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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第7課 「救われるための信仰の一段階」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2010-02-19


読むみことば: 使徒2:38-39
覚えるみことば: 使徒2:38
参考にするみことば: 第一ヨハネ2:12、ヨハネ1:12


教育目標

信仰の一段階とは具体的にどんな信仰なのか知って、自分の信仰をチェックし、さらに大きい信仰が持てるようにする。

私たちがよく知らないところを旅行するとき、道しるべを見つけば、ほっとしてうれしいです。現在の位置を確認して、目的地までどのくらい残っているのかも知って、簡単に目的地に到着できるからです。信仰によって天国へ行く道にも、道しるべのように信仰生活の現住所を知らせて、新しいエルサレムに入れるように導く人がいるなら、どれほど幸いでしょうか。信仰を五段階に分けて、今回は信仰の一段階について調べましょう。


1. 救われるための信仰

私たちがイエス・キリストを受け入れる前は、何が罪なのかも知らないまま生きています。ところで、<第一ヨハネ3:8>に「罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。」とあるように、最初の人アダムが罪を犯したので、すべての人が悪魔の子どもになりました。人の目には善良に生きたとしても、神の御目には罪人なのです。愛なる神はすべての人の罪を贖うために、ひとり子イエス様をこの地上に遣わしてくださいました。イエス様は何の罪もなく、私たちのために十字架につけられて死なれ、傷もしみもない尊い血を注ぎ出だしてくださいました。
このような救いの道を信じて、イエス・キリストが私たちの救い主であることを心から受け入れると、神は賜物として聖霊を与え、神の子どもとされる特権をお与えになります。<ヨハネ1:12>に「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」とあります。子どもが生まれると、出生届をして戸籍に名前を載せるように、神の子どもとされれば、天国のいのちの書にその名が記され、天国の国籍が与えられます。
このように救われるための信仰、すなわち、信仰の一段階は、イエス・キリストを受け入れて罪が赦され、神の子どもとされ(第一ヨハネ2:12)、神を父と呼べます(ガラテヤ4:6)。神の真理のみことばを知らなくても、聖霊を受けたことだけでうれしくて楽しく、何を見ても神が生きておられることが感じられる段階です。このような信仰はすでに学んだ「子どもたちの信仰」に当たり、また、「草の信仰」であって、試練がやって来ると火に焼けるしかありません。


2. 聖霊を受けるための信仰

<使徒19:1-2>を見ると、異邦人の使徒として福音を伝えることに努めていたパウロが、エペソである弟子たちに出会って、「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねました。すると彼らは「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えます。彼らはバプテスマのヨハネが授ける水のバプテスマは受けましたが、イエス・キリストを心に信じて、聖霊を賜物として受けられなかったのです。
神は終わりの日にご自身の霊をすべての人に注がれると約束しました(ヨエル2:28;使徒2:17)。今日、そのとおり成就されて、神の御霊、すなわち、聖霊を受けた人々が集まって教会を形成しました。
しかし、今でもエペソの弟子たちのように、神を信じていると言いながら、聖霊が何か、聖霊のバプテスマが何かも知らない人がどれほど多いでしょうか。聖霊は、イエス・キリストを受け入れて、神の子どもとされた特権を得た者に保証として下さる神の賜物です。<使徒2:38-39>には聖霊を受ける方法が具体的に説明されています。誰でも自分が罪人であることを告白して、へりくだった心で悔い改め、イエスが救い主であることを信じれば、罪が赦されて聖霊を賜物として受けるようになります。
たとえば、使徒ペテロが異邦人コルネリオの家に行ってイエス・キリストを伝えると、コルネリオをはじめ、神のみことばを聞くことを慕っていたすべての人に聖霊がお下りになり、異言を話しました(使徒10章)。
信仰の一段階は、聖霊を受けるための信仰であって、イエス・キリストを信じて聖霊を賜物として受けましたが、罪と戦って捨てたのでもなく、与えられた使命を果たしたのでもないし、神の栄光を現したのでもないので、恥ずかしい救いを受けます。イエス様が十字架刑にあわれたとき、イエス様を救い主として受け入れた強盗のひとりの信仰がこれに当たります。


3. パラダイスに入ったひとりの強盗の信仰

イエス様が十字架につけられたとき、ふたりの強盗がイエス様の両側につけられていました。その中のひとりは、イエス様に悪口を言ってあざけりましたが、もうひとりのほうは、むしろその人をたしなめるだけでなく、悔い改めてイエス様を救い主として受け入れます。すると、イエス様は悔い改めた強盗に「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われ、彼が救われたことを知らせてくださいます(ルカ23:43)。
パラダイスは、救われる信仰の一段階に当たる人々が入る所で、天国の最も端に当たり、報いがありません。ひとりの強盗は正しい良心に従って、自分が罪人であることを告白し、イエス・キリストを受け入れて罪が赦されただけで、この地上でイエス様のために行なったことが何もないので、パラダイスに入りました。
このように、イエス・キリストを受け入れて聖霊を受けたとしても、からし種ほどの信仰を持っただけで、これ以上信仰が成長しなかった人は恥ずかしい救いを受け、何の報いもないパラダイスで永遠に住むようになります。
かといって、主を受け入れたばかりの初心の者だけが信仰の一段階に当たるのではありません。いくら長い間信仰生活をして、執事、長老の務めを受けたとしても、火のような試練がやって来たとき、これまで積んだ働きが焼けてしまう草のような信仰ならば、かろうじて救われるしかありません。したがって、聖霊を受けた後は熱心に神のみことばを聞いて学び、祈りに努めなければなりません。もし、神のみことばどおり生きないで、度々罪を犯せば、天国のいのちの書から名が消されて、救われないこともあります。


4. 聖霊を受けた後、それを消してはならない

すでに召天した聖徒の例を紹介しますので、火のような試練にも揺るぎない信仰を持つためのチャレンジにしますように。
この方は以前、病気だったとき、牧者に祈りを受けて健康を回復し、その妻も死の峠で祈りを受けて生き返りました。それから、熱心に信仰生活をして働き人に成長して、自分なりに使命を果たして忠実でありました。
しかし、いざ本教会に大きい試みがやって来たとなると、教会と牧者を守ろうとしたのではなく、むしろサタンが吹き込む思いを受け入れて、口から出した言葉が神の御前に隔ての壁になって、守られないで重い病気にかかってしまいました。これまで忠実に積みあげてきた報いがすべて崩れて、祈ることもできなくなり、ますます信仰が退歩して、救われにくいところにまで至りました。それでも以前、牧者について行って仕えたことが神に覚えられて、臨終直前に祈りを受けて、やっと恥ずかしい救いを受けました。
このように、神の御前に大切なのは、信仰歴や務めではなく、ただその心がどれほどみこころにかなっているかにあります。また、聖霊を受けて熱心に教会に通っていても、みことばどおり行なわないで、神の御前に度々罪の隔ての壁を積んでいくなら、だんだん御霊が消されて(第一テサロニケ5:19)、結局、からし種ほどの信仰までなくなるので、救われることができません。
神は<ヘブル10:38>で「わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」と言われました。もし、信仰が成長していたのに恐れ退くなら、どれほどむなしいことでしょうか。ですから、決して誘惑に陷ったり、信仰生活が退歩することがないように、いつも目を覚ましていなければなりません。
歳月が流れても育たないで、子どものままでいるなら、親はどれほど心配するでしょうか。同じように、聖霊を受けてからし種ほどの信仰を持ったとすれば、熱心にみことばを聞いて、読んで、学んで、日々信仰が成長しなければなりません。したがって、イエス・キリストを受け入れて、聖霊を賜物として受けて救われたことに満足するのではなく、さらに大きい信仰を持つために努力しなければなりません。新しいエルサレムに入れる信仰を持って、思いきり神の子どもとされた特権と祝福を味わいますように、主の御名によって祈ります。


* まとめと適用

1. <使徒2:38>をみんなで覚えてみましょう。

2. 信仰の一段階と関係がないのはどれでしょうか?
①パラダイス ②救われるための信仰 ③聖霊を受けるための信仰
④子どもたちの信仰 ⑤一天層

3.( )の中に正しい言葉を入れてください。
パラダイスは( )を受け入れて( )を賜物として受けて救われる信仰を持った聖徒が入る( )であり、( )がありません。

4. エデンの園で、善悪の知識の木の実を取って食べる罪を犯して、追い出されたアダムとエバは救われたでしょうか? 救われたとすれば、彼らの天国の場所はどこでしょうか?


* 「人物」を知って力にしましょう!
「コルネリオ」について
カイザリヤに駐留していたローマ部隊の百人隊長で、異邦人だった。しかし、神を恐れていつも祈りに努め、植民地の民に多くの施しをして評判が良かっただけでなく、神の恵みを受けて全家族が救われた。

 
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