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聖書の学び メッセージ > 聖書の学び
聖書の学び
Title
   第2課「イスラエルの最も偉大な王ダビデ」  
Speaker
   堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
   
Date
   2015-12-24


読むみことば: 第一サムエル26:23
覚えるみことば: 第一サムエル16:7
参考にするみことば: 第一サムエル17章
教育目標: 神が望まれる善の次元を深く悟って心に完全な善を耕し、ダビデのように神の愛と祝福をいただくようにする。

ダビデはイスラエルの初代王サウルの後を継いで、神が王としてお立てになった人です。彼はエッサイの八人の息子のうち末っ子で、少年の時期、父の羊を飼いました。ある日、神のお告げを受けた預言者サムエルが家に訪ねて来ます。サムエルは容貌が優れているダビデの一番上の兄エリアブに注目しますが、神は「人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」と言われ、最も幼いダビデに油を注いで王として立てるようにされます。ダビデが神から特別に愛された理由は何でしょうか。

1. 神の御名がなぶられている時に大胆に信仰によって行った少年ダビデ

ダビデが父の羊を飼っていた時のことです。当時、イスラエルの陣がペリシテ人とエラの谷で対峙していました。この時、ペリシテ人の陣営にゴリヤテという戦士がいましたが、彼は背が三メートルに近い巨人であって、青銅のかぶとと青銅の投げ槍と約五十七キログラムもあるよろいで武装した大した戦士でした。
このようなゴリヤテが四十日間、朝早くと夕暮れにイスラエルの陣をなぶって大声で叫んでいるのに、誰一人出られませんでした。ゴリヤテの威容に恐れて、震えているだけでした。ちょうど、参戦していた兄たちの安否を尋ねて来なさいと言われて戦場に来た少年ダビデが、その状況を目撃します。ゴリヤテがなぶっている声を聞いたダビデは「この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」と言い、自分が戦うと言います。
サウル王の許しを得た彼は、何の武装もしないで、石投げだけ持ってゴリヤテに近づいて、大胆に叫びました。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の【主】の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」(Iサム17:45)
ダビデが投げた石は一気にゴリヤテの額に食い込みました。これによって巨人ゴリヤテが倒れると、イスラエル人は士気が天を衝く勢いになり、ペリシテ人を滅ぼして大勝利を収めました。ダビデは心から神を愛して恐れたので、神の御名がなぶられるのに耐えられませんでした。彼は姿だけ見てもすくむほど巨大なゴリヤテであっても、恐れなかったのです。神はこのような信仰の行いを善と認められました。
もし親が不当にはずかしめられているのを見ても黙っている子どもがいたら、これが善でしょうか。これは平和を保つことでも、親を愛することでもありません。神の御目にかなう善でもありません。柔和なイエス様も、神の聖殿を汚す人々を許さないで、厳しく責められました(マコ11:15~17)。このように、神の栄光のためなら憤然と立ち上がることが神の御目にかなう善です。

2. 自分を殺そうとする敵にも良くしてあげて感動を与えたダビデ

少年ダビデがゴリヤテを倒した時は、サウル王も喜びました。ところが、ダビデが王宮に入り、どこででも勝利を収めたので、戦士たちの長となり、民に愛されると、サウルが疑いの目で見始めます。女たちが「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」とほめるのを聞いてから、サウルはダビデを殺そうとしました。わざと戦場に送り出すかと思えば、悪い霊によって苦しんでいる自分のためにダビデが琴を手にしてひいているとき、槍を投げつけるなど、執拗に殺そうとしました。いのちの脅威を感じたダビデはサウル王を避けて逃げなければなりませんでした。
ある日、サウルを殺せる絶好の機会が来ました。ダビデ一行が隠れているエンゲディの荒野のあるほら穴に、サウルが知らずに入って来たのです。その時、ダビデの部下たちはサウルを殺すようにと勧めましたが、ダビデは彼の上着のすそだけこっそり切り取りました。ダビデはこのことだけでも心を痛めて、「私が、主に逆らって、【主】に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、【主】の前に絶対にできないことだ。彼は【主】に油そそがれた方だから。」と告白します。
そして、サウルに襲いかかるのを許しませんでした。サウルがほら穴から出て、遠く離れた時にはじめてサウルの上着のすそを見せて、この上なく良い言葉で彼を殺す心がないと伝えました。すると悪いサウルも感動して涙を流し、軍隊を撤収します。
ところが、いくらも経たないうちに、サウルは再びダビデを捕らえようと、三千人を連れて国の全域を捜索します。サウル一行がエシモンの東にあるハキラの丘で陣を敷いた時のことです。このことを聞いたダビデがこっそりとサウルの陣営に入ってみると、みな深い眠りに落ちていました。
この時、ダビデといっしょに行ったアビシャイが「どうぞ私に、あの槍で彼を一気に地に刺し殺させてください。」と言います。しかし、この時もダビデは殺してはならないと言って、遠く離れてから大声でサウルに向かって「【主】は、おのおの、その人の正しさと真実に報いてくださいます。【主】はきょう、あなたを私の手に渡されましたが、私は、【主】に油そそがれた方に、この手を下したくはありませんでした。」と言いながら、自分の真心を知らせました。すると、サウルはもう一度感動して「わが子ダビデ。おまえに祝福があるように。おまえは多くのことをするだろうが、それはきっと成功しよう。」と言って帰りました(Iサム26章)。
ここで私たちはダビデの二番目の善を見つけることができます。それは、自分を殺そうとする敵にも良くしてあげて、その心に感動を与える善の告白をしたということです。自分を殺そうとしている相手を助けてあげたのに、その人がまた自分を殺そうとします。この時、ダビデのように変わらず良くしてあげられる人がどれだけいるでしょうか。
ダビデは心が良かったので、一回だけ負けてあげて済んだのではなく、最後まで善を行うことで神の良きみこころを実現することができました。たとえ自分が王として油を注がれたとしても、自分の思いどおりにサウルを殺して王になろうとしませんでした。心から神により頼んだので、すべてのことを神にゆだねたのです。単にサウルが神に油を注がれた王だから、形式的にだけ良くしてあげたのではありません。心からサウルがうまく行くことを願ったので、良い言葉で何としてでも彼の心を安らかにしてあげようとしました。
さらに、サウルがペリシテとの戦闘で敗れて、自分で命を絶ったと聞いたとき、悲しんで泣いて断食したのです。その上、サウルを葬ってくれたギルアデの人々に感謝して、心より祝福しました。

3. 指摘されたとき、直ちに悔い改めて、感謝をもって練られたダビデ王

ダビデは神の良きみこころに従える心でしたが、聖霊時代ではなかったので、深い本性の中の悪まで捨てることはできませんでした。それで、王位に上ったあと、平安になったとき、彼の本性の中にあった悪が現れるのが見られます。
ある日、ダビデが王宮の屋上を歩いていて、ひとりの女がからだを洗っているのを見ます。心が動いたダビデは彼女が忠臣ウリヤの妻だと聞いても、彼女を召し入れて寝ました。これによってウリヤの妻バテ・シェバがみごもるようになります。するとダビデはこれを隠そうと方法を探しましたが、思うようにいかないと、結局ウリヤを激戦の真正面に出し、異邦人の手で死ぬようにさせます。それで、神は預言者ナタンを遣わして、ダビデを厳しく責められました。その時、ダビデは直ちに自分の罪を認めて、悔い改めました。
これがダビデから見つけることのできる三番目の善です。王であっても、指摘されたとき、直ちに悔い改めて、罪の報いとして途方もない試練がやって来た時も、感謝をもって受けました。
信仰の経歴が積まれるほど、指摘されるのを好まない傾向があります。心が高ぶっているからです。しかし、心の良い人は子どもが指摘したとしても、それが真理なら、心からへりくだって受けます。
ダビデが息子アブシャロムの反逆により急いで王宮を抜け出して逃げている時でした。シムイがついて来て、石を投げつけながらダビデを呪いました。ダビデの部下たちが彼を殺そうとしましたが、ダビデは引き止めて、むしろ自分を振り返ってみます。このようにダビデは試練がやって来たとき、誰のせいにもしないで、徹底的に自分を低くして感謝をもって受けました。心が良い人は、困難がやって来れば、環境のせいにするのではなく、自分をまず振り返ってみて、試練に会うことを許された神の良きみこころを悟ろうとします。
ダビデは罪を犯して厳しく練られましたが、善をもってよく通り抜け、神の心にかなう人として出て来て、天国でも尊い者としてとこしえに栄光を受けるようになりました。皆さんもダビデの美しい心を見習い、完全な善を耕しますように。


* まとめと適用
1.神が認められるダビデの善は何でしょうか。
第一、神の御名が( )とき、大胆に( )行った。
第二、自分を殺そうとする( )にも良くしてあげて、感動を与えた。
第三、指摘されたとき、直ちに( )て、感謝をもって( )れた。
2.ダビデが息子アブシャロムの反逆により急いで王宮を抜け出して逃げるとき、ついて来て石を投げつけながらのろった人は誰でしょうか。( )


* 今週の課題
次回はダニエルの三人の同僚の善について学びます。ダニエル書3章を読んできましょう。


* 知って力にしましょう
「シムイ」とはどんな人か
ベニャミンの人でサウル王の親戚である。ダビデ王がアブシャロムの反乱を避けてバフリムまで来たとき、石を投げつけながらのろって「出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者。」と言った。ダビデの部下たちがひどく怒って、シムイを殺そうとしたが、ダビデは引き止めて「たぶん、【主】は私の心をご覧になり、【主】は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」と告白する(IIサム16:12)。ダビデはシムイを赦したが、結果的に彼はソロモンの統治の時、自分の悪行の報いとして殺されてしまう。

 
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