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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第5課「私の心もあなたといっしょに行っていたではないか」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2014-02-14


読むみことば: 第二列王5:23_27
覚えるみことば: マタイ10:26
参考にするみことば:創世記18:9_15、ヨハネ1:47
教育目標:すべてを探ってご存じの神の御前に偽りなく正直に行って、すべてのことに答えられる聖徒になるようにする。


神の御前に罪を犯さないで、正しく生きる人であるほど、世の罪と悪を見れば心の底から悲しむようになります。聖なる神は愛する子どもたちが罪と戦って血を流すまで捨て、悪はどんな悪でも避けて責められることがないことを願っておられます。ところが、神を信じると言いながらも心はそうでなく、自分の罪と悪が悟れない人々がいます。まさにエリシャのしもべゲハジがそうでした。



1.神の人エリシャを訪ねて来た将軍ナアマン

イスラエルの隣の国アラムの将軍ナアマンには富と名誉、権威がありましたが、大きな悩みがありました。それはツァラアトに冒されていたことです。ある日、彼はイスラエルから捕らえて来た若い娘から、預言者エリシャのところに行けばツァラアトがいやされるということを聞きます。エリシャはエリヤの弟子であって、師に最後までつき従って、エリヤの霊の二つの分け前を得た神のしもべです。
良い心を持っていたナアマンは、捕われてきた娘の言葉だとしても無視しませんでした。ナアマンはアラム王の許しをもらって、銀十タラントと、金六千シェケルと、晴れ着十着とを持って、イスラエルへ出かけました。
いよいよナアマンはエリシャの家の前に着きました。ところが、使いが出てくると、エリシャの言葉だと言いながら「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗ったら、からだが元どおりになってきよくなる。」と言うのでした。
ナアマンはあきれてしまいました。遠いところから心を込めてささげ物を用意して来たのに、出てくることもせず、使いをやって言葉だけ伝えるので、自尊心が非常に傷ついたのです。しかも、大したこともないように見えるヨルダン川へ行って、からだを洗いなさいと言うのですから、唖然としました。アラムにはヨルダン川にまさる川が多かったからです。
ここまで考えると、ナアマンはあまりにも悔しくなったのです。一杯にふくらんでいた期待が一時にしぼんでしまいました。惨めな心で国へ帰ろうとする彼に、しもべたちが言います。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」そこで、ナアマンは思い直して聞き従ったのです。しもべたちの言葉にも耳を傾ける姿から、彼の謙遜さと善がうかがい知れます。
ナアマンはヨルダン川に身を浸しました。一たび、二たび、三たび・・・・・・七たび身を浸すと、驚くべきことが起きました。幼子のからだのようにきよくなったのです。ここでヨルダン川とは、霊的に救いを、水は神のことばを意味します。つまり、みことばで洗い清めて、完全に真理の中を歩めば、どんな病気でもいやされるという意味が含まれているのです。また、七は完全数なので、七たび洗うとは、完全に洗うことを意味します。
病気がいやされたナアマンはエリシャのところに行って、用意して来た贈り物で感謝の気持ちを伝えようとします。しかし、エリシャは最後まで受け取りません。繰り返し感謝の挨拶をしたナアマンは、これから神だけを拝むと告白してから自分の国へ向かいました。


2.エリシャを欺いてツァラアトに冒された若い者ゲハジ

エリシャの若い者ゲハジはナアマンが持ってきた贈り物があまりにもほしかったのです。それで、後を追って行き、エリシャが銀一タラントと、晴れ着二着をやってくださいと言ったと嘘をつきます。それで、ナアマンが銀二タラントと晴れ着二着を渡すと、自分の家の中に隠しておきました。すべてを知っているエリシャはゲハジに「ゲハジ。あなたはどこへ行って来たのか。」と聞きます。すると、彼は「しもべはどこへも行きませんでした。」ととぼけます。
エリシャはゲハジに「あの人があなたを迎えに戦車から降りて来たとき、私の心もあなたといっしょに行っていたではないか。今は銀を受け、着物を受け、オリーブ畑やぶどう畑、羊や牛、男女の奴隷を受ける時だろうか。ナアマンのツァラアトは、いつまでもあなたとあなたの子孫とにまといつく。」と恐ろしいことを言います。
神のしもべエリシャはゲハジが罪を犯したことをすでに知っていました。それで、神との罪の隔ての壁を壊して悔い改められるように「あなたはどこへ行って来たのか。」と聞いたのです。ところが、ゲハジはどこへも行かなかったと、また嘘をついたのです。
このように悔い改めないで罪を犯し続ければ、神の呪いが臨むしかありません。結局ゲハジはツァラアトに冒されて、悲惨な身の上になってしまったのです。ゲハジは誰も自分の行動を知らないだろうと思いましたが、神は全部ご存じでした。神がエリシャの心をいっしょに行かせて知るようにしてくださったので、ゲハジが行ったことを明らかに知っていたのです。


3. すべてをご覧になってご存じの神

創世記4章には、カインが人のいないところで弟アベルに襲いかかり、彼を殺したことが記されています。この時も神は全部知っておられました。それで、カインに「あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。」と言われたのです。
創世記18章には、神の御使いがアブラハムに男の子ができると約束する場面があります。アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていました。ところが、その歳で男の子ができると言われるので、うしろの天幕の入口で聞いていたサラが心の中で笑いましたが、神はすべてご覧になっておられたのです。
神とお一つであるイエス様も、誰がどこでどんなことを言って考えたのかも全部ご存じで、すべてのことがどうなって行くかも全部ご存じでした。[ヨハネ1:47]で、ピリポについてご自分のほうに来たナタナエルに向かって、イエス様が「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」とほめられます。ナタナエルが「どうして私をご存じなのですか。」と聞いたら、イエスは「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」と言われます。イエス様が彼をじかにご覧になったのでもないのに、全部ご存じだったのです。
また、神の御霊が臨めば、預言者であっても、人としては知ることができないことを知ることができました。エリシャはすわっていても、アラム王がその家来たちとどんな作戦を立てるのかも見通しました。それで王に知らせて、アラムに対してよく警戒するようにさせたのです。そこで、アラム王は自分の家来たちの中にスパイがいて、イスラエル王に知らせていると思うほどでした(第二列王6:8_12)。
ペテロも同じです。アナニヤとサッピラ夫婦が持ち物を売って神にささげることにしましたが、いざお金を持つと惜しくなって、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て使徒たちの足もとに置きました。彼らは誰も知らないようにしたことでしたが、ペテロは知っていました。そこで、神を欺こうとしたアナニヤを厳しく責めると、その場で死んでしまいました。サッピラもペテロを欺いたので、死んでしまったのです。
いくらひそかに行ったとしても、神の御前では隠すことができません。この夫婦について聖書に記しておかれたのも、聖霊を欺いて、神のしもべを欺けば、それほど災いが及ぶということを知らせるためなのです。


4.直ぐな心で従ってこそ答えられる

神は子どもたちがはたして教えられたとおり、十分の一献金と感謝献金を正しくささげているのか、信仰によって行っているのか、祈って聞き従っているのかなど、すべてをご覧になっておられます。人が見て十分の一献金と感謝献金を正しくささげて祈りもよくしているので、信仰が大きいようでも、神は心をご覧になるので、欺くことができません。親兄弟や他人の間でも、互いに欺くことがあってはならないのです。
神を欺くことには、嘘を言うことだけでなく、誇張してつけ加えることと盗みも含まれます。また、十分の一献金、感謝献金などを心に定めてしないこと、祈るふりをすること、心から行わないこと、祈りなさいと聖霊が働きかけられているのに聞き従わないこと、断食して途中でやめてしまうこと、その他にも多くがあります。
私たちが神を欺いたり罪を犯したりすれば、神が恐ろしく感じられます。このような心があるから真っ直ぐな道を歩むことができて、完全な姿になれるのです。訓練を受ける時は恐ろしくて大変なようですが、尊い訓練の時期があるので、結局答えをいただける成功の道へと向かうのです。
まるで子どもが誤った道に行くとき、親が責めたり正しい道に導いたりするのが愛であるように、訓練も私たちに向けられた神の愛です。すべてが考え方一つです。ですから、すべてのことに直ぐな道を歩みますが、決して神を欺くことがあってはなりません。


* まとめと適用

1.アナニヤとサッピラは自分の持ち物を売って神にささげようとしたのに、なぜ息が絶えて死ぬようになったでしょうか?

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2.ゲハジが自分に嘘を言っていると知っていながらも、なぜ神の人エリシャは「あなたはどこへ行って来たのか。」と聞いたのでしょうか?

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3.当時、不治の病と言われていたツァラアトですが、異邦人である将軍ナアマンがどのようにいやされることができたのでしょうか?

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* 今週の課題

皆さんは周りの誰かと平和が壊れて、苦しんだことはないでしょうか? どうすればその問題を解決することができるでしょうか? 次回までに関連聖句を探してきましょう。


* 「人物」を知って力にしましょう!

「アナニヤとサッピラ」
この夫婦は初代教会の信者であって、神のしもべと聖霊を欺く者たちの最期がどうなのかを厳かに示している。初代教会の聖徒たちは自分の持ち物を売って、自発的に教会にささげた。アナニヤとサッピラも自分の持ち物を売って教会にささげると言ったのに、サタンに心を奪われて、地所の代金の一部を自分のために残しておいて、まるで全額のように神のしもべペテロを欺く。それでペテロが責めると、倒れて息が絶えた。

 
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