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メッセージ >
聖書の学び
Title
第23課 あなたの心で信じるなら救われる
Speaker
堂会長 イ・ジェロク 牧師
Bible
Date
2008-06-06
読むみことば: ローマ10:9-10、ローマ6:15-23
覚えるみことば: ローマ10:10
教育目標
罪人と義人について具体的に知り、救われる方法を調べてまことの信仰を持つようにする。
1. 罪人と義人の違い
アダムが罪を犯して罪が入ってきた後、罪の性質を受け継いで生まれたすべての人類は、罪から来る報酬によって死の道に向かうようになりました。[ローマ3:10]に「義人はいない。ひとりもいない。」とあるように、すべての人は罪ゆえに永遠に死ぬしかありませんでした。
神はこのような罪人たちのために、イエス様をこの地上に遣わしてくださったのです。[ローマ3:23-24]に「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」とあります。イエス・キリストの尊い血で全人類の罪を贖うことによって、救いの道を開いてくださったのです。それで、私たちがイエス・キリストを受け入れると、賜物として聖霊を受けて義と認められたので、「義人」と言うことができます。
このような事実を知らない人々はイエス・キリストを受け入れないで、自分が罪人だという事実さえ知らないまま生きていきます。ですから、「あなたは罪人です」と言えば、「私がなぜ罪人ですか?」と反問したりもします。
この世にはどの国にも法があって、その法の限界を越えなければ罪人として取扱いません。人を殺したり殴ったり、姦淫したりすれば、罪を犯したと認めますが、心の中で誰かを嫌うからといって罪人とは言いません。ところが、イエス・キリストを受け入れて、神のみことばを聞いて学べば、心の中の根の根にある悪まで発見するようになります。[マタイ5:28]に「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」とあります。つまり、行ないだけでなく、心にいだいたことまでも罪になるという意味です。
神のみことばを基準にして、ひょっとして罪を犯してはいないか、各自顧みてみましょう。[ローマ3:20]に「律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。」と書かれています。
それでは、すべての人は具体的にどんな罪を持っているのでしょうか?
まず、最初の人アダムによる原罪があります。アダムが神の言われたことに聞き従わず、善悪の知識の木の実を取って食べたので、罪が世に入り、アダムの気を受け継いだすべての人が罪人になりました(ローマ5:12)。これを「原罪」と言います。
次は、生きていきながら「自分で犯す罪」があります。たとえば、不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちていて、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになり、陰口を言い、そしり、人を人と思わず、高ぶり、大言壮語し、悪事をたくらみ、親に逆らい、わきまえがなく、約束を破り、情け知らずで、慈愛のないことなどです(ローマ1:29-31)。
イエス・キリストを受け入れて神のみことばを知るようになれば、原罪と自分で犯した罪を認めて「私は罪人です」と言い表すようになります。愛なる神は罪を言い表す人々を憐れまれ、罪を思い出されません(ヘブル8:12)。東が西から遠く離れているように、そのそむきの罪を私たちから遠く離されます(詩篇103:12)。
「罪を言い表す」とは、私たちが心から悔い改めて神のみこころのとおり行なうことです。もし口で罪を言い表すだけで、再び罪を犯していったら、これは本当に言い表したということにはなりません。[ローマ2:13]に「それは、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行なう者が正しいと認められるからです。」とあります。罪を言い表して、信仰によって義人と認められたとしても(ローマ3:30)、律法を守り行なわなければ、まことの義人と認められません。聖潔の段階に入る前までは罪を捨てていく過程なので、もしも罪を犯したとすれば、すみやかに言い表して、いつも義人と呼ばれなければなりません。
2. 心で信じるなら救われる
[使徒3:19-20前半節]に「あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。それは、主の御前から回復の時が来て、」とあります。私たちが罪から解放されて義の奴隷となれば、聖潔に至る実を得て、永遠のいのちを持つようになるからです(ローマ6:17-19)。
それでは、まだ聖潔に至る実を結んでいない初心の者の場合はどうでしょうか? 真実で正しい神は、表に現れた行ないによってさばかないで、心を見られるので、神のみことばのとおり生きようと努力すれば、私たちの罪を赦して、義の奴隷と呼んでくださいます。
たとえば、ある人がよく怒る性質を持っていて、腹が立ったら我慢できなくて、はなはだしくは殴ったりもします。しかし、神のみことばを聞いて自分の罪を悔い改めて、その性質を捨てようと決心しました。火のように祈ってそれを捨てようとすれば、初めはうまくいかないようですが、だんだん憤る回数が減って、結局は完全になくなります。心から罪と悪を捨てようとしたら、次第に真理の人に変えられるので、神は罪人と呼ばれません。
しかし、世にあるものが捨てられなくて、世と友になって神のみことばどおり生きられないなら、そのような人はまだ罪の奴隷であるしかないのです。頭の良くない子どもがいくら一生懸命に勉強しても成績が上がらないとき、親は叱るのではなく、かえってかわいそうに思い、慰めて助けてあげるでしょう。ところが、勉強ができないのに、勉強しようとはしないで遊んでばかりいるなら、どうして親が子どもを憐れむでしょうか。
同じように、神も私たちがどれほど神のみことばどおり生きようと努めているのか、世と友になろうとするのか、私たちの心を探られます。「私には罪がない」と自分で自分を欺く人にならないで、ただみことばに照らして自分の罪を心から言い表して、悔い改めなければなりません。
[ローマ10:9-10]に「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」とあります。イエス様が自分の救い主であることを口で告白して、よみがえられたことを心で信じるとは、十字架の摂理と尊い血の力を信じることです。つまり、罪によって地獄に落ちて、永遠に死の刑罰を受けなければならない自分を救うために、木の十字架にイエス様がかけられて死なれ、すべての罪を贖うために、まことに尊い血を注ぎ出してくださったことを信じるのです。
このことが本当に心で信じられれば、自分のために代わりに苦しまれた主の愛に感謝して、たましいを砕いて罪を告白するようになります。自分が犯した罪が一つ一つ思い出されて、これからはみことばどおり光の中に生きようという悔い改めの祈りが出て来ます。このような悔い改めの祈りを受けられた神は、イエス様の尊い血で私たちのすべての罪を洗いきよめて、賜物として聖霊を遣わしてくださいました。御霊によって新しく生まれた神の子どもは、神を「父」と呼ぶことができ、その名が天国の「いのちの書」に記されます。
[黙示録20:15]に「いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」とあります。[黙示録21:27]には「しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。」とあります。このように、イエス・キリストを信じて聖霊を受けた神の子どもたち、その名がいのちの書に記された人だけが天国に入れます。
ところが、聖霊を受けて神の子どもになっていのちの書に名が記されていながらも、御霊が消されて、いのちの書に記されていた名が消される場合もあります。[ヨハネの黙示録3:5]に「わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。」とあり、[出エジプト32:32]には「今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら……。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」とあります。
聖書にこのような表現があるのは、いのちの書に名が一度記されたとしても、その名が消されることもあることを悟らせてくださるためです。[第一テサロニケ5:19]に「御霊を消してはなりません。」とあるのも、御霊が消されることもあるので警告してくださっているからです。私たちが天国に入るためには、決して御霊を消してはいけないので、死に至る罪は犯してはいけません。
[第一ヨハネ5:16]に「だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。」とあります。
御霊によって新しく生まれた神の子どもになっても、全き信仰に至るまでは、みことばどおり生きられないで大小の罪を犯します。それでも悔い改めれば神が赦してくださるので、再び天国に向かって行きます。このように、罪を犯しても赦されて、死に至らない罪があるかと思えば、この世であろうと次に来る世であろうと赦されない、死に至る罪もあります。
「死に至る罪」とは、第一に、聖霊を冒涜し、聖霊に逆らい、聖霊をけがすことです(マタイ12:31-32、マルコ3:29、ルカ12:10)。第二は、多くの恵みを受け、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けて堕落し、神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与えた場合です(ヘブル6:4-6,ヘブル10:26-27)。第三は、[ガラテヤ5:19-21]にあるとおり、明白な肉の行ないをした場合で、「こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。」とあります。
愛する聖徒の皆さん、救いが神のみことばのとおりなされるように、さばきも聖書に記されたとおりになされます。私たちの霊とたましいが完全に天国に至るまで、いつも御霊によって目をさましていて、花嫁の備えをして、輝く宝石のように変えられますように、主の御名によって祈ります。
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