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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第8課 木の十字架にかけられたイエス様  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2008-02-22


読むみことば: イザヤ53:4-6、ガラテヤ3:13-14
覚えるみことば: イザヤ53:5

教育目標

イエス様が木の十字架にかけられた理由と十字架の苦しみを考えながら、神の愛と救いの摂理を悟って神の子どもとされた祝福を思いきり味わうようにする。


1. イエス様はなぜ木の十字架にかけられなければならなかったのか?

[ヨハネ19:17-18]に「彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、『どくろの地』という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスといっしょに、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真中にしてであった。」とあります。それでは、神の御子としてこの地上に来られたイエス様が、なぜ木の十字架にかけられて死なれたのでしょうか?

第一に、私たちを律法ののろいから贖い出すためです。
[ガラテヤ3:13]には「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである。』と書いてあるからです。」とあります。罪から来る報酬は死ですから(ローマ6:23)、すべての人は罪人になり、律法の呪いを受けて死の道を歩むしかなかったのです。最初の人アダムが善悪の知識の木の実を取って食べる不従順の罪を犯して以来、アダムの子孫は両親の気を通して罪の性質を受け継ぎ、生まれた時から罪を持つようになり(これを原罪と言う)、この地上で生きながら自分でも罪を犯したからです。
したがって、罪が全くないイエス様は、すべての人を死の呪いから救うため、代わりに木の十字架にかけられて死なれました。そして、結局、私たちを律法ののろいから贖い出して、神の子どもとされる特権を得る道を開いてくださいました(ローマ5:12-13)。

第二に、アブラハムへの祝福が異邦人に及ぶためです。
[ガラテヤ3:14]には「このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」とあります。
ここで「アブラハムへの祝福」とは、はたして何でしょうか? アブラハムは信仰の父として、信仰によって義と認められて救われただけでなく、この地上で味わえるすべての祝福を受けて味わいました。アブラハムがこのような祝福が受けられた理由は何でしょうか? [創世記22:16-18]に「あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」と書かれています。
アブラハムは、神が「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」(創世記12:1)と命じられたとき、信仰によって聞き従いました。また、神が「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」(創世記22:2)と仰せられた時も、どんな理由も弁解もなくそのとおりに聞き従いました。このように、アブラハムは神には人を死者の中からよみがえらせることもできると考えたので(ヘブル11:19)、神の大きい愛と祝福を受け、祝福の基になることができました。
それでは、アブラハムが神から受けた祝福とは具体的に何でしょうか? 信仰の父という魂の祝福だけでなく、子ども、健康、長寿、物質の祝福など、この地上で必要なすべての祝福を受けて味わいました。アブラハムが信仰によって神に認められて、祝福されたように、愛の神は同じ祝福をイスラエル民族だけでなく、イエス・キリストを受け入れて、信仰によって義と認められた異邦人にまで及ぼされました。

第三に、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためです。
イエス様が木の十字架にかけられて死なれたことによって、すべての人類に救いの道を開いてくださいました。それで、誰でもこの方を救い主として受け入れ、その御名を信じる者は、神の子どもとされる特権を得るようになり、賜物として聖霊を受けました(ヨハネ1:12,ローマ8:16)。
神は十字架のことばを信じるすべての人に、子としてくださる御霊を下さって、「アバ、父。」と呼ぶようにされ(ローマ8:15)、真理である神のみことばを悟って、そのみことばを守り行なうほど、上からイエス・キリストを悟らせて信仰を下さり、永遠のいのちへと導かれます。
ですから、私たちは何の罪もなく木の十字架にかけられたイエス様の大きい愛と、神の驚くべき摂理を悟り、いつも十字架を仰ぎながら勝利の人生を送らなければなりません。


2. イエス様が十字架につけられてあわれた苦しみ

[創世記3:14]を見れば、神に呪われた蛇は一生ちりを食べて生きるようになりました。ここで「ちり」の霊的な意味は、ちりで形造られた「人」です。したがって、蛇、すなわちサタンは、人の思いをつかさどって悪を行なわせ、結局、死に至るようにするのです。イエス様もサタンに操られたユダヤ人たちによって、十字架刑にあわれました。
イエス様の時代には、人を剣で殺したり、ライオンの穴に投げ込んだり、十字架につけたり、人を死体と一緒に縛って埋めるなど、いろいろ残酷な処刑法がありました。その中で十字架刑が最も苛酷な処刑法でした。
イエス様が十字架刑にあわれることが、まさに罪人になったすべての人々を律法ののろいから贖い出して、アブラハムへの祝福を受け、信仰によって約束の御霊が受けられる唯一の道だったので、神はイエス様が十字架刑にあうことを許されたのです。
それでは、十字架につけられたイエス様は具体的にどのような苦しみを受けられたのでしょうか?

1) 両手と両足に釘を打ち込まれる苦しみ
十字架刑とは、大きい木の十字架を作り、人を縛っておいて両手と両足に太い釘を打ち込み、数時間つけて死ぬようにする方法です。いっそのことすぐ息が絶えれば長く苦しまずにすむのに、急所を刺すのではないので、長い間ひどく苦しみます。その上、体重でからだが下に下がるので、両手と両足にその苦しみがさらに加えられるのですから、十字架の苦しみは何とも言えないほどむごいのです。神の御子として何の罪もないイエス様がこのような十字架の苦しみを受けられた理由は、ただ永遠に死ぬしかなかった人類の罪を贖ってくださるためです。

2) 熱い日ざしに数時間つけられていなければならない苦しみ
頭にはいばらの冠をかぶり、全身はむち打たれて血だらけになって十字架につけられたイエス様は、熱い砂漠地帯の日ざしを浴びながら、数時間苦しまれました。疲れと渇きと飢えの中で数時間つけられて、水と血を注ぎ出されたのですから、その苦しみはどれほど大きかったでしょうか。

3) あらゆるあざけりと言葉にならない苦しみ
[マタイ27:29-30]に「それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。『ユダヤ人の王さま。ばんざい。』また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。」とあります。神のひとり子イエス様が、被造物である人によってあらゆる迫害とあざけりを受けられたのです。
イエス様は十字架につけられた後も、あらゆる迫害とあざけりを受けられました。それだけでなく、毒虫の群れまで血のにおいをかいでやって来て、傷と釘を打たれたところをなめるなど、人としては耐えられない苦しみを受けられました。
[イザヤ53:6]には「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」とあります。何の傷もしみもない王の王、主の主であられるイエス様は、私たちの罪を贖うために、呪われた人だけがかけられる木の十字架にかけられて、死なれたのです。
したがって、「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:5)とあるとおり、イエス様が十字架につけられて苦しみを受けられた理由を明らかに悟って、よりいっそう神の愛と恵みに感謝しなければなりません。
それだけでなく、誰でもイエス・キリストを受け入れてその御名を信じれば、神の子どもとされる特権と祝福を受けて、信仰の父アブラハムが受けたすべての祝福が味わえるということを悟り、さらに全き信仰を所有するために努力しなければなりません。

 
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