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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第4課 不従順によって死に向かった人々  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2008-01-25


読むみことば: 創世記3:1-7
覚えるみことば: ヤコブ1:15

教育目標

神が造られた人がどのように滅びの道に向かうようになったのか、その過程を調べて、罪の結果は死であることを確かに悟り、信仰の上に堅く立って救われるようにする。


1. 従えて支配するように祝福された人

創造主の神はご自身のかたちに人を創造して、彼に地を従えてすべての生き物を支配する権限を与えてくださいました。その過程が創世記2章に具体的に記されています。神は人を創造されるとき、土地のちりで形造り、いのちの息をその鼻に吹き込んで生きものとなるようにされました。そして、東の方エデンに園を設け、そこに人を置かれ、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせました。
神は人にエデンの園を耕させ、またそこを守らせましたが、「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」と命じられました(創世記2:16-17)。また、人がひとりでいるのは良くないと思われ、彼のために、彼にふさわしい助け手を造られました。アダムのあばら骨一つを取り、女を造り上げ、彼が妻と結び合い、ふたりは一体となるようにされたのです。
それだけでなく、神はアダムがあらゆる野の獣とあらゆる空の鳥の名をつけるようにされました。真理と善そのものであられる神は万物の霊長として立てた人にご自身について教え、宇宙万物と霊の世界の法則についても教えてくださいました。ただ善と真理だけを教えられたので、アダムは神のみことばに従い、永い歳月を安らかに過ごしていました。神が「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」と祝福されたとおり、アダムとエバはエデンの園で何の心配もなく子孫を生んで、万物を支配して生きていたのです(創世記1:28)。


2. 狡猾な蛇に惑わされて、不従順の罪を犯した人

このように神は人を創造して祝福され、この上ない愛を与えられました。たった一つ、神の主権を表す善悪の知識の木からは取って食べてはならないと命じられただけで、人が神の子どもとされた特権と自由を思いきり味わって、豊かに生きるようにされたのです。
ところが、永い歳月が過ぎると、人は神の命令を大切に思わないようになりました。この時、虎視耽々と機会を狙っていた敵である悪魔は一番狡猾な蛇を操って人を惑わしました。その当時、蛇はすべすべしてきれいで、長くて丸い形をしていました。人と親しかったし、人に愛されていました。それで、敵である悪魔は人と親しくて愛されているが、野の獣のうちで一番狡猾な蛇を操って、人を惑わしたのです。
今日も、敵である悪魔は一番親しい人、または愛する人を通して罪を犯させるのが見られます。このように人々が罪を犯すように敵である悪魔が惑わすのは、人に罪を犯したい心があるからなのです。ですから、いつも目を覚まして祈り、真理のみことばをもって見分けて、惑わされることがないようにしなければなりません。今日も人々が蛇を嫌うのは、蛇が人に罪を犯すようにさせたからです。そのため人と敵同士になったので、気味が悪いと思うのです。もし、そんなふうに思わないなら、実は、蛇はむしろ清潔でかわいい動物です。
それなら、狡猾な蛇が人をどのように惑わして、神のみことばに逆らうようになったでしょうか? 蛇は神が人に、善悪の知識の木の実だけは食べてはならないと命じられたことを知っていました。それで、女に「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」と巧みに聞いたのです。この時、女は「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」と答えました。神は「それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」とはっきりと仰せられたのに、女は「『あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せられた」とあやふやな答えをしたのです。これは神のことばを心に留めていないという証拠で、確かに信じられなくて疑っているという表現です。それで、蛇はもっと積極的に女を惑わして、「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」と確信を持って言いました。結局、人は神の命令に逆らって、善悪の知識の木から取って食べてしまいました(創世記3:1-6)。
今日も、神のみことばが信じられなくて確信が持てないでいる人に、敵である悪魔・サタンは狡猾に働きます。たとえば、「どうしてもそんなしょっちゅう教会に集まらなければいけないのか?」「神様は心の中もご存じなのに、声を出して祈らなければならないの?」と問いかけるのです。これらは明らかに神が命じられたことです。数多くの昔の信仰の人々が聞き従って行ったことであり、神が喜ばれることなのにもかかわらず、確かな信仰が持てない人に疑いを吹き込むために、こう聞くのです。
[第一ペテロ5:8-9]に「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」とあります。私たちが真理の岩の上に堅く立っていてこそ、左にも左にもそれることなく、信仰によって勝ち抜くことができます。イエス・キリストの御名によって敵である悪魔を退けて、世と妥協しないで真理の中にとどまっている時は、神が守ってくださるので、信仰によって勝利するようになります。しかし、真理の中にとどまっていないなら、サタンが働くようになります。
[エペソ6:11]に「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」とあります。熱心に真理である神のみことばで武装して、ひょっとして敵である悪魔・サタンが惑わしても、大胆に退けて、信仰によって勝利する人にならなければなりません。また、[マタイ5:18-19]に「天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。 だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。」と書いてあることを悟り、戒めのうち最も小さいものの一つでも聞き従う人になりますように。


3. 罪から来る報酬として死ぬようになった人類

私たちが敵である悪魔・サタンの惑わしを退けないと、サタンは思いを通して働くようになります。エバもそうでした。善悪の知識の木が以前とは違って見えました。その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかったのです。それで、エバはその実を取って食べ、いっしょにいたアダムにも与えたので、彼も食べました。神のみことばで敵である悪魔・サタンを退けなかったので、肉の欲と目の欲と暮らし向きの自慢に打ち勝つことができませんでした。結局、神のみことばに従わない罪を犯してしまいました。したがって、「それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」と神が言われたとおり、人は死ぬようになりました。
ここで「死」とは、からだの死ではなく、霊の死を意味します。人は神のいのちの息が吹き込まれて、霊とたましい、からだで造られましたが、罪を犯した後、人の主人である霊が活動できなくなりました。これを「霊が死んだ」と言うのです。霊である神と交わりが途絶えて、たましいとからだも敵である悪魔・サタンに支配されて苦しむようになりました。また、万物に神の呪いが臨み、男は、一生、顔に汗を流して、食を得なければならなくなりました。女は、みごもりの苦しみを大いに増されただけでなく、苦しんで子を産まなければならないし、しかも、夫を恋い慕うが、夫は彼女を支配することになりました。人を惑わして罪を犯すようにした狡猾な蛇も、神に呪われて、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならなくなりました。
実際、蛇を調べれば、ちりを食べるのではないことがわかります。神は確かにちりを食べなければならないと言われたのに、なぜでしょうか? [創世記3:19]を見ると、神は不従順の罪を犯したアダムに「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」と仰せられました。ですから、「ちり」とは、ちりで造られた私たち人のことです。神が蛇に「一生、ちりを食べなければならない」と仰せられた霊的な意味は、ちりで造られた人が蛇、すなわち、敵である悪魔・サタンの餌食になるということです。したがって、たとえ神の子どもであっても、悪を行なって罪を犯せば、敵である悪魔・サタンが働くので試練や患難がやって来て、さまざまな困難に遭うようになります。[ルカ4:5-7]にも、アダムが神のみことばに聞き従わなかったので、国々のいっさいの権力と栄光とが敵である悪魔・サタンに任されていることが記されています。それで、敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めて、罪を犯して滅びの道に向かわせているし、できることなら信じる人々も惑わして、罪を犯させるのです。
[ローマ5:12]には「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。」とあります。アダムが不従順の罪を犯すと「罪から来る報酬は死」という霊の世界の法則に従って、人の主人である霊が死んで、神のかたちを失って敵である悪魔の奴隷になりました。結局、神からの栄誉を受けることができず、永遠に滅びの道に行くしかありませんでした。また、アダムひとりによって彼の子孫である人類も罪の奴隷になり、永遠に滅びの道を行くしかないようになったのです。
しかし、愛なる神はすべての人類に救いの道を開いてくださいました。[ローマ5:19]に「すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。」とあります。それは、イエス・キリストによってすべての人に永遠のいのちに至る救いの道が開かれたということです。これが「十字架のことば」です。次回から具体的に学んでいきましょう。

 
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