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メッセージ >
聖書の学び
Title
第2課 「霊の信仰を持つには」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2010-01-15
読むみことば: ヘブル11:6
覚えるみことば: 第二コリント10:5
参考にするみことば: ローマ10:17
教育目標
私たちが霊の信仰を持って、救われて答えられるためにはどうすればよいのか、調べてみる。
1. 神が喜ばれる霊の信仰
今日、全知全能の神を信じているとはいえ、祈りに答えられない人々がたくさんいますが、その理由は何でしょうか? それは、神が認められない肉の信仰を持っているからです。前回、「肉の信仰」は、自分の知識と思いに一致することだけを信じる信仰、変わる信仰、行ないのない信仰だと学びました。それでは、神が認めて答えられる「霊の信仰」とは、具体的にどういう信仰でしょうか?
「霊の信仰」とは、目に見えなくて、人の思いや知識に合わなくても信じられる信仰のことで、無から有の創造を信じる信仰です。神がことばによって天地万物を創造されたこと、土のちりで人を造られたことが疑いなく信じられるのです。ただし、霊の信仰は霊である神が下さる信仰であり、自分が願うからといって与えられる信仰ではありません。
霊の信仰を持っている人は聖書に記されている数多くの出来事を疑わないで、そのまま信じます。ですから、神のみことばを信じてそのまま行なうことが難しくないし、求めるものは何でも答えられるのです。このような霊の信仰を持つと、神も私たちを認められ、答えと祝福を下さって、ともにおられることがわかります。
たとえで説明するなら、主人の土地を借りて農作業をするふたりがいるとしましょう。同じ条件でひとりは五俵の収穫を、もうひとりは三俵の収穫をするなら、どちらのほうが主人に愛されて認められるでしょうか? 当然、多く収穫した人でしょう。五俵収穫した人はまめに雑草を抜いて水をやるなど、あらゆる努力をしたでしょう。一方、三俵収穫した人はそれだけ怠けて、農作業をおろそかにしたことが明らかだからです。
このように、神はその実で見分けられる方なので、行ないのある生きている信仰を「霊の信仰だ」と認めて祝福されます。
<マタイ26章>を読むと、ペテロが聖霊を受けていなかったとき、いざイエス様が捕えられて、自分が危険に置かれた状況になると、結局、イエス様を三度も知らないと言ってしまいます。しかし、聖霊を受けてからは、肉の信仰が霊の信仰に変えられ、死も恐れないではばかることなく福音を伝え、神の力を行なう使徒になりました。十字架に逆さまにつけられて殉教するまで、神が喜ばれる信仰の道を歩みました。
このように、霊の信仰を持つなら、どんな状況でも変わらずに神を信頼して、聞き従います。したがって、神のみことばを徹底的に守り行なって、変わらない心になってこそ、神が喜ばれる霊の信仰を持つことができるのです。霊の信仰は行ないのある、生きた信仰なので、救いと永遠のいのちを与えることはもちろん、結局、自分を完全な真理の人に変えさせて、信仰の父アブラハムのように、霊肉ともに驚くべき祝福を受けるようにも導きます。
それでは、私たちはどうすれば肉の信仰を霊の信仰に変えることができるでしょうか? 「信仰の章」と呼ばれるヘブル11章の6節に「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」とあるので、何よりまず生ける神、報いてくださる神を確かに信じなければなりません。
2. 霊の信仰を持つには
今からは、霊の信仰を持つ方法を具体的に調べていきましょう。
1) さまざまの思弁とすべてのはかりごとを打ち砕かなければなりません
人が生まれてから入力された世の知識は、ほとんど真理である神のみことばに逆らうので、霊の信仰を持つのに邪魔になります。特に進化論のようなものは創造主の神を否認するので、無から有を創造する神の力を信じることができません。ですから、霊の信仰を持つためには、何よりも聖書に記されている神のみことばを信じられないように疑いをもたらす、進化論のようなさまざまの思弁と、肉の思いのような神のみことばに逆らうすべてのはかりごとを捨てなければなりません。もしこれらのものを捨てないなら、神のみことばが信じられません。いくら熱心に教会に通って礼拝をささげても、霊の信仰が持てないので、救われることも、祈りに答えられることもできません。
使徒パウロも、ダマスコに行く途中、主に出会って回心する前は、肉の信仰を持っていました。それで、救い主であるイエス様がわからず、むしろイエス様を信じる人々を捕らえて牢に入れて迫害しました。ですから、肉の信仰を霊の信仰に変えるためには、何よりも真理に背くさまざまの思弁とすべてのはかりごとを打ち砕かなければなりません(第二コリント10:4-6)。使徒パウロはこれらを打ち砕き、ただキリストに服従する霊の信仰を持ってから、偉大な福音伝道者になりました。
2) 神のみことばを熱心に聞いて教わらなければなりません
肉の信仰を霊の信仰に変えるためには、<ローマ10:17>に「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」とあるように、熱心に神のみことばを聞いて教わらなければなりません。もし神のみことばを知識として入れておかないなら、みことばを知らないのですから、どうやって行なえるでしょうか? ですから、神のみことばを熱心に聞いて教わることはまことに大切です。
ですが、みことばを知識としてだけ積んで行なわないなら、かえって高ぶることもあるので、神が霊の信仰を与えられることができません。たとえば、立派なピアニストになるために、教本を百回、千回読んで学び、理論的によくわかっていても、実際に練習しなければピアノを上手に弾くことはできません。同じように、神のみことばをいくら熱心に読んで聞いて教わっても、自分で守って行なわなければ何の役にも立たないし、そのみことばどおり熱心に守り行なう時にはじめて霊の信仰が持てるのです。
3) 神のみことばをそのまま信じて守り行なわなければなりません
みことばを聞いて疑わずに信じるなら、実際に行なうようになり、そのまま成就されるので、心に確信が生じて霊の信仰が与えられます。それで、次はもっと神のみことばどおり生きようと努力するようになります。このような過程が繰り返されると、みことばどおり完全に行なえる信仰が与えられ、上から恵みが臨み、神によって強くされます。そうすると御霊に感じて、聖霊に動かされて満たされ、何をしても栄えるようになり、できないことがなくなるのです。
モーセの後についてエジプトから出てきたイスラエルの民は、おとなの男だけでも60万ほどいました。ところが、神からいただいた祝福の約束を本当に信じて、おことばに従ってカナンの地に入った人はたったふたり、ヨシュアとカレブしかいなかったのです。
イスラエルの民はエジプトの地に下された十の災いを見て、神の力によって葦の海が分かれたことも見ました。昼は雲の柱、夜は火の柱で導いてくださったのを見て、毎日のように天から降らせてくださるマナを食べました。それでも、神がいざカナンの地に入りなさいと命じられると、カナンの住民を恐れて聞き従えなかったのです。かえってモーセとアロンを恨んで、立ち向かいました。彼らは神のみわざを数えきれないほど聞いて、見て、知っている肉の信仰を持ってはいましたが、従える霊の信仰に変えられなかったのです。
したがって、霊の信仰を持つためには、どんな状況でも生ける神を信じて、みことばどおり従わなければなりません。本当に神を愛して信じるなら、従うようになり、そうする時、神は求めと祈りに答えられ、結局は永遠の天国に導いてくださるのです。神のみことばをまことに心に信じる人は、そのまま守り行なうことによってだんだんと正しい人に変えられて、主に似せられていくようになります。ですから、その口で「信じます」と告白することがまことであり、神が認められるので、求めるものは何でも答えられるのです。さらに進んで、多くの魂を救いの道に導き、うるわしい天国、新しいエルサレムで永遠のいのちと祝福を味わうようになります。このように神が喜ばれる霊の信仰を持ち、できないことのない人生を歩みますよう、主の御名によって祝福して祈ります。
* まとめと適用
1. <ヘブル11:6>をみんなで覚えてみましょう。
2. ( )の中にふさわしい単語を書いてください。
私たちは、( )と、( )に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべての( )をとりこにして( )に服従させ、
(第二コリント10:5)
3. 霊の信仰を持つ方法、三つを書いてみましょう。
1)
2)
3)
* 今週の課題
信仰の段階が書かれている<第一ヨハネ2:12-17>を読んできましょう。
* 「聖書の人物」を知って力にしましょう!
ヨシュア: エフライム部族、ヌンの子である。アマレクとの戦いで軍の指揮官として輝かしい功績を立てた。モーセの従者でもある。カナンの地を探らせた十二人の斥候のうち、 カレブとともに神への確かな信仰の手本を見せた。
カレブ: ユダ部族、エフネの子である。カナンを征服せよという神の命令に逆らったイスラエルの民とは違って、聞き従ってカナンの地のヘブロンに定着する祝福を受けた。
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