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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第20課 人の子の肉を食べ、血を飲んでこそ永遠のいのちを持つ  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2008-05-16


読むみことば: ヨハネ6:52-58
覚えるみことば: ヨハネ1:1、1:14

教育目標

人の子の肉と血は何であり、どのように食べて飲むかを知って、永遠のいのちを持つ神のまことの子どもになるようにする。

イエス・キリストを信じて教会に通う究極的な目的は、救われて天国に行くことです。イエス様は私たちがどのように救われて永遠のいのちを持つことができるのかを[ヨハネ6:53-55]で語られています。すなわち、「人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。」とあります。人がこの地上で生命を維持するなら、食物を食べて水を飲まなければならないように、霊的にも、永遠のいのちを持つためには、人の子の肉を食べて人の子の血を飲まなければなりません。


1. 人の子の肉とは何であり、どのように食べるべきか

[ヨハネ1:1]に「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」とあります。初めからおられた神が、人となってこの地上に来られましたが、その方がまさにイエス様です(ヨハネ1:14)。イエス様は[ヨハネ6:48以下]で「わたしはいのちのパンです。…これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」と言われています。つまり、永遠に生けるまことの糧とは人の子、すなわち、イエス様の肉です。
したがって、「イエス様の肉」とは神のみことばを意味し、「人の子の肉を食べる」とは聖書66巻のみことばを糧とすることを意味します。聖書では、イエス様を小羊にたとえています。[ヨハネ1:29]に「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」とあり、[第一ペテロ1:19]には「傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」とあります。
[出エジプト12:9-10]には、子羊を食べる方法が書かれています。「それを、生のままで、または、水で煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは、火で焼かなければならない。」とあります。それでは、人の子の肉をどのように食べなければならないのか調べてみましょう。

第一に、生のままで食べてはなりません。
「生のままで食べる」とは、神のみことばを文字どおりに解釈することを意味します。神のみことばは御霊に感じて書かれたので、文字どおりに読めば、神のみこころがよくわからなくて、間違って理解するようになります。
[マタイ6:6]に「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。」とあります。このみことばを文字どおりに、すなわち、生のままで食べたら、私たちは祈るたびに奥まった部屋に入らなければならないでしょう。しかし、聖書に、昔の信仰の人々が奥まった部屋に入って祈ったという記述はありません。イエス様も山や寂しい所で祈られて(ルカ6:12、マルコ1:35)、ペテロは屋上に上がって祈りました。
それでは、「奥まった部屋に入って祈りなさい。」というみことばの霊的な意味は何でしょうか? 奥まった部屋に入れば外部からさえぎられるように、雑念や世の憂いと心配をさえぎって、同じ言葉をただ繰り返さないで、心を尽くして祈りなさいという意味です。
このように、聖書を文字どおりに解釈してはならず、神のまことのみこころを正しく知って糧としなければなりません。

第二に、水で煮て食べてはなりません。
「子羊を水で煮て食べてはならない」とは、人の子の肉、すなわち、神のみことばに他のどんなものも混ぜないで、純粋に食べなさいという意味です。神のみことばに聖人君子や哲学者など人々に尊敬されている人の話や、政治、社会の話などを混ぜて伝えるのはふさわしくありません。人の言葉は歳月が流れれば変わりますが、神のみことばは永遠に変わりません。私たちを永遠のいのちの道に導くのに少しも乏しいことのない完全な真理なので、世の理論や知識を混ぜて食べることがあってはなりません。

第三に、まるごと火で焼かなければなりません。
「頭も足も内臓も火で焼かなければならない」とは、子羊をまるごとほふって火で焼かなければならないという意味です。人の子の肉、すなわち、聖書66巻のみことばを一つももれなくみな食べて、霊的な糧としなければなりません。人の思いに合わせて必要な部分だけを読んだり、信じるのではなく、[創世記]から[ヨハネの黙示録]まで、どれ一つ飛ばさずにみな食べて、火で焼かなければなりません。
ここで「火」とは、聖霊の火を意味します。神のみことばは御霊に感じて記されたので、読んで聞く時も、御霊に満たされ感じて対さなければなりません。そうでなければ、単なる知識として積まれるだけで、決して霊的に成長できません。神のみことばを御霊に感じて対すれば、蜜蜂の巣のしたたりのように感じられます。これがすなわち、聖霊の火で焼いて食べることです。そうする時、神のみことばが悟れて消化しやすくなり、霊的な肉と血になって、私たちは御霊の人に変えられるのです。

第四に、朝まで残さず、残ったものは、火で焼かなければなりません。
神は、夕暮れに子羊をほふり、その夜、肉を火で焼いてまるごと食べるが、朝まで残してはならないと言われます。この世は敵である悪魔が権威を持って支配している暗闇の世であり、霊的には夜と言えます。時至って、まことの光であられる主が再び来られると、その時は闇が去ってすべてのものが完全に回復され、光の世界である朝になります。
私たちは主が来られる前に熱心に神のことばを糧とし、主を迎えるための花嫁の備えを終えなければなりません。また、人生は健やかであっても七十年、八十年であって、いつ主の御前に立つのかわからないので、熱心にみことばを糧とし、御霊の人になるために努めなければなりません。


2. 人の子の血は何であり、どのように飲むべきか

私たちが生きるためには、食物を食べて、水も一緒に飲まなければなりません。もし水分を全く摂取しなければ、食べた物が消化されないので、結局死ぬしかありません。同じように、私たちが人の子の肉を食べる時も、人の子の血を飲まなければ消化できなくて、永遠のいのちが持てません。
[ヘブル9:22]に「律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」とあるとおり、イエス様は人類の罪を贖うために血を注ぎ出してくださいました。イエス様の血は原罪も、自分で犯した罪もない、聖なる尊い血です。この尊い血にあずかる人は罪が赦されてきよめられるので、イエス様の血はまことの飲み物になるのです(ヨハネ6:55)。
それでは、どうすればまことの飲み物である人の子の血を飲むことになるのでしょうか? [第一ヨハネ1:7]に「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」とあるように、「人の子の血を飲む」という意味は、私たちが光の中を歩むことです。つまり、光そのものであられる神(第一ヨハネ1:5)のみことばをそのとおり行なうことが、光の中を歩んで人の子の血を飲むことです。そうする時、イエス様の尊い血で罪が赦されて救われます。
食べ物を食べるとよく消化されて、栄養分は吸収されて老廃物は排泄されるように、霊的にも、神のみことばをそのとおり行なうと、真理は吸収されて、真理に逆らうものは捨てられるので、黒い心が白い心に変わります。
たとえば、憎しみという罪を捨てるためには「愛しなさい」という真理のみことばを聞いて心に刻んで行なうとき、よく消化されて「愛」という栄養分が吸収され、「憎しみ」という老廃物が抜け出ます。このようにして汚くて醜い心を引き抜いてしまうと、自然に白くて美しい真理の心になります。


3. 人の子の肉を食べて、血を飲めば、永遠のいのちを持つ

神が創造された最初の人アダムは、もともと神のかたちに創造されて、エデンの園で善悪の知識の木を除いたさまざまな果物を食べて、乏しいものなく暮らしていました。神はアダムとともに歩み、善と真理だけを教えてくださいました。
しかし、アダムが敵である悪魔に惑わされて、神のことばに聞き従わず、善悪の知識の木の実を取って食べたので、「必ず死ぬ」というみことばどおり霊が死んでしまいました。その後、霊である神と交わりが途絶えて、敵である悪魔・サタンの奴隷になりました。人々は歳月が流れるほどますます真理に逆らっていき、罪と悪が満ちて今日に至りました。
このような罪の問題を解決してくださるために、イエス様がこの地上に来られました。イエス様を救い主として受け入れると、神が聖霊を賜物として与えてくださいます。聖霊は私たちの正しい心に働きかけ、神のみことばを聞いて悟るようにされ、悪を捨てるように働かれます。
私たちが悪を捨てるためには、必ず火のような祈りが必要です。祈ると聖霊に満されて、上から恵みと力が臨んで、神のみことばをよく食べることができます。つまり、祈って、人の子の肉を食べて血を飲むとき、みことばが霊的に血と肉になって、永遠のいのちが持てるのです。そのうち、真理に逆らう不純物はすべて出て行くので、黒い心が白い心に変わるのです。
[ローマ10:10]に「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」とあります。まことに心に信じる人はみことばを心に刻んで、真理に逆らうものが退いて真理が臨み、心が正しくなって聖められます。
皆さんは熱心に人の子の肉を食べて、人の子の血を飲んで、心が真理に変えられますように。それで、神のみこころのとおり行なって、たましいに幸いを得ているように、すべての点でも幸いを得、また健康でありますように、主の御名によって祈ります。

 
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