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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第21課 光の中を歩むとき、罪が赦される  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2008-05-23


読むみことば: 第一ヨハネ1:5-10、エペソ5:9-13
覚えるみことば: 第一ヨハネ1:7

教育目標

光と闇の正義を悟って光の中を歩んで、罪が赦され、神と交わりのある聖徒になるようにする。


1. 神は光であられる。

宇宙万物を創造された神はどんなことでもできる全能な方です。どんな病気でもいやして、職場の問題、家庭の問題も解決してくださいます。私たちがすばらしい神の力にあずかるためには、まず神を見つけなければなりません。
それでは、いつも神と交わって、その方の力を体験するためには、どうすればよいでしょうか? 私たちが光の中を歩まなければなりません。[第一ヨハネ1:5]に「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。」とあります。
「光」とは霊的に真理を意味して、闇と正反対のものです。神は[エペソ5:8]で「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。」と勧められました。これは、光が闇を退けるように、光であられる神から真理を学んだ人は光を放ち、暗い世を明るくできるからです。
この時、光の子どもが真理のとおり行なって結ぶ実が、光の実です。[エペソ5:9]に「光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。」とあります。また、[第一コリント13章]にある霊の愛と、[ガラテヤ5:22以下]にある御霊の九つの実である愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制のような御霊の実も、光の実のうちに入ります。
したがって「光」とは、神が聖書で言われた「愛しなさい、祈りなさい、安息日を守らなければならない、十戒を守らなければならない」のように、善と義と愛に関する真理のすべてのみことばを意味します。
反対に「闇」とは、光のないまっ暗な状態で、霊的には罪を意味し、結局は死に至ります。[ローマ1:29以下]にある不義、悪、むさぼり、悪意、ねたみ、殺意、争い、欺き、悪だくみなどをはじめとして、聖書に「盗んではならない、殺してはならない、姦淫してはならない、悪はどんな悪でも避けなさい」など、「してはならない、避けなさい」と言われたものが、すべて闇に当たります。
神は光であり、暗いところが少しもないので、神の子どもたちが光の中を歩むように願われます。そうすれば、いつも神と交わって、すべてのことが栄えます。


2. 神と交わりがあるなら、光の中を歩まなければならない。

神は光であるので、光の世界は神がつかさどられます。一方、闇の世界は敵である悪魔・サタンがつかさどって、神に立ち向かいます。もし、皆さんが神を信じると言いながら闇の中を歩めば、敵である悪魔・サタンに支配されます。霊の世界では「自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷」(ローマ6:16)だからです。
[第一ヨハネ1:7]に「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、」とあります。私たちが光の中を歩んでいるなら神と交わりがある、という意味です。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)とあるように、神は私たちの霊の父であります。
ところが「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。」と書かれています(第一ヨハネ1:6)。「私たちが、神と交わりがある」とは、真理の交わりのことを言います。霊的な交わりがあれば、聖霊が私たちの中におられて、みことばを聞いて、見て、祈ることによって、神と交わりを保つことができます。私たちが、神と交わりがあると言っていながら、闇の中を歩んで罪を犯したら、偽りを言っているのと同じです。真理を行なわないので、結局、死の道へ向かうようになります。
[第一サムエル2章]に、祭司エリの息子たちが神のみことばの中に生きないで、悪を行なって神に罪を犯したことが記されています。この時、祭司エリは「そういうことをしてはいけない」といさめて勧めるだけでした。懲らしめてでも正すべきなのに、そうしなかったので神の激しい怒りが臨みました。
結局、ふたりの息子は戦場で死んで、祭司エリはその席から門のそばにあおむけに落ち、首を折って死にました。その子孫にまで呪いが臨んで、その家には年寄りがいなくなる日が近づいている、と書かれています(第一サムエル2:27-36、4:11-22)。神に立ち向かう子どもは当然、責めて懲らしめてでも悔い改めさせるのが、神のみこころです。
[エペソ5:11-13]に「実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。なぜなら、彼らがひそかに行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。」とあります。
神と交わりがあると言っていながら、光の中を歩まないなら、愛をもって勧めて、責めて、光の中を歩めるように導くべきです。そうすれば、光であられる神と全き交わりがあると言えるし、あらゆる善意と正義と真実である光の実が結べます(エペソ5:9)。


3. 主の血がどのようにして私たちの罪をきよめられるのか?

私たちは「主の尊い血ですべての罪をきよめてください」と祈ります。人には大きく分けて二つの罪があります。生まれつきアダムから受け継がれた原罪と、成長しながら自分で犯した罪です。もし私たちが主を受け入れて、十字架のことばを信じて悔い改めれば、すべての罪が赦されて光の中を歩む人になれます。
それでは、どのようにして罪が赦されるのでしょうか? [第一ヨハネ1:7]に「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」とあります。[ヨハネ6:54]には「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」とあります。つまり、神のみことばのとおり行なえば、闇から離れて神と交わりがあり、結局は救われるのです。
イエス・キリストを信じてみことばどおり行なうとき、徐々に私たちの中から闇が消えていきます。そして、光だけがあるので、主の血で洗われたと言います。以前は世で習慣的に偽りを言っていても、現在、みことばどおり行なって神と交わりがあれば、その罪が赦されるという意味です。
私たちは食物を摂取してこそ生命が維持できて、食べなければ死んでしまいます。このように行ないが伴わないで相変わらず偽りを言っていると、主の尊い血がすべての罪を洗ったと言えません。私たちが信仰で行なうとき、主の肉を食べて血を飲み、罪が赦されます。神は私たちがこの地上で熱心に行なった分、永遠の報いとして返してくださいます。


4. 心を見て、信仰の行ないを喜ばれる神

「光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。」とあります(エペソ5:9-10)。神に喜ばれる信仰を持つと、心の願いもかなえてくださいます(詩篇37:4)。人はみな信仰が違うので、神は行なったとおり報いてくださいます。
初心の者の場合、「私はまだ真理のみことばの中で生きられないのに、今、主が来られればどうしましょう?」と質問することもあります。神は心を見られるので、神と交わりがあって光の中を歩もうとしている人を「罪がある」と言われません。たとえ心の中に姦淫、殺意、憎しみのような闇が残っているとしても、罪と戦って血を流すまで抵抗しようとすれば、その心を見て、神はその信仰によって「正しい」と言ってくださいます。つまり、イエス・キリストが過去、現在、未来のすべての罪を贖ってくださったので、尊い血によって罪が赦されたのです。
それで、「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです」(使徒3:19-20)とあるのです。また、「神は、まずそのしもべを立てて、あなたがたにお遣わしになりました。それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。」(使徒3:26)と書かれています。

愛する聖徒の皆さん、きょうのメッセージを通して光の中を歩んで、罪が赦されるだけでなく、神と深い交わりを保って、天国で太陽のように輝く座に至りますように、主の御名によって祈ります。

 
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