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メッセージ >
聖書の学び
Title
第9課 十字架につけられて、水と血をすべて注ぎ出されたイエス様
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2008-02-29
読むみことば: ヨハネ19:32-36
覚えるみことば: ピリピ2:5-6
教育目標
木の十字架にかけられたイエス様がすねを折られなかった理由と、槍でわき腹を突き刺され、血と水をすべて注ぎ出された理由を調べながら、復活と永遠のいのちを信じるようにする。
1. すねを折られなかったイエス様
[ヨハネ19:31-33]に、イエス様が十字架につけられて死なれると、ユダヤ人たちは安息日に死体を十字架の上に残しておかないために、ピラトに彼らのすねを折って死体を取りのける処置を願った、と書いてあります。それで、兵士たちがイエス様と一緒に十字架につけられた他のふたりのすねを折りましたが、イエス様のところに来ると、すでに死んでおられるのを認めたので、そのすねを折りませんでした。
それでは、イエス様のすねを折らなかった理由は何でしょうか?
[民数記9:12]には、イエス様を小羊にたとえて「その骨を一本でも折ってはならない。」とあり、[詩篇34:20]には「彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない。」とあるように、聖書に預言されたみことばがそのまま成就されたことが見られます。
また、[出エジプト12:46]にも、小羊の肉は食べても、「骨を折ってはならない。」とあります。小羊はよく言うことを聞いて、まだ交尾していない羊なので、最も良い肉を提供し、相手を傷つけたり、対抗したりもしません。また、清潔で美しくて優しいので、人から愛されるだけでなく、完全に自分を犠牲にして、皮と肉と毛まで提供する有益な動物です。したがって、「小羊」とは、何の傷もしみもないイエス様を指し、神の子どもたちは傷としみが多いので、「小羊」と言わないで、神の「羊」と言います。
イエス様は原罪と自分で犯した罪がない方であり、何の罪もなく私たちのために呪われて、木の十字架にかけられて死なれた方です。敵である悪魔・サタンによって木の十字架にかけられたけれど、何の罪もなかったので、そのからだの骨まで折ることができなかったし、また、折れないように神が守ってくださいました。これは旧約で預言されていたみことばが成就するためです。
2. 槍でわき腹を突き刺されたイエス様
主イエス様は、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われて、私たちに救いの道を開いてくださいました(ピリピ2:6-8)。
また、この地上に来て捕われ人に自由を下さり、貧しい人を富ませ、病人やわずらいのある者をいやしてくださいました。それだけでなく、ひとりでも多くの魂を救おうと、一日中働いて、弟子たちが休んでいる時も、山に登って祈られました。
このようにイエス様はただ善を行なわれましたが、ユダヤ人たちからあらゆる迫害を受け、さげすまれ、軽んじられて、ついに十字架につけられて死なれました。[ヨハネ19:33-34]を見れば、イエス様がすでに死んでいることがわかっていても、ローマ兵士は槍でわき腹を突き刺したのですから、人はどれほど残忍で悪いのでしょうか。それでも、神は救い主イエス様をこの地上に送って、すべての人々の罪を贖うようにされたのですから、まことに大きい愛です。
3. 血と水をすべて注ぎ出されたイエス様
イエス様は槍でわき腹を突き刺されて、水と血を注ぎ出されましたが、この霊的な意味は、はたして何でしょうか?
第一に、イエス様が人として来られたという証拠になります。
イスラエルの土地の買い戻しの法則に「もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。」(レビ25:25)とあるように、私たち人の罪を贖う救い主は、人の親類でなければなりません。
それで、イエス様が木の十字架にかけられ、ローマ兵士が槍でわき腹を突き刺したら水と血が注ぎ出されたということは、人として来られたという証拠になります。ある人は、神の御子イエス様がどうして空腹や苦しみが感じられたのだろうかと不思議に思います。しかし、人としてこの地上に来られたので、空腹を覚えたり(ルカ4:2)、時によって眠ったりもされました(マタイ8:24)。
第二に、私たちも神のご性質にあずかることができるという証拠になります。
神は、ご自身の子どもたちがイエス・キリストの心構えでいて、神のご性質にあずかる者となることを願われます。それで、[第二ペテロ1:4]に「その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。」とあり、[ピリピ2:5]には「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」とあるのです。
イエス様は人となってこの地上に来られて、神のみこころを行なって、死にまで従われました。私たちと同じような人でしたが、十字架のすべての苦しみを忍ばれ、神のみこころを成し遂げるためにご自分を犠牲にされたのです。このように、私たちもイエス・キリストの心を持てば、神のご性質にあずかることができます。
第三に、まことのいのちと永遠のいのちへ導く力のある水と血だという証拠になります。
イエス様は原罪も自分で犯した罪もない方ですから、槍でわき腹を突き刺されて注ぎ出された水と血は、傷としみのない尊い血と水です。霊的に見るとよみがえることのできる血と水であり、私たちのような人の姿となられたけれど、人とは全く違う、力ある血と水です。
このように傷もしみもないイエス様が聖なる血を注ぎ出してくださったので、私たちの罪が洗いきよめられて 救いに至るまことのいのちを得て、よみがえって永遠のいのちに至ることができます。また、イエス様が流された水は永遠のいのちの水であり、これは神のみことばを意味します。それで、私たちがみことばを聞いて行なうほど、神のまことの子どもに変えられます。
したがって、槍でわき腹を突き刺されて、水と血を注ぎ出されたことは、罪のないイエス様が血を注ぎ出されたことによって私たちの罪が赦され、また、みことばどおり行なえる力を受け、まことのいのちを得るようになったことを証ししてくれるのです。
その水と血のゆえに、主と一緒に十字架につけられたふたりの強盗のうち、ひとりは死ぬ直前に心の戸を開いて主を受け入れ、救われました。しかし、いくら善なる生き方をしたとしても、イエス・キリストを受け入れない人は決して救いに至ることができません(ローマ10:10)。
皆さんすべてが信仰によって熱心に祈って行なう人になり、すみやかに神のご性質にあずかりますように。それで、罪と悪の中にいた私たちを永遠のいのちへ導かれる神の驚くべき愛を悟り、さらに力ある人生を送りますよう、主の御名によって祝福して祈ります。
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