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メッセージ >
聖書の学び
Title
第11課 「信仰の三段階の入り口と信仰の岩」
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2010-03-19
読むみことば: マタイ7:24-25
覚えるみことば: ヘブル12:4
参考にするみことば: マルコ9:29
教育目標
自分の信仰がチェックできるように、信仰の三段階の入り口と信仰の岩の違いについて明らかに知り、罪と戦って血を流すまで抵抗して捨てなければならない理由を悟る。
イエス・キリストを受け入れて、賜物として聖霊を受け、救われる信仰を持てば、みことばを聞いて読んで学び次第、罪を捨てようと努力します。罪について、義について、さばきについて悟り始めれば、みことばどおり生きようと努めますが、生やさしくありません。それほど、心の中にみことばと違う真理に逆らうものが多くて、御霊の願うことを遮っているからです。ですから、真理に逆らう罪と戦って、血を流すまで抵抗して捨てる(ヘブル12:4)段階がまさに信仰の三段階です。
1. 罪と戦って捨て始める信仰の三段階の入り口
信仰の三段階になれば、聖書66巻に記されたみことばに聞き従って、「避けなさい」と言われたことを熱心に避けて、「しなさい」と言われたことは熱心にしていくようになります。それならば、主日を守って、十分の一献金をする人はみな信仰の三段階に入ったのでしょうか? そうではありません。主のしもべや他の聖徒の目を気にしたり、試練や患難が伴うのではないかと恐れて、しかたなくする場合もあるからです。私たちの心をご覧になる神は、心は世に奪われて、からだだけ聖殿に来て形式的に礼拝をささげても、完全に主日を守ったと言われません。このような人は十分の一献金をしたとしても、相変わらず信仰の二段階にいるのです。
ところで、同じ信仰の段階にいても、各人の信仰は違います。たとえば、信仰の二段階を100に分けて信仰を量るなら、10%、20%、50%と成長して、100%に近くなるほど信仰の三段階に近いし、100%になってこそ信仰の三段階に入ったと言えるのです。
信仰の三段階で、罪と戦って血を流すまで抵抗して捨てるためには、<マルコ9:29>に「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」とあるように、まず火のような祈りと断食を積むなど、自分の努力がなければなりません。そうしてこそ神が下さる恵みを受けて強くされ、みことばどおり生きていけるのです。
2. 信仰の三段階で60%以上になれば信仰の岩
信仰の三段階で60%以上になれば、信仰の岩に立ったと言えます(マタイ7:24-25)。「岩」とはイエス・キリストを意味し(第一コリント10:4)、「信仰の岩」とはイエス・キリスト、すなわち、真理に堅く立っている段階を言います。それで、信仰の岩に立てば、どんな試練や患難がやって来ても、左にも右にもそれないで揺れません。ただみことばに聞き従って正しい道を歩み、みこころなら聞き従うので、敵である悪魔・サタンに惑わされないで、いつも勝利して栄光を帰します。また、どんな試練や患難がやって来ても、心から喜びと感謝がにじみ出て、変わりなく祈って平安を失いません。仮に子どもが交通事故にあっても、信仰があるのでまことに心から感謝して、神に「なぜ守ってくださらなかったんですか!」とつぶやいたり、恨んだりしません。
信仰の三段階の入り口では、行なえる心は持っているけれど、完全に聖められていないので、喜んで聞き従う時もありますが、まだ残っている真理に逆らう心が真理の心と葛藤して、やむをえず聞き従う時もあります。たとえば、神が「敵をも愛しなさい」と言われたので、相手を憎まないで仕えようとするけれど、心からにじみ出る愛の行ないではないので、完全ではないし、心も苦しいのです。
しかし、信仰の岩に立った人は御霊の願うことに従う真理の心が強いので、敵である悪魔が隙をついて入ってきたりできません。また、神の全知全能の力に支えられて行なっていくので、このような信仰さえあれば、どんな試練も患難も問題になりません。全知全能の神が解決してくださるので、少しもつらいことがないのです。
3. 聖霊を受けてから信仰の岩に立つまでの過程
聖霊を受けてから信仰の岩に立つまでの過程は、ボクシング選手が世界チャンピオンになる過程と似ています。不断の努力と忍耐と自分との戦いが必要なのです。初めは実力がなくて殴られますが、熱心に努力して、忍耐して実力が向上すれば、負けるより勝つほうが多くなり、その分自信があふれるようになります。
敵である悪魔との霊的な戦いも同じです。信仰の二段階では、御霊の願うことに従おうとする心と肉の願うことに従おうとする心が激しく戦います。それで、敵である悪魔との戦いで勝つ時もありますが、負ける時もあります。しかし、気を落とさないで絶えず祈って、みことばどおり行なうと、神が恵みを下さって強くしてくださり、聖霊が助けてくださるので、御霊の願うことがますます強くなります。こうして信仰の三段階に向かって上り続けるようになります。
そうして信仰の三段階に入れば、肉の願うことがますます弱くなって、信仰生活が徐々に楽になります。前は10分の祈りだったのが、だんだん20分、30分、1時間と増えて、2、3時間もやすやすと祈るようになります。
このように祈りながら信仰の三段階に深く入れば、真理に堅く立つようになるので、どんな試練や患難がやって来ても、左にも右にもそれないで、揺るがない信仰になります。信仰の岩に立てば、神に愛されて、祈ることはすべてすみやかに答えられます。また、みことばどおり守り行なうので、聖霊の声を聞いて、どんな状況でも喜んで、いつも目を覚まして祈るようになります。
もちろん、必ず信仰の岩に立ってこそ聖霊の声が聞けるというのではありません。初心の者であっても、みことばを聞いてそのとおり聞き従っていく人は聖霊の声を聞きます。そのように聞き従っていく人々は、信仰の一段階から信仰の岩に立つまで 長い歳月がかかりません。
4. 罪と戦って血を流すまで抵抗して捨てる努力の重要性
信仰の二段階は、御霊の願うことに従う心と肉の願うことに従う心が互いに戦う段階ですが、信仰の三段階は、御霊の願うことに従ってみことばどおり行ない、勝利していく段階です。
すでに行ないとして罪を犯す「肉の行ない」を捨てたので、信仰生活がやさしいけれど、からだと結びついている罪の性質、すなわち「肉的なこと」を捨てるために、血を流すまで罪を捨てる戦いが始まるのです。
信仰の岩に立って信仰の三段階に深く入れば、「肉的なこと」を打ち砕いて捨てたので、「肉の思い」が働かないで、完全に聞き従うだけであり、真理が与える自由を味わうことができます。
信仰の二段階から信仰の三段階に入る時間は、神を愛して熱心に努力さえすれば、決して長くありません。
しかし、教会は通っていても、みことばどおり行なおうと努力しないなら、相変わらず信仰の二段階にとどまっているのです。
みことばを聞いて、その意味を知って守り行なうとき、私たちの霊が育つのです。たとえ難しくても、みことばを聞いて守り行なってこそ、たましいに幸いを得る祝福が受けられます。
このように信仰の二段階から三段階に入るまでは、自分の決心次第で難しいことではありません。しかし、信仰の三段階から四段階に入るまではかなりの時間が必要です。
木が育って、花が咲いて実を結ぶまで、または鳥が宿るまで、多くの時間がかかるのと同じです。
聖書66巻のみことばどおり守り行なうためには、みことばを聞いて悟らなければなりませんが、完全に父のみこころを知ることが短い期間にできることではないからです。
これは、小学校で勉強がよくできるからといって、直ちに大学を卒業して社会生活をすることはできないのと同じです。
しかし、検定試験を受けて飛び入学をする人がいるかと思えば、一、二年浪人して遅く入学する人もいるように、信仰も、自分がどれほど努力するかによって、四段階にすみやかに入ることもあり、遅く入ることもあります。
ここで大切なのは人の器の違いです。
器が小さい人は、いくら知って、悟って、信仰と希望があるとしても、努力が少ないです。
しかし、心の器が大きい人は、それが正しいことと悟って、一度やるぞと決心すれば、それをやり遂げるために不断に努力して、成就するのが見られます。
したがって、すみやかに信仰の三段階から四段階に入るためには、何より不断の努力、すなわち、罪と戦って血を流すまで抵抗して捨てる努力が非常に大切であることを悟らなければなりません。
* まとめと適用
1. 私たちがすみやかに信仰の岩に立つためには、どんな努力が必要でしょうか?
2. <ヘブル12:4>をみんなで覚えてみましょう。
3. 信仰の一段階は聖霊を受けて救われた段階であり、信仰の二段階はみことばを聞いて行なおうと努力する段階です。では、信仰の三段階はどんな段階でしょうか?
4. 現在、自分の信仰は次のどれに当たるでしょうか?
信仰の一段階、信仰の二段階、信仰の三段階の入り口、信仰の岩、それ以上
* 今週の課題
『信仰の量り』第七章「この上なく主を愛する信仰の四段階」の1に目を通してきましょう。
* 「用語」を知って力にしましょう!
「肉的なこと」とは?
まだうわべに現れてはいないが、いつかは行ないとして現れる罪の性質の一つ一つを言う(ローマ8:5)。たとえば、憎しみ、ねたみ、そねみ、偽り、ずる賢さ、高ぶり、憤り、さばくこと、罪に定めること、姦淫、欲などである。
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