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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第14課 「神を第一に愛する信仰の四段階(2)」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2010-04-09


読むみことば: ピリピ3:7-9
覚えるみことば: 第三ヨハネ2
参考にするみことば: 使徒16:19-26


教育目標

神を第一に愛する信仰の四段階の特徴と祝福について調べる。

信仰の四段階の人は主をこの上なく愛するので、どうすれば神に喜ばれるだろうかと思い、心から信仰の告白とともに行ないが伴うことが見られます。前回は信仰の四段階の特徴として、1)主をこの上なく愛する信仰、2)喜んで命令を守る信仰、3)悪い者が触れることができないし、求めるものは何でも答えられる信仰と言いました。続いて、信仰の四段階の特徴と祝福について調べてみます。

4)たましいに幸いを得ているように、すべての点でも幸いを得る段階
もともと神が最初の人アダムを造られた時は、いのちの息が吹き込まれた「生きもの」として造られました。アダムは、神と交わりができる霊、そして霊に支配されるたましいとからだで構成されていました。
ところが、アダムが神の命令を破って善悪の知識の木の実を取って食べて罪を犯すと、「罪から来る報酬は死」という霊の世界の法則どおり、アダムの霊が死んでしまいました。ここで「霊が死んだ」とは、霊が消滅してしまった、なくなったということではなく、霊の活動が止まったという意味です。
霊が人の主人の役割をするべきなのに、霊が死ぬと、霊に支配されていたたましいが人の主人になりました。「たましい」とは、脳の記憶装置とその中に入っているすべての知識、そして、それを思い出して活用する働き、これらすべてを総称したものです。人が生きながら何かを体験するとき、それを記憶して、思い出して、考えて、活用することがすべて、たましいの働きなのです。
霊が主人の役割をしていた時は、霊によって神と交わって、真理の知識を受け入れていました。だから、たましいの働きも真理であり、からだも霊が願うとおり従っていました。ところが、霊が死んで神との交わりが途絶えると、敵である悪魔・サタンがたましいを通して人に働きかけていきました。結局、神が心に植えつけてくださった真理の知識が抜け出て、代わりに敵である悪魔・サタンが植えつける真理に逆らうものが入ったのです。
歳月が流れるほど、人の心は真理に逆らうものに染まっていきました。それで、神に聞き従わなかったアダムの子孫は獣にすぎない存在になってしまったのです(伝道者3:18)。あらゆる偽りと姦淫、憎しみ、殺人、ねたみ、そねみなど、みことばに背く、真理に逆らうものの中で生きていくようになりました。
しかし、神は愛であられるので、イエス・キリストを遣わして救いの道を開かれて、この方を受け入れる者にはみな、賜物として聖霊を与えてくださいました。誰でもイエス・キリストを受け入れて、賜物として聖霊を受ければ、死んだ霊が生き返って、御霊によって生まれた「御霊の人」になるようにされました。これがまさに信仰が成長する過程であり、たましいに幸いを得ていくことです。
私たちが聖霊を受けた信仰の一段階を過ぎて、御霊の願うことに従おうとする霊と、肉の願うことに従おうとするたましいとの激しい戦いで勝って、ただ神のみこころどおり行なえば、信仰の岩に立つようになります。さらに進んで、この上なく主を愛する信仰の四段階に入って、霊が人の主人になります。このように霊が人の主人としてたましいを支配し、たましいはしもべとして霊の指示に従う主従関係を回復したことが、まさに「たましいに幸いを得ている」状態です。<ピリピ2:5>に「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」とあるように、主の心構えに似せられていきます。
霊がたましいを支配すれば、みことばである真理が心全体をつかさどるので、自分の思いや自分の意志が働きません。聖霊が心に完全に働きかけられるので、試練や患難を避けることができて、どんな状況でも守られます。つまり、肉の思いが徹底的に打ち砕かれて、心が真理そのものになるので、完全に従って、行なっていくのです。
ですから、たましいに幸いを得ている人は、ただ全知全能の父なる神にすべてをゆだねて従うので、神がその心と思いに働きかけて、導いてくださいます。それで、すべての点で幸いを得ていて、健康である祝福が臨むようになるのです。また、将来、天国で永遠のいのちと祝福を味わうことはもちろん、この地上で生きていくのに必要な健康、物質、子ども、家庭、職場、事業の場など、すべてのものが祝福されます(申命記28章)。

5) どんな代価も望まずに、神をただ愛する段階
信仰の三段階は、神を愛さなければならないと知って悟り、愛そうと努めますが、信仰の四段階は神をこの上なく愛するだけでなく、神をただ愛する段階です。もし何かの試練や患難がやって来たとしても、心の底から喜びと感謝の祈りが湧き上がってきて、神を愛する心が変わりません。
「神をただ愛する」とは、どんな条件もつけないことを言います。熱心に忠実に仕えながらも、どんな祝福や答えのような代価も望まないで、当然するべきことをしたと思います。もし親が子どもを本当に愛しているなら、子どもに何の代価も要求しないでしょう。ただ愛を与えることはもちろん、愛を与えられる子どもがいることに感謝して喜ぶのです。このように神をただ愛する信仰の四段階では、主が救ってくださった恵みがあまりにも感謝で、その恩をどうやって返そうかと考えるだけでなく、ただ神が好ましく、真理が好いのです。それで、神の国と義のために夜昼となく祈って、忠実であり、仕えながらも何の代価も望まないのです。

6)すべてを捨てて神を第一に愛する段階
この上なく主を愛する心になって、命令を完全に守り、たましいに幸いを得ていると、神を第一に愛するようになります。それで、使徒パウロは自分の持っていたすべてのものを損と思い、それらをちりあくたのように捨てたと告白しました(ピリピ3:7-9)。
イエス様は四福音書で、使徒パウロのようにすべてのものを捨てて、神を第一に愛する人々に、今のこの時代に百倍の祝福を受けて、後の世に永遠のいのちの祝福を受けると告げてくださいました。「イエスは言われた。『まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。』」(マルコ10:29-30)
私たちが愛する親と子ども、妻と夫、兄弟と姉妹を捨てて、私たちに利益を与える家と畑を捨てるということは、この世を望まないで、肉を断ち切って、霊である神を第一に愛するという意味です。親と子、妻と夫、兄弟姉妹より神を第一に愛するからといって、決して家族に冷たくして、人としてすべきことをしてはならない、という意味ではありません。むしろ、神の命令を破ることではなければ、ノンクリスチャンがするよりもっと家族に仕えて、家族の一員として全家を通じて忠実でなければなりません。主を信じない家族も、そんな姿に感動して救われるように、よく仕えることが神のみこころでもあります。しかし、創造主であり、私たちの霊とたましいを生んでくださり、地獄の刑罰から救ってくださった神を信じるなら、誰よりも神のほうを愛することが当然です。
このように神を第一に愛すれば、すべての点で神が導いてくださるので、すべてのことで少しも乏しいことがなくて、いつも聖霊に満たされているので、まことの幸せが心に臨みます。心に悪がないので、永遠に変わらない霊の愛を絶えず与えて、すべての人を愛するようになります(第一コリント13:4-7)。
ところで、神を愛すれば、初めは神を信じない家族や友だちから迫害されることもありますが、続くことはありません。たましいに幸いを得ていて、信仰の四段階に入れば、かえって迫害が祝福に変わり、迫害した人々から愛されて認められるようになります。天国にも報いが積まれて、この地上でも百倍の祝福を受けるようになります。
また、信仰の四段階では、御霊の実が結ばれるには結ばれますが、実の中でもあるものは詰まっていて、あるものはちょっと未熟な状態だと言えます。たとえば、愛の実は優れているが、自制の実はちょっと足りないとか、誠実の実は優れているが、柔和は欠けているということもあります。
したがって、すべての御霊の実が100%完全に結ばれたら、ついに信仰の五段階に入るのであり、このような人はあらゆる分野において完璧な調和を生み出します。信仰の五段階に入って、すべての実が100%完全に結ばれる時でこそ、父のみこころの深いところまでも明らかに悟って、完全に従えるのです。
したがって、神を第一に愛する信仰の四段階に至ったとしても、御霊の実を100%結んで、神のみこころに完全に従うキリストの満ち満ちた身たけに達するまで、立ち止まってはいけません。


* まとめと適用

1. <第三ヨハネ2>をみんなで覚えてみましょう

2. 信仰の四段階についての説明で、間違っているものは何でしょうか?
①霊が主人としてたましいを支配して、たましいはしもべとして霊に従う。
②心に悪がないので、聖霊の声を聞いて働きかけられ、御霊に導かれる。
③霊の愛と御霊の実、八つの幸いの実が100%結ばれる。


3. 信仰の四段階に入れば、御霊の実、霊の愛、八つの幸いが臨むようになります。聖書のどこの何章にあるのか、(  )に書き入れて、項目を順番どおり覚えてみましょう。
□御霊の実(          )
□霊の愛(          )
□八つの幸い(          )


* 今週の課題
『信仰の量り』第八章「神に喜ばれる信仰の五段階」に目を通してきましょう。


* 「用語」を知って力にしましょう!
「いのちの冠」とは?
信仰の四段階の人々、すなわち、三天層に入った人々に、神が基本的に授けられる冠である。彼らは主のために自分のいのちをささげる試練を通り抜けたからである。世でも、テストをパスすれば資格が与えられるように、主のためにいのちをささげる試練を信仰によって通り抜けた人に授けられる冠である(ヤコブ1:12、黙示録2:10)。

 
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