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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第19課 聖霊降臨と初代教会  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2008-05-09


読むみことば: 使徒2:1-4、2:37-47
覚えるみことば: 使徒2:38

教育目標

聖霊降臨節(ペンテコステ)を記念して、聖霊がどのように下られて、教会がどのように形成されたのか、初代教会の信仰生活はどうだったかを悟り、聖霊に満たされた信仰生活をするようにする。


1. 聖霊降臨と聖霊のみわざ

[使徒1:4-5]で、イエス様がよみがえって四十日の間、ご自分が生きていることを証しして、使徒たちに「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」と命じられました。また、天に上げられる前には「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」と言われたことが記されています(使徒1:8)。
それで、百二十名ほどの弟子たちと聖徒たちはマルコの家の屋上の間に集まって、祈りに専念していました。そのうちに、五旬節の日、突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡りました。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまりました。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだしました(使徒2:1-4)。
これが聖霊降臨の始まりです。すなわち、預言者ヨエルの預言どおり成就したのです(ヨエル2:28-29)。それで、[使徒2:16以下]にペテロが「これは、預言者ヨエルによって語られた事です。『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。…しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』」と言ったと記されています。
このように聖霊を受けた人々は、さまざまな異言を語ることはもちろん、聖霊の働きによって預言もして、幻も見て、いろいろな賜物を受けて、神の国と義を求めるようになります。そうして、ペテロをはじめとした使徒たちは大胆に福音を伝えて神の力あるわざを行ない、聖徒たちはこのような使徒から教えられて、神のみこころに従って行なうようになったのです。
それで今日、イ―スタ―の後50日経った五旬節を聖霊降臨節(ペンテコステ)として守っているのです。神は今日も同じように、イエス・キリストを受け入れて罪が赦された人は誰でも聖霊を賜物として下さり、神のみこころのとおり生きられるように助けてくださるのです(使徒2:38)。したがって、神を信じる人は聖霊を受けなければならず(使徒19:2)、聖霊を受けると、上からみことばどおり生きられる力が臨んで、神の子どもとされた特権が与えられ、祝福が受けられるのです。


2. 教会の形成と初代教会

イエス様から直接に教えられた使徒たちが聖霊を受けて大胆に福音を伝え、不思議なわざとあかしの奇蹟を行なうと、イエス様が救われる人を毎日加えてくださいました。このようにして聖徒たちの集まりが生じましたが、これが教会の始まりであり、これを「初代教会」と言います。初代教会は、イエス様に召されてともに歩き回りながらイエス様のおことばを直接に聞いただけでなく、イエス様の死と復活、昇天を直接見た弟子たちが、聖霊を受けた後、聖霊の導きに従って治めたので、最も神のみこころにふさわしい教会と言えます。それでは、初代教会はどんな特徴を持っていたでしょうか?

第一に、毎日、心を一つにして宮に集まりました。
[使徒2:46]には、初代教会の聖徒たちは「毎日、心を一つにして宮に集まり」とあります。[ヘブル10:25]にも「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」とあるように、私たちは初代教会にならって、集まることにますます努めなければなりません。
神は、主日礼拝はもちろん、水曜礼拝、金曜徹夜礼拝、早天礼拝など、各種の礼拝と祈祷会に参加して、聖殿に集まることに努める子どもたちを愛されます。聖殿に集まれば、礼拝を通して神を拝むだけでなく、神のみことばを学んで、神のみこころを悟って祈ることによって世に勝てる信仰を持ち、神のみこころのとおり行なうようになるからです。

第二に、互いに交わって祈りに専念しました。
[使徒2:42]に「彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」とあります。祈りはたましいの呼吸であり、答えの鍵なので、[第一テサロニケ5:17]に「絶えず祈りなさい。」とあり、[マタイ7:7]に「求めなさい。そうすれば与えられます。」とあり、[第一ペテロ4:7]では「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」と警告なさっているのです。祈らなければ、世と罪と悪に勝つ力がないので、真理の中に完全にとどまれないからです。
生きておられる神と祈りで霊的な交わりをすれば、天から力を受けるので、敵である悪魔・サタンに勝って真理の中で生きられるだけでなく、信仰が成長して、天国に望みを置いていつも喜べるようになります。神のみこころのとおり行なう人になるので、病気が入り込まず、いつも健康に生きられます。
また、集まることに努めれば、自然に主にあって互いに交わりをするようになります。世の人々と交わりをすると、自分も知らない間に世を追うようになりますが、信仰の兄弟たちと交わりをすると、信仰の証しや体験で神に栄光をささげて、さらに信仰が固くなるのです。

第三に、互いに愛し合って、いつも喜びました。
[使徒2:44-47]には「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にし」、「資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配」しただけでなく、「家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美」したとあります。イエス様が、神である主を愛して隣人を自身のように愛することが律法全体と預言者とがかかっていると言われたとおり(マタイ22:37-40、マルコ12:30-31)、初代教会の聖徒たちは自分の資産を売って、貧しい人に分配し、自分の益を求めないで行ないと真実をもって愛したのです。
それだけでなく、初代教会の聖徒たちはいつも喜んで神を賛美したことが見られます。アダムの不従順以後、すべての人は滅びの道に向かうようになりましたが、イエス様の尊い血によって、誰でもイエス・キリストを受け入れる人は涙、苦しみ、悲しみ、病気、死のない天国で永遠のいのちと祝福を受けるようになりました。したがって、信仰のある聖徒たちはどんな状況でも、いつも喜んで神を賛美することができるのです。

第四に、伝道に努めました。
[使徒1:8]に「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」とあり、[ローマ10:13]には「『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。』のです。」とあるように、神のみこころはすべての人が救われることであり、このためにイエス・キリストが十字架を負われたのです。
初代教会はこのような神のみこころを実現するために、キリストの香りを放って伝道に努めました。それで[使徒2:47]に、聖徒たちは「すべての民に好意を持たれ」、「主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」とあるのです。私たちも神のみこころを実現するために愛を実践して、神のみことばどおり行なう人になって、キリストの香りを放たなければなりません。こうする時、世の光と塩の役割を果たして、人々に好意を持たれ、伝道の実を結ぶようになるのです。

第五に、不思議なわざとあかしの奇蹟がたくさん現れました。
[使徒2:43]に「使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。」とあります。人の心がかたくなになって、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じないので(ヨハネ4:48)、イエス様もしるしと不思議なわざを現して、神のみことばがまことであることを確かに信じるようにしてくださったのです。したがって、今日もイエス様が行なわれたしるしと不思議がたくさん現れなければなりません。神の生きておられることを直接に体験しないで、心の底から信じられる信仰を持つことはきわめて難しいことなので、神はしるしと不思議を通して直接に見て、聞いて、体験して、確かな信仰を持って救われるようになさいます。それで、[第一コリント4:20]に「神の国はことばにはなく、力にあるのです。」とあるのです。

愛する聖徒の皆さん、このように初代教会は心を一つにして宮に集まり、聖霊に満たされて互いに交わりをし、火のように祈って、ただ神のみことばどおり行なうだけでなく、不思議なわざとあかしの奇蹟がたくさん現れて、毎日救われる人々を仲間に加えて、神に大いに栄光を帰しました。したがって、すべての教会は初代教会を見ならって、ただ神のみこころのとおり行なって、数えきれない魂を救いの道に導くよう努めなければなりません。

 
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