊につかれた人々も、たくさん訪ねてきました。彼らのために私が祈ると、みないやされて神に栄光を帰しました。
このように全く聖なる者とされれば、他の人のために祈ると、いやしのみわざが現れるのです。ただし、全く聖なる者とされても、火のような祈りを積んで聖霊に満たされていなければなりません。御霊の歩みに入り、さらに全く聖なる者とされれば、たとえたくさん祈ることができなくても、いつも聖霊に満たされています。さらに霊のエネルギーが火のよう燃え上がるためには、火のように祈らなければならないのです。そうすると神の力あるわざが現れます。
聖徒の皆さん、それでは、御霊の歩みに入る前まではこのように幸いな人生になれないでしょうか? 皆さんが御霊の歩みに入る前も、いくらでも健康で幸いな人生を味わう秘訣があります。その秘訣は次の時間に伝えます。
聖徒の皆さんはこの尊いメッセージを何としてでも霊的に理解しようとして、信仰で受け入れますように。初めにもお話しましたが、父なる神は「このメッセージがまことであることを証明しよう」と、すでに約束されました。聖徒の皆さんすべてがこの約束されたことを喜んで、感謝して受け入れて、祝福の主人公になりますよう、主の御名によって祝福して祈ります。


 
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