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メッセージ >
聖書の学び
Title
第2課 人を創造して教えられた神
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2008-01-11
読むみことば: 創世記1:26-28
覚えるみことば: 創世記1:27
教育目標
創造論と進化論を比べ、創造主の神が信じられる証拠と進化論の虚構性を調べ、神がどのように人を創造して教えられたのかについて知る。
1. 創造主の神
ほとんどの人は学校で進化論だけを学んだので、創造論について科学的に正しいかを確かめもしないうちに排斥します。聖書六六巻の最初の書である創世記には、神の創造のみわざが具体的に記されています。特に[創世記1:1]に「初めに、神が天と地を創造した。」とあり、創造主の神について語っています。
創造論は、神がご自身で宇宙万物を設計して創造されたという理論であり、被造物である人は神のみこころに従って、天国に望みを置いて生きなければならないという神本主義思想です。一方、進化論は、すべての生物が無生物から自然発生して、下等から高等に、同種から異種に進化して、人もサルと同じ起源だと主張します。
このような進化論を信じる人々はいのちの根源を偶然の産物と見て、創造主を認めないので、人本主義思想を持って生きていきます。彼らは人生の目的をこの地上に置いて生きていくので、何を食べるか、何を着るか心配して生きていくしかなく、人生を最大限楽しもうと何かを熱心に捜すけれど、まことの喜びを得ることはできません。そのうち、結局、一握りの土へ帰るので、どれほど空しい人生でしょうか。
進化論が生まれてから、多くの人が進化論が正しいと信じてきましたが、今日では進化論よりは創造論のほうがもっと科学的であるという証拠が次々と現れています。むしろ、進化論は進化論者たち自身によって否定されたりもしています。なぜなら、生命の根源が偶然に発生したという進化論が、確率的にも、熱力学第二法則(注:宇宙は絶えず、より無秩序の方向に向かっている)、地質学などから科学的に見ても、妥当性がないからです。
また、進化論者が50万年前に生きていた最初の人類だと主張する北京原人の骨は、サルと人の骨を組み合わせたものだったことが明らかにされました。20万年前に生きていたと推測されたネアンデルタール人も、ビタミンDが欠乏したくる病患者だったことが判明しました。
このように、進化論は創造主の神のみことばにもふさわしくなく、科学的にも妥当性が少ないのです。それでも進化論を無条件に受け入れて、主張している進化論者を見れば、まことに残念です。
[ローマ1:25-28]には「それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。・・・また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。」とあります。
この世のすべての物は作った人がいないものがありません。子どものおもちゃから空を飛ぶ飛行機まで、誰かが作ったので存在しているのです。街に立ち並んでいるさなまざまなビルも、持ち主が自分の心に合うように設計して、建築業者に頼んで建てられたものであり、決して自然に建てられたり、偶然に生じたりしたものではありません。このように天地万物も、創造主の神がご自身の心に合わせて、神の知恵によって設計して創造されたものです。
聖書のあちこちには、神を造り主として記し、神が天地万物をことばで創造されたと書かれています。[ヘブル11:3]にも「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」とあります。[ローマ11:36]には「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」とあり、[ヨハネ1:3]に「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」とあります。
創造主の神についての証拠は聖書だけでなく、宇宙万物にも無数にあります。宇宙万物を考えてみれば、東西南北があって、春、夏、秋、冬の四季があり、地球の自転と公転、満ち潮と引き潮の交差、風と雲の移動など、宇宙のすべてのものが正確で秩序正しく動いているのですから、これをどうして神の創造の摂理でない偶然の一致と言えるでしょうか。
その上、全世界の人や動物、鳥、海の魚がみな同じように、目は二つ、鼻は一つ、口も一つ、耳は二つであり、その位置まで全く同じであることを見ても、造り主おひとりによって宇宙万物が創造されたことを明らかに感じることができます。
[ローマ1:19-20]に「なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」とあります。ですから、終わりの日に神がさばかれるとき、どこの誰も神の御前で「私は神様を知らなくて、信じられませんでした」と言い訳できないのです。
2. 人を創造された神
創造主の神は[創世記1:27-28]に記されたように、ご自身のかたちに、すなわち、神のかたちに人を造り、男と女を創造して、彼らを祝福し、「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」と仰せられました。
それでは、神はどのように人を創造されたのでしょうか? [創世記2:7]を見ると、「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」とあります。神は土地のちりで人を造られたとき、神のかたちに美しく造られました。その中で血液が循環して、呼吸して、消化できる器官を造り、すべての働きがよくできるように完ぺきに造られたのです。しかし、その状態では生きて動かなかったので、鼻にいのちの息を吹き込み、生きて動くようにされました。
この過程を簡単に理解するためには、蛍光灯に明かりがついて光を放つ過程を調べれば良いです。蛍光灯から光が出るには、まずきちんと組み立てられた蛍光灯が必要で、蛍光灯が電源とつながっていなければなりません。しかし、そのままでは蛍光灯から光が出ません。スイッチを入れて電流を流してこそ、光が出て明るくなります。
このように、人も創造主の神が土地のちりで造っていのちの息を吹き込まれると、生きて動く「生きもの」となったのです。被造物である人も、文明が発達して知恵と知識が高まり、宇宙を探険して知能のあるコンピュータまで作り出しているのに、全知全能の神が世界と人を創造して、宇宙万物をつかさどられることが難しいことでしょうか。創造主の神はおできにならないことがない方だからです。
愛の神は人を創造する前に世界を創造して、人が生きていけるすべての環境を備えられました。呼吸できる空気と美しい山川草木と、支配するすべての生き物を備えておかれたのです。その後、人を造り、その鼻にいのちの息を吹き込むと生きものとなりました。つまり、呼吸できるようになり、生きて動けるようになりました。どれほど驚くべき神の力であり、摂理でしょうか。
したがって、創造主の神は天地万物を創造されただけでなく、ご自身のかたちに人を造られたことを確かに知って、神の愛と力を信じなければならないでしょう。
3. 人を教えられた神
神は人を創造された後、エデンの園に置かれ、そこを守って支配するようにされました。神は人がそこで生きていくのに必要なことを教えてくださり始めました。生まれたばかりの赤ちゃんが、初めは生理現象以外はほとんど何もできないけれど、環境や条件を通して、両親、兄弟、教師などを通していろいろな教育を受けて、人間らしく生きられるように、創造主の神は人に天地万物の調和と霊の世界の法則と真理のみことばを教えてくださったのです。それで、人が万物の霊長らしく生きていくのに必要なすべてを学ぶようにされました。
[創世記2:16-17]で、神は「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」と命じられました。子どもを愛する親が「こんなものは食べてもかまわないけど、あんなものは絶対に食べてはいけない」と教えるように、神も一つ一つ詳しく教えてくださいました。
永い歳月が過ぎて、人が神の教えを心に留めないで過ごしているうち、狡猾な蛇に惑わされてしまいました。神の細やかな教えにもかかわらず、禁じられていた善悪の知識の木の実を取って食べたのです。その結果、罪から来る報酬である死が臨み、人の主人の役割をするはずの霊が活動できなくなり、結局、永遠に生きられない肉にすぎない人になってしまいました。それで、霊である神と交わることもできなくなったのです。
神は全知全能なので、人のこのような不従順をあらかじめ知っておられました。けれど、愛の豊かなお方なので、人を創造して神のみこころを教え、幸せに生きていく神の子どもになってほしいと願われました。
したがって、私たちはこのような神の愛を悟り、救いの摂理を施された神に感謝をささげ、まことの神の子どもになろうとさらに努めなければなりません。
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