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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第14課 十架上の七言(1)  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2008-04-04


読むみことば: ルカ23:34-43
覚えるみことば: ルカ23:43

教育目標

イエス様が十字架につけられて死なれる時に最後に言われたことば、すなわち、十架上の七言の中で第一言、第二言の霊的な意味を調べて、信仰生活に適用する。

私たちの救い主であるイエス様は、十字架につけられて死なれる時に、最後に七つの大切なことばを残されました。このような十架上の七言の中で、きょうは第一言と第二言について調べます。


第一言:「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

イエス様は神の御子としてこの地上に来られた、全人類の救い主であられます。何の罪もない清い方でしたが、全人類の罪を贖って、救いの道を開いてくださるために、ご自分から進んで木の十字架にかけられました。
この時、数多くの民衆は指導者たちとともに「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」と言いながらあざ笑い、兵士たちも酸いぶどう酒を差し出しながら「ユダヤ人の王なら、自分を救え。」とあざけりました。
イエス様は彼らのために神に赦しを求めて、愛の祈りをされました。これが十架上の七言の第一のことばで「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)という祈りです。
ここで「彼ら」とは、イエス様を迫害して十字架につけてあざける者たちだけでなく、イエス様を救い主として受け入れないで闇の中にいる全人類を言います。彼らはイエス様がどなたか知らなかったので、十字架につけるという大変な罪を犯したので、彼らの代わりに「お赦しください」と愛で切に祈られたのです。
今日も、神の子どもたちがイエス・キリストの御名によって苦しみを受ける時がたびたびあります。伝道すれば、信じるどころかあざけって迫害したり、神のみことばを守り行ないながら熱心に信仰生活をしている聖徒たちをあざ笑って、愚かだと言ったりします。
それでは、闇の中にいる人々のために、私たちはどうすべきでしょうか? それは、十架上の七言の第一言で言われたとおり、イエス・キリストを救い主として受け入れないで迫害する人とはいえ、神の愛によって赦し、祈ってあげることによって、救われるように助けなければなりません。
[マタイ5:44]に「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」とあり、[使徒7:54]以下に出てくるステパノ執事も、石で打ち殺されながらも、「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」と切に祈ったことが見られます。このように、私たちも義のために迫害されればむしろ喜び、喜びおどって、彼らのために愛で祈らなければならないのです。


第二言:「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

イエス様がゴルゴタの丘に高く立てられた十字架につけられているとき、左右に二人の犯罪人が一緒に十字架刑を受けていました。
[ルカ23:39-43]では犯罪人のひとりがイエス様に「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と悪口を言いました。するともうひとりのほうは「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。」とたしなめて、「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と言ってイエスを救い主として受け入れます。
するとイエス様が「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われました(ルカ23:43)。これがまさに十架上の七言の第二のことばです。イエス様は、誰でも悔い改めるなら罪を赦して、救われるようにできるメシヤになられるということを告げられたのです。
このような場面が記された四福音書を調べれば、若干の違いが発見されます。[マタイ27:44]には「イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった」とあり、[マルコ15:32]には「『キリスト、イスラエルの王さま。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。』また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。」とあります。すなわち、両方の強盗がイエス様をののしったように記されているのです。
それなら、聖書が間違って記されているのでしょうか? すべての聖書は神の霊感によるもので(第二テモテ3:16)、一点一画も違うことのないみことばです(マタイ5:18)。これは、聖書の記者たちが間違って記したのではなく、当時の状況が理解できるように、神の摂理のうちに許されたことです。
神が教えてくださったその当時の状況を少し調べてみます。ゴルゴタの丘には大きい十字架が高く立てられていましたが、中央にはイエス様がつけられていて、左右に二人の犯罪人がともにつけられていました。イエス様がつけられた十字架の周りには、多くの人々が取り巻いてあざけり、ローマの兵士たちは興奮した群衆が十字架の近くに押しつけられないように警戒し、道を行く人々はイエスをののしっていました(マタイ27:38-42)。
このように数多くの群衆でごったがえしているとき、群衆の間に挟まれていた弟子のひとりが見ると、ひとりの強盗が何かののしっているように見えました。実はイエス様に向かってののしったのではなく、反対側の強盗をたしなめたのでしたが(ルカ23:39-40)、からだが十字架につけられていて顔だけ横を向いて話をしているので、十字架の下の群衆の間に挟まれた弟子は、イエス様をののしったと思って「イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。」(マタイ27:44)と記したのです。
これによって私たちは数多くの群衆が十字架の下に集まっていて、また、十字架が高くて遠くにあり、対話の内容がよく聞こえなかったということがわかります。神はこれが正確にわかるように違って書かれるように許されたのです。
また、私たちは第二言で、救われた魂は天国に行き、ひとりの強盗はそのうちパラダイスに行くようになったことがわかります。神の子どもが永遠に住む天国は、無限に広くて大きい世界です。この地上でも都市と田舎があり、首都と地方があるように、天国も最も端のパラダイスのほかに、[黙示録21:2]に記されている新しいエルサレムなど、それぞれ違う場所があります。そのうち聖なる都、新しいエルサレムは、神の御座がある最も栄華を極めたところで、神に似せられた聖なる完全な人々が住む天国です。
それでは、悔い改めたひとりの強盗は、なぜパラダイスに入るのでしょうか? 彼はイエス様を救い主として受け入れましたが、この地上で生きている間に、主のために行なったことがないからです。すなわち、罪と血を流すまで戦って捨てたのでもなく、使命を与えられて果たしたのでもなく、誰かを伝道したのでもありません。ただ主を受け入れて救われたので、何の報いもないパラダイスに入るようになったのです。
それなら、イエス様が「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」 と言われたおことばの霊的な意味は何でしょうか? イエス様は「王の王、主の主 」であられるので、パラダイスだけでなくどこでもおられて、全世界のあちこちを見通しておられ、いつも私たちとともにおられます。したがって、「わたしとともにパラダイスにいます。」と言われたのです。しかし、イエス様は神の御座の右におられて、天国全体を治めておられますから、パラダイスだけにおられるのではありません。
それでは、十字架につけられて死なれたイエス様は、どこに行かれたのでしょうか? [マタイ12:40]に「ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」とあり、[エペソ人への手紙4:9]に「この『上られた。』ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。」とあります。イエス様は正しく愛が多い方なので、福音が聞けなった人々がいるよみに行って、捕われの霊たちに三日間福音を宣べられたのです(第一ペテロ3:19)。そうして旧約時代にメシヤを待ちながら、正しい良心に従って生きた人たちも、イエス・キリストによって救われるようになりました。

愛する聖徒の皆さん、これからはイエス・キリストを信じて救われ、パラダイスに行ける資格を持つことで満足するのではなく、戒めを守って行なうことはもちろん、イエス様にならって与えられた使命を忠実に果たして、多くの魂を救い、新しいエルサレムに入れる資格を持たれますように。

 
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