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メッセージ >
聖書の学び
Title
第17課 水と御霊によって新しく生まれてこそ救われる
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2008-04-25
読むみことば: ヨハネ3:3-5、使徒2:38
覚えるみことば: ヨハネ3:5
教育目標
イエス様とニコデモの対話から、水と御霊によって新しく生まれることの霊的な意味を悟って、自分の信仰を点検し、まことの救いに至るようにする。
1. ニコデモとは誰か?
ニコデモはパリサイ人のひとりであり、社会的には最高の権力と富と名声を持ったユダヤ人の指導者でした。パリサイ人とは、モーセの律法を徹底的に守り、先祖から伝わってきた言い伝え(伝統)を大切に思って、それなりに神を正しく信じているというイスラエルの指導層です。彼らは神が世界の歴史と人類の生死禍福をつかさどられることと、後の世と復活、天使と終末論、メシヤが来られることを信じていました。
しかし、外側は聖なるふりをしていますが、内側は強奪と放縦でいっぱいで、まるで白く塗った墓のようなので、イエス様が非難されます(マタイ23:25-36)。いくら人が墓を美しく飾ろうと、それを白く塗るとしても、その中には腐った汚いものがいっぱいあるだけです。
イエス様はこのような偽善者たちを厳しく非難して、悔い改めなさいと言われました。しかし、ほとんどのパリサイ人ちはイエス様を排斥して、「ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。」と言って、殺そうとしました(マタイ12:24)。
ニコデモは彼らとは違って、正しい心でイエス様を尊敬して付き従い、当時イエス様の肩を持てない立場でしたが、イエス様のほうに立って論じました(ヨハネ7:51)。これはイエス様が行なうしるしを見て、神のもとから来られた方であることがわかったからです。ある日、彼が人の目を避けて、真夜中にイエス様を訪ねて来ました。彼は霊的に無知で、真理を明らかに悟れなかったのですが、心の戸をあけてイエス様がどなたかを知ろうとしました。この時、イエス様は新しく生まれることについて教えてくださり、結局、ニコデモはイエス様を救い主として受け入れて、イエス様が十字架につけられて死なれたとき、没薬とアロエを混ぜ合わせたものを持って来て、葬りました(ヨハネ19:39-42)。ニコデモはパリサイ人なのに、イエス・キリストを信じて救われました。
2. イエス様とニコデモの霊的な対話
[ヨハネ3:2]で、ニコデモは「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」と言います。彼はイエス様のなさるしるしを見て、神の力を受けた立派な先生だと理解しました。これはただ目に見えるしるしを見て、肉的にイエス様を知ったのであって、霊的に悟ったのではなかったのです。
イエス様はそのようなニコデモに、霊の次元で見ることができるように「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と教えてくださいます。霊的な意味が悟れなかったニコデモは、これを文字どおりに理解するだけでした。このように、私たちに知識が多いとか、裕福だからといって、神の国に入るのではありません。神のみことばをたくさん知っているとか、教会に長く通ったからといって、救われて天国に入るのでもありません。
ニコデモは「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」と質問します。イエス様は「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」と言われます。
人は、風が吹く音は聞けますが、その風を目で見ることはできませんし、風がどこから始まって、どこで終わるのかも知りません。このように、肉で見ることができない風のように、霊の世界のことも、肉の限界の中では理解できません。科学がいくら発達しても、世のすべてのことを全部把握できません。人が天国に入るためには、目に見える肉が生まれ変わるのでなく、見えない霊が生まれ変わらなければならないという意味です。
人類の先祖アダムは、いのちの息が吹き込まれて、神と交わる霊を持つ者として造られましたが、罪を犯して霊が活動できなくなりました。それで、神と交わることのできない肉の人になりました。「肉によって生まれた者は肉です。」というみことばのように、肉の人になったアダムの子孫も、霊の活動ができない状態で生まれました。すべての人類は霊が活動できなくて神と交われないので、天国に行けないで、地獄、すなわち、死の道に向かうようになりました。したがって、私たちが新しく生まれて天国に入ろうとするなら、活動できなくなっていた霊が生き返らなければなりません。それがまさに、水と御霊によって新しく生まれることです。
イエス様は、水と御霊によって新しく生まれてこそ救われると教えてくださいましたが、ニコデモは「新しく生まれる」というみことばの霊的な意味が悟れなくて、「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」と尋ねました。するとイエス様は「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」と言われます。全人類の罪を贖うために、イエス様が呪われた蛇のように木にかけられることと、イエス・キリストを信じる人がみな、永遠のいのちを持つようになることを教えてくださいます。
3.「水と御霊によって新しく生まれる」というみことばの霊的な意味
それでは、「水と御霊によって新しく生まれる」というみことばの霊的な意味は何でしょうか? 水は汚れを洗ってくれる浄化の働きをします。霊的に「永遠のいのちへの水」とは、真理である神のみことばを意味するので(ヨハネ4:14)、「水で新しく生まれる」とは、すなわち、神のみことばで新しく生まれるという意味です。
[ヨハネ2:1-11]を見ればよくわかります。イエス様はガリラヤのカナで婚礼があって招かれたとき、ぶどう酒がなくなったので、水でぶどう酒を作って多くの人々に飲ませられました。このしるしは、イエス様が人の婚礼を祝福されたという肉的な意味を表そうとしているのではありません。イエス様がこの地上に来られた目的と、神の摂理を明らかに知らせるための出来事です。
ここで「水が変わってぶどう酒になった」とは、ことばが人となってこの地上に来られたイエス様が(ヨハネ1:14)、十字架につけられて死なれ、血を注ぎ出されるという意味です。ぶどう酒を信じない世の人々に飲ませたのは、十字架につけられて死なれたイエス・キリストを信じる人がみな、永遠のいのちを持つという神の摂理を表わしたのです。[ヨハネの福音書2:11]に、水が変わってぶどう酒になったとき、「弟子たちはイエスを信じた。」と書かれているみことばは、イエス様が十字架で血を注ぎ出して死なれ、よみがえられた後に完全に信じたという意味です。
このように「水」は、真理である神のみことばと、ことばが人となってこの地上に来られたイエス・キリストを意味します。したがって、「水によって新しく生まれる」とは、イエス・キリストが救い主であることと十字架の摂理を信じて、すべての罪を悔い改めて神の子どもとされることを言います。
それでは、「御霊によって新しく生まれる」とは、どんな意味でしょうか? 私たちがみことばを聞いて悟り、心の戸をあけてイエス様を救い主として受け入れると、神は賜物として聖霊を下さいます。聖霊を受けたということは、悔い改めてイエス・キリストを受け入れたという証拠になります。このように聖霊を受ければ、活動できなくなっていた霊が生き返ります。したがって、天国のいのちの書にその名が記されて、神を「アバ、父。」と呼べるようになります。また、聖霊は私たちに罪について、義について、さばきについて知らせてくださり(ヨハネ16:8)、真理のみことばを守り行なって生きるように悟らせてくださいます。そうして聖霊の声を聞いて、昔の信仰の人々のように神と交わり、聖霊に満たされて、神の国と義を実現するようになさいます。
このように、聖霊はイエス・キリストを受け入れた人の心に住まわれて、罪を捨てて、毎日、御霊の人に変えられるように助けてくださいます。「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」(ヨハネ3:6)とあるように、御霊によって新しく生まれてこそ、永遠に死なないいのち、すなわち、永遠のいのちを持つことができます。
イエス様は御霊によって新しく生まれることを、風にたとえられました。風は確かに存在していても目に見えないように、聖霊が臨まれることも人の目には見えません。しかし、風が吹けば雲が動き、人を涼しくし、木の葉が揺れます。
人も聖霊を受けて新しく生まれると、心が新たにされて喜びに満たされ、人生の目標が変わるという驚くべき変化が起きます。御霊によって新しく生まれた人は、聖霊が臨まれたことが目では見えなくても、現れる証拠で御霊によって新しく生まれたことがわかります。
愛する聖徒の皆さん、[エペソ2:8]に「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」とあります。人が水と御霊によって新しく生まれて、永遠のいのちに至ることも、ただ父なる神が価なしに下さった愛の賜物です。私たちをこのように救いの道に導かれた神に感謝し、数多くの魂を天国に導いて、美しい栄光の都の主人公になられますように、主の御名によって祝福して祈ります。
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