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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第16課 十架上の七言(3)  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2008-04-18


読むみことば: ヨハネ19:30、ルカ23:46
覚えるみことば: ヨハネ19:30

教育目標

イエス様が十字架につけられて、血を注ぎ出しながら最後に十字架上で言われた第六言、第七言の霊的な意味を悟り、神が望まれる信仰生活ができるようにする。


1. 第六言 「完了した。」

[ヨハネ19:30]に「イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、『完了した。』と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。」とあります。これは十字架上の七言のうち、第六言です。それでは、この意味は何であり、なぜそのように言われたのでしょうか?
イエス様は全人類の罪を贖うために、ことばが人となって、神の御子としてこの地上に来られた方です(ヨハネ1:14)。それで、ただ律法に従って神のみことばどおり行ない、生ける神を証しするために、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直されました(マタイ9:35)。
また、世界の始まる前から隠されていた神の摂理を成し遂げるために、木の十字架を負って、言葉にならない苦しみを受けられました。これは、死の道に向かうしかないすべての人類に、救いの道を開いてくださるためでした。
このように、イエス様が十字架につけられて、血を注ぎ出されることによって、すべての人類に信仰によって罪が赦される道が開かれたので、神の備えられた人間の救いの摂理をすべて成し遂げて、イエス様は十字架の上で「完了した。」と告白することがおできになったのです。それでは、「完了した。」と言われたイエス様の告白が、神の子どもとされた私たちとどんな関係があるのでしょうか?
イエス様が神のみこころと摂理を追い求め、死にまで従って救いの摂理をすべて成し遂げられたように、神の子どもとされた私たちも、神のみこころを追い求め、神のみことばどおりに生きて、死に至るまで忠実な人になるべきだということです。もし、私たちが神のみこころに従って真理のみことばどおり生きたとしても、途中で世に向かったなら、結局救われないのですから、何の意味があるでしょうか。
したがって、神の子どもたちは十架上の第六言の霊的な意味を心に刻んで、イエス様のように愛で律法を全うして「完了した。」と告白できるために、ただ神を仰いで、信仰によって世に勝ち、与えられた使命を果たすために死に至るまで忠実でなければなりません。


2. 第七言「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」

イエス様が十字架で息を引き取る直前に言われた第七言は「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」です(ルカ23:44-46)。それでは、救い主としてこの地上に来られたイエス様が、その霊を父なる神にゆだねられた理由は何でしょうか?
人には霊、たましい、からだがあって(第一テサロニケ5:23)、死ねば霊とたましいはからだを離れて、神のふところかよみに行くようになり、からだは葬られます。神を信じる人のたましいは霊と結びついて神のふところに行きますが、そうでない人の霊とたましいはよみに下るようになります(使徒7:59、ルカ16:19-31)。人となったイエス様も、ご自分の霊を父なる神にゆだねられたのです。
「霊」は万物の霊長と呼ばれる人の主人であり、真理で武装された神の心です。最初の人アダムが造られた時は、鼻にいのちの息が吹き込まれて、神と交わることのできる霊を持っていました。ところが、アダムの不従順によって神との交わりも途絶えてしまい、霊が活動できなくなってしまいました。しかし、私たちがイエス・キリストを受け入れて、真理の中に入ってくるようになれば、賜物として聖霊を受けて、活動をやめていた霊が生き返るようになり、真理のみことばどおり行なうほど霊が育って、真理の人になります。
それでは、「たましい」とは何でしょうか? 生まれたばかりの子どもはまるで白紙のようなものです。だんだん成長しながら環境と条件を通して見て、聞いて、学んで感じることが、脳細胞の記憶装置に知識として積まれます。このようなものによって人は思ったり考えたりします。このような記憶装置と知識、思いなどをすべて含んだものが「たましい」です。
また、「からだ」とは、霊とたましいがとどまる幕屋であって、私たちの目に見える血肉のからだのことを言います。イエス様も人となってこの地上に来られたので、人のように霊とたましい、からだを持っておられました。
このように霊とたましいは厳格に区分されますが、神は霊とたましいを一緒に受けられます。もし神が霊だけを受けて、たましいを受けられないならば、天国に行ったとき、真理を知っているだけで、この地上での涙、悲しみ、苦しみを知らないので、天国のまことの幸せを感じることができなくて、心から感謝できないからです。
イエス様がご自分の霊を神にゆだねたもう一つの理由は、すべての人々の生死禍福をつかさどられる方は、イエス様でなく、父なる神であるという事実を知らせるためです。つまり、すべてのものが神の所有であり、神の主権でなされるので、私たちがイエス・キリストの御名によって祈るとしても、答えてくださる方は神です。それで、イエス様は父なる神に「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」と祈られたのです。


3. 「十字架のことば」の結論、「この奧義は偉大です。」

数時間にかけて「十字架のことば」を学びました。神がなぜ人を創造されたか、人がどのように滅びの道に向かうようになったのか、また、神が罪人になった人類を救うためにひとり子を備えられ、十字架の苦しみを通して信仰によって救われるようにされた摂理を悟りました。
それでは、私たちがまことの信仰を持って、全き救いと永遠のいのちに至るためには、はたしてどうすべきでしょうか? [エペソ5:31-32]に「『それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。』この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。」とあります。人が成人になると、父と母を離れて、男と女が一心同体となるのは誰でも知っている事実なのに、なぜ神はこの奥義が偉大だと言われたのでしょうか? ここで「教会」とは、聖霊を受けた神の子どもたちを意味します。それでは、この奥義とははたして何かを調べてみましょう。

第一に、イエス・キリストと私たちは一心同体です。
[ヨハネ8:44]に「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって」とあるように、私たちがイエス・キリストを受け入れる前は、世に属する者として闇に支配されていました。しかし、イエス・キリストを受け入れて光の中に出て来ると、闇の支配者である敵である悪魔・サタンから離れて、神の子どもになり、イエス・キリストを霊的な花婿として迎える花嫁になります。花婿と花嫁が父と母を離れて、互いに結ばれて一心同体になるように、私たちが世を離れて、花婿なるイエス・キリストと結ばれて一心同体になるというのですから、どれほど偉大な奥義でしょうか。

第二に、イエス・キリストと一心同体になって神の子どもとされます。
花婿と花嫁が結ばれて一心同体になると、精子と卵子が結びついて子どもを生みます。そのように、私たちも花婿なるイエス・キリストと信仰によって一心同体になれば、信仰の種によって神の子どもになるのです。一国の王の息子になるだけでも、大きい権威を受けて生きるのに、まして創造主の神、すなわち、全知全能でどこにでもおられる神の子どもとされれば、どれほど大い権威を受けて生きるでしょうか。つまり、私たちがイエス・キリストと一心同体になって、神の子どもとされる特権を得ることができるので、まことに偉大な奥義なのです。

第三に、神の子どもとして神から天国が相続できるようになります。
[ガラテヤ4:6-7]に「そして、あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父。』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。ですから、あなたがたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。」とあります。
私たちが信仰によってイエス・キリストと一心同体になって神の子どもとされれば、神は永遠のいのちと祝福が受けられる天国を相続させてくださり、神の子どもとされた祝福を思いきり受けられるようになさったのですから、どれほど驚くべき奥義でしょうか。しかし、神は正しい方であられるので、主が十字架につけられた時に悔い改めて救われたひとりの強盗が入ったパラダイス(ルカ23:43)、最も栄華を極める場所である新しいエルサレム(黙示録21-22)など、天国をいろいろな場所に分けて、この地上で行なったとおり報いてくださるのです。
今まで「十架上の七言」と「十字架のことば」を学んで、神の大きい愛を悟りました。ですから、まことの信仰を持って、神の子どもとして天国を相続し、その中でも最も美しい天国を所有する幸いな聖徒になりますように、主の御名によって祝福して祈ります。

 
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