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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第9課 「乳飲み子の信者と堅い食物を食べる信者」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2010-03-05


読むみことば: 第一コリント3:1-3
覚えるみことば: ヘブル12:6
参考にするみことば: ヘブル12:6-7


教育目標

信仰の量りに応じて、乳飲み子の信者と堅い食物を食べる信者がどう違うのか調べ、ますます信仰が成長して、堅い食物を食べる信者になるようにする。

信仰には段階があって、成長過程によって、子どもたちの信仰、小さい者たちの信仰、若い者たちの信仰、父たちの信仰に分けられます。また、赤ちゃんが成長する過程で、乳を飲んでから堅い食物を食べるように、乳飲み子の信者と堅い食物を食べる信者に分けられます。はたして、乳飲み子の信者と堅い食物を食べる信者とはどう違うでしょうか?


1. 信仰の一、二段階は乳飲み子の信者

先に、救われるための信仰の一段階は、聖霊を受けて天国のいのちの書に名が記されて、神と親子の関係が成立し、神を父と呼べると言いました。みことばどおり行なおうとする信仰の二段階は、聖霊に満たされてみことばを聞くことを慕い、聞いたとおり行なおうとするけれど、行ないが伴わないので、答えられなくてつらく思う段階と言いました。
信仰の一段階にいる人は罪を犯しても悩まないで、御霊のうめかれる声も聞けません。まだ真理が何か、真理に逆らうものが何か知らないので、罪を犯しても罪と悟れないからです。この段階では、みことばについての知識がなくて、真理で見分けられないので、仮に罪を犯しても、神がひどく責められません。まるで赤ちゃんが、何も知らないので、はいはいしていて水の入ったコップをひっくり返して、それを割っても叱らないのと同じです。むしろ親や家族が片づけないで注意しなかったことが過ちであり、決して赤ちゃんのせいと思いません。
しかし、信仰の二段階に入ると、罪を犯す時、御霊のうめきを聞くようになって悩むようになります。しかし、まだ子どものようなので、みことばを聞いても完全に理解できないだけでなく、自分で行なえる段階の信仰でもありません。
このように自分で行なえる信仰を持っていない信仰の一、二段階にいる人を「乳飲み子の信者」と言います。


2. 乳飲み子の信者を養う方法

神は信仰の一、二段階にいる人が主日を守らなかったり、みことばどおり生きられなかったからといって、懲らしめられるお方ではありません。その人の立場で理解して、その人に合わせて愛されるのが見られます。
<第一コリント3:1-2>に「さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。」とあります。コリント教会の信者たちはイエス・キリストを受け入れて天国のいのちの書に名が記され、神の子どもとされる特権は受けましたが、まだ神のかたちを完全に取り戻したのではありませんでした。それで、使徒パウロは手紙で「御霊に属する人に対するようには話すことができないで」「肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。」「私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。」と言っています。
まだみことばどおり生きられない場合、まるで乳を飲ませるようにやんわりと勧めて、みことばを一つ一つ教えながら導かなければならないので、「乳飲み子の信者」と言うのです。そして、信仰が成長してみことばを理解するだけでなく、自分のほうからみことばどおり行なえるようになれば、「堅い食物を食べる信者」と言います。
乳飲み子の信者はすみやかにみことばどおり生きながら、堅い食物を食べる信者になるために努力しなければなりません。しかし、何が何でも堅い食物を食べる信者になるように促すからといって、解決されるのではありません。もし乳を飲ませないで、堅い食物を食べるように強いるなら、消化不良になるしかありません。信仰が小さい妻や夫、子どもを導く時は、相手の立場になって、信仰が成長できるように賢く導かなければなりません。心がかたくななので信じないのだと言ったり、行ないが足りないと責めるのではなく、生ける神を教えて、信仰を植えつけなければなりません。


3. 堅い食物を食べる信者になる方法

神は信仰の一、二段階にいる人が自分なりに熱心に信仰生活をしようと努めれば、試練や患難がやって来ないように守ってくださいます。かといって、信仰の二段階にとどまっていてはいけません。もし、子どもが成長できないでそのままいるならば、どれほど親の心が痛いでしょうか。子どもがのびのび育ってこそ親がほほえましく思うように、神の子どもたちはみことばと祈りによって、まめに信仰を成長させなければなりません。神は時になれば信仰の三段階に導くために訓練を受けることを許され、勝利するなら信仰を成長させて、祝福として報いてくださいます。訓練がどれほど大きかったかによって、祝福の大きさも違うことが見られます。
しかし、信仰の三段階にいるはずの人がまだ信仰の一、二段階に当たる生き方をしているなら、神は祝福を与えるための試練ではなく、懲らしめられます。ご飯といろいろ栄養ある食物をまんべんなく摂取して健康に育つべき子どもが乳だけ飲んでいるなら、そのまま放って置けば栄養が欠乏して病気にかかることもあり、だんだん痩せて死ぬこともあります。ですから、親はどんな方法を使ってでも、堅い食物を食べさせようとするでしょう。
同じように、みことばを知っていながらも、それを守り行なえなければ、まことの子どもを得ようと、ひとり子イエス様を救い主として下さった神はもどかしい心で懲らしめられ、サタンが訴えることを許されるしかありません。<ヘブル12:6-7>に「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」とあるようになさるのです。
もし、神の子どもが罪を犯したのに懲らしめられないなら、それほど神の愛から離れていると悟らなければなりません。神が受け入れられる子でないなら、その人は地獄に行くしかないので、悲劇の中の悲劇なのです。しかし、罪を犯して神に懲らしめられるなら、神が愛されているという証拠であると悟って、徹底的に悔い改めなければなりません。
もし、罪を犯したのに懲らしめられなかったなら、「ああ! 私は見捨てられたんだなあ」とあきらめないで、さらに努力して悔い改めて、罪の赦しをいただかなければなりません。口先だけで悔い改めるのではなく、本当に心の底からたましいを砕いて罪を告白してこそ、罪が赦されます。しかし、それは自分でできることではないので、神の御前にそうできるように恵みを与えてくださいとすがって、切に祈らなければなりません。
神の御前にたましいを砕いて罪を告白すれば、必ず涙と鼻水が出てきて、心を引き裂く悔い改めが出てきます。それで、神との間にある罪の隔ての壁が壊されれば、心が軽くすっきりするようになり、喜びと感謝があふれ出て聖霊に満たされます。これは神の愛を再び回復したという証拠です。
もし、信仰の三段階にいるはずの人が二段階の行ないを見せているなら、さまざまな問題が山積みになっても、解決する信仰さえ与えられません。信じられる信仰そのものが与えられないので、病気もいやされないのであり、結局、世の方法を使うしかないのです。しかし、徹底的にたましいを砕いて罪を告白して立ち返れば、信仰の三段階にいた人なので、再び信じられる信仰が与えられるようになります。
このような真理を悟ったなら、私たちは決して現在の信仰だけでは満足できません。小学校を卒業したら次の段階の中学校、高校、大学、あるいはそれ以上の教育過程を経て、もっと発展的な生き方になることを願うように、さらに全き信仰を持つために努めなければならないでしょう。
信仰の二段階はからし種ほどの信仰が蒔かれて芽が出た段階であり、聖霊に満たされればすぐ育ちます。熱心に礼拝に参加して、みことばの武具を身につけ、祈りに努めれば、すみやかにみことばを守り行なえる信仰に成長するようになります。


* まとめと適用

1. <ヘブル12:6>をみんなで覚えてみましょう。

2. かっこの中にふさわしい答えを書いてください。
■まるで乳を飲ませるようにやんわりと勧めて、みことばを一つ一つ教えなければならない信者を( )と言い、信仰が成長して自分でみことばを守り行なえる信者は( )と言う。
■信仰が育たなければ、神は正しい道に導くために愛のむちとして( )を与えられたりもする。
■神の子どもたちは( )と( )によって、信仰を成長させなければならない(第一テモテ4:5)。


* 今週の課題
『信仰の量り』第6章1節「みことばどおり行なえる信仰」に目を通してきましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう!
「いのちの書」とは?
救われた聖徒たちの名が記された本のことである。この本に記されている人は永遠のいのちを得て、この本に記されていない人は地獄に落ちる。ひょっとしてでもいのちの書に記された名が消されることがないように、目を覚ましている信仰を持たなければならない。

 
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