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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第5課 土地の買い戻しの権利のあるイエス・キリスト  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2008-02-01


読むみことば: レビ記25:23-25
覚えるみことば: 第一コリント2:8

教育目標

イエス・キリストがどのように私たちの罪を贖うことができるのか調べて、イエス・キリスト以外には救いがない理由を悟る。


1. 世界の始まる前から隠されていた救いの道

神は最初の人アダムが不従順になることと、それによってすべての人が肉にすぎない存在になって、滅びの道に向かうようになることをあらかじめ知っておられました。それで、世界の始まる前からイエス・キリストによる人間の救いの道を備えられました。それが「十字架のことば」です。もしこの救いの道を敵である悪魔があらかじめ悟っていたなら、罪人である人類を救うことができなくなるので、神は奥義として隠しておかれました。
[第一コリント2:7-8]を見ると「私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。」とあります。
どの国にも法があるように、霊の世界にも法があります。アダムの不従順によって敵である悪魔の子どもになってしまったすべての人類を、神に属する子どもとして取り戻すためには、霊の世界の法に従わなければなりません。神は罪人になった人類を救うために「土地の買い戻しの法」に従って、イエス・キリストをこの地上に遣わし、十字架につけて人類の罪を贖うようにされました。


2. 土地の買い戻しの法

[レビ記25:23-25]には「地は買い戻しの権利を放棄して、売ってはならない。地はわたしのものであるから。あなたがたはわたしのもとに居留している異国人である。あなたがたの所有するどの土地にも、その土地の買い戻しの権利を認めなければならない。もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。」とあります。もし土地を売ったとしても、本人がまた買い戻すことができるし、親類が代わりに買い戻すこともできるというのが、土地の買い戻しの法です。土地は神のものだから、永久に売ることができないからです。
イスラエルでは土地を売るとき、契約書にどんな経路で売り買いするのかという過程を書いて、土地の買い戻しができる内容を記すようにしました。土地を買う人と売る人が印鑑を押して証人を立て、1部は法とおきてのとおり封印して聖殿の倉に保管し、もう1部は封印しないで、いつでも見られるように聖殿の入口に置いておきました。たとえ土地を売っても、また買える力ができて返してもらおうとするなら、いつでも契約書に記されているように買い戻すことができます。
同じように、アダムの不従順によって、神と悪魔の間にも土地の買い戻しの法に従って契約がなされました。アダムの不従順によって、世界の国々を治めるすべての権威が悪魔に任されていました(ルカ4:6)。土地のちりで造られた人間の救いはこの法と直接かかわっています。神は土地の買い戻しの権利のある者としてイエス・キリストを備えて、十字架の苦しみを通して救いの道を開いておかれました。主の御名を呼び求める者は、だれでも救われ(ローマ10:13)、神の子どもとされる特権をお与えになりました(ヨハネ1:12)。


3. 土地の買い戻しの権利のある者の条件とイエス・キリスト

[レビ記25:23-25]にある土地の買い戻しの権利を持つためには、罪の報酬として売られたアダムのいのちを贖うにふさわしい資格を備えなければなりません。ところが、この地上にはそんな人がいません。すべての人は不従順の罪を犯したアダムの子孫なので、自分の力では罪の問題を解決することができないからです。
神はアダムの不従順以後、悪魔に国々を支配する権威を任されましたが、それを買い戻せる力のある人がいれば、再びその権威を渡せるという契約が七つの封印で封じられていました。[黙示録5:4]を見ると、「巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので」使徒ヨハネが激しく泣いている場面があります。しかし、5節には「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」とあります。これはダビデの根、すなわち、イエス・キリストが土地の買い戻しの権利のある者だということです。
それでは、土地の買い戻しの権利のある者の条件とは具体的に何でしょうか?

第一に、人でなければなりません。
[ローマ5:12]に「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。」とあり、[ローマ5:19]には「すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。」とあります。したがって、罪を贖うことができる「ひとり」がいるなら、滅びの道に向かっていたすべての人類が悪魔の子どもから神の子どもにされることができるのです。
土地の買い戻しの法によると、お金がなくて土地を売っても、また買い戻したいと言うなら、買った人は土地を返さなければなりません。もし本人に買い戻す力がないならば、親類が代わりに買い戻すことができます。したがって、悪魔の子どもを神の子どもとして買い戻すためには、アダムの親類でなければならないので、土地の買い戻しをする者は人でなければなりません。
では、イエス・キリストは土地の買い戻しの権利のある方でしょうか? [ヨハネ1:14]に「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」とあるとおりに、イエス様はことばである神が人となってこの地上に来られた方です。つまり、人となって来られたので、土地の買い戻しの権利のある者の第一の条件にふさわしい資格を備えたお方なのです。

第二、アダムの子孫であってはなりません。
アダムには不従順の罪があるので、アダムの血を受け継いで生まれた人類はみな原罪があります。罪人が罪人の罪を贖うことができないので、人類の罪を贖う人はアダムの子孫であってはなりません。使徒ヨハネがこのような者を捜そうと、天を見ると御使いだけがいて、地を見るとアダムの子孫である罪人だけがいて、地の下にもだれひとり見つからなかったのです(黙示録5:1-3)。
なぜイエス・キリストは土地の買い戻しの権利のある者、第二の条件にふさわしいのでしょうか? イエス様は肉的な系図ではダビデの根ですが、男女が結婚してみごもったのではないので、原罪がありません。私たちの罪を贖うために人としてお生まれになりましたが、ただ神の力によっておとめマリヤのからだを借りて、聖霊によって宿られたので、アダムの子孫ではありません(マタイ1:18-21)。

第三に、土地を買い戻せる力がなければなりません。
いくら借金を返してあげようとしても、返す余裕がなければ何の役にも立たないように、土地の買い戻しにもそれほどの力がなければなりません。このように、罪を贖うためには罪を買い戻す力がなければなりません。霊の世界では罪がないことが力です。
なぜイエス・キリストは土地の買い戻しの第三の条件にふさわしい資格を備えておられたのでしょうか? イエス様はアダムの子孫でないので、原罪がありません。お生まれになって八日目に割礼を受けて、十字架につけられて死なれるまで、33年間、律法を完全に守り行われたので、自分で犯した罪も全くなかったのです(第一ペテロ2:22-24、ヘブル7:26)。ただ神のみこころに聞き従って、愛で律法を全うされた完全なお方です。このようにイエス様は罪が全くないので、土地を買い戻す力があったので、結局は敵である悪魔が妨げることができなくて、悪魔の奴隷になっていた人を返してやるしかありませんでした。

第四に、愛がなければなりません。
上の三つの条件を全部満たしても、一番大切な愛がなければ、何の役にも立ちません。たとえば、弟に一千万円の借金があるとします。しかし、数億円を持っている兄がいても、その借金を代わりに返してあげる愛がなければ、何の役にも立たたないのと同じです。
[ルツ記4:6]に「その買い戻しの権利のある親類の人は言った。『私には自分のために、その土地を買い戻すことはできません。私自身の相続地をそこなうことになるといけませんから。あなたが私に代わって買い戻してください。私は買い戻すことができませんから。』」とあり、買い戻す力はあるけれど、そうしないことがわかります。結局、その次の親類であるボアズが代わりにナオミの土地を買い戻してあげました。これは彼に愛が多かったからです。これによって、ボアズはダビデの曽祖父としてイエス様の系図に載せられる大きい祝福を受けます。
もし、イエス様が木の十字架にかかって、血を注ぎ出して死なれるという犠牲的な愛がなかったなら、はたして悪魔の子どもになっていた人々を神の子どもとして取り戻すことができたでしょうか? イエス様はこの地上に来られて、罪人を赦して、さまざまな病人をいやして、悪の絆を解いてくださり、平和と喜びと愛を与えられ、ただ良いわざだけをなさいました。それでも被造物である人の手によって十字架につけられて、血を注ぎ出して死なれ、救いの道を開いてくださったのです。神は愛であるので、ひとり子を惜しまず渡してくださったのであり、イエス様も父なる神のみこころに従って、愛をもって十字架を負われました。
したがって、土地を買い戻すにふさわしい権利を持っている者は、ただイエス・キリストおひとりであり、イエス・キリスト以外には、だれによっても救いはありません(使徒4:12)。私たちはこのような事実を明らかに悟り、神の子どもとされる特権を取り戻して、救いの確信を持って、何をしても栄える人生になり、いつも神の栄光を現さなければなりません。

 
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